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第一幕

第七話 壊れゆく少女の心

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 俺は日記帳に封じられた少女の心に触れる。

――シオンの日記帳


「このダルホルンにやって来てもう二年以上。とても息苦しい毎日。だけど、お父様の期待に応えないと。そのためには今の勉強レベルじゃダメ。もっと難しいことを学ばないと。だけど、簡単には。みんなはできているのに、どうして私は……」

「今日もお母様にお叱りを戴いた。背中が痛む。だけど、私が悪いから仕方がない。貴族としての所作を身につけないと」

「アズールとライラから馬鹿にされた。とても悲しい。その様子をザディラお兄様が見て笑っていた。使用人も私を見下している。誰も私を助けてくれない。私はみんなと違うから。庶民の子だから。お母様、助けて。スティラお母様。どうして私を置いて先に逝ってしまったの……」


――――
「スティラお母様? 庶民の子? もしや、シオンは腹違いの子なのか?」

 おそらくだが、スティラという女性がシオンの実の母で、ダリアは義理の母。
 そして、スティラは庶民で、シオンは庶民と貴族である父セルガ=カース=ゼルフォビラの間にできた娘。要はめかけの子。
 この親子はダルホルンに住んでいなかったが二年ほど前にこの屋敷に招かれた。

「なるほど、それで。ダリアや双子がシオンに冷たく当たるわけだ」
 実の娘ではない。腹違いの姉でしかない。
 それでいて、庶民の血を引くさほど優秀ではない娘。
 エリート貴族様にとってみれば見下しの対象に過ぎない。
 特にダリアから見れば、愛情など注げるはずのない他人の娘。


「おいおいおいおい、こういう重要情報は伝えてくれよ、ルーレンにマーシャル。いや、マーシャルは伝えようとしていたのか」

――――医務室にて、マーシャルは――
『私如きがお話しするようなことではございませんが、あまり良い関係ではございません。ご両親とも、ご祖父母とも、ご兄弟とも……』
『そうですか……理由は?』
『それは…………その……』

――――――――

 その後、マーシャルは競争が激しいためと言ったが、あの時言い淀んだのはこの事実を伝えるべきかどうか悩んだためのようだ。

 正妻ではない庶民の妻とその娘の存在……貴族の醜聞。
 メイドであるルーレンはそれを口として表しにくい。
 マーシャルもそうであろうが、これに加え、記憶を失った患者に対してあまり強い刺激を与えたくなかったというのもあったようだ。

「なかなか面倒な関係になってきたな……続きを読もう」

 ここまでは悪戦苦闘しながらも、貴族になるべく努力をしようとする前向きな文章だったが、途中から日記の雰囲気が変質していく。


――シオンの日記帳


「全然身につかない。お父様、助けて! お父様、どうして助けてくださらないの? 私が庶民の娘だから? 無能だから? お父様はスティラお母様を愛してくれたのでしょう!! だったら、その愛を少しだけでもいいから私に下さい!」

「ああ、母様が私をつ。母様はスティラお母様が、ママが嫌いだった。ママの代わりに私をつ。そう! 教育なんて嘘!! 母様は私をつことでママに憎しみをぶつけているだけ!!」

「アズールから生ゴミを投げつけられた。ライラから土下座を強要された。フィアお姉様は私を居ないものとして扱う。ザディラお兄様は汚物を見るかのように私を見る。それでも! 私はお父様の血を引いている!! 半分とはいえ、みんなの兄妹なのに! どうして、どうして、どうして……どうして!!」

「ルーレンとマーシャル先生だけが助けてくれる。だけど、耐えられない……」

――
「ああ、どうしてママは私を産んだの!? 辛い、苦しい、憎い。どうして私がこんなに怯えないといけないの? 泣かないといけないの? 私はあなたたちに何もしていないのに!?」
「お父様は何も語ってくれない。母様は私をつことで喜びを得ている。兄様も姉様も弟も妹も私を見下すことを当然だと思っている。使用人も!」 

「消えてしまえばいい! お父様もお母様も、何もかも消えてしまえばいい! 全部消えてしまえばいい! だけど、消えない。消せない! 私にはそんな力がないから! だったら、どうすればいいの!? ねぇ、誰か教えてよ!!」


――――――――
 文字を撫で、その筆圧からシオンの声を知る。
 父の期待に応えようと懸命だった文字は、悲痛な文字へ変わり、最後にはノートを突き破らんとするほどの筆圧で嘆きを訴えるようになった。

 しかし、それもページの終わりには掠れるほど浅い筆圧へと変わる。

―――――――――
「もう……いや……死にたい。そう、死ねば解放される。お父様、私はスティラお母様の元に行きます」
―――――――――

 ここで日記が終わる。
 最後の文章を撫でて、微妙な心の変化に耳を立てる。
 ほとんど筆圧もなく、歪み、力のない文字。
 掠れて読みにくいが、『死にたい』という文字だけははっきりしており、そこだけは今までとは違う筆圧で書かれていた。

 そう、これはシオンの遺書。

 ここで俺は本を閉じて、引き出しの右隅へそっと寄り添うように戻し、鍵をかけて封じた。
 普通の者なら少女の痛みに心を苛まれ、同情し、憤るかもしれない。涙するかもしれない。
 だが、俺は普通の人間ではない。異常な世界で育った存在。
 だから、思考を別の場所に置ける。


 机の対となった木製の椅子に腰を掛けて疑問を声に表す。

「日記には俺と繋がりを得ることができた道具のことが書かれていない。なぜだ? 日記に道具のことを記して誰かに知られることを恐れた? 道具はどのような形をして、どこで手に入れた? どのように使う?」

 日記に書いていないということは、道具の効力を発揮するためには知られてはいけない約束事みたいなものがあるのだろうか? 
 呪いの藁人形を釘で打ち据えるときに誰にも見られてはいけない、というような。

「ま、これらを今考えても仕方がない。だが、やはり奇妙だ。こんだけ苦しんでたのに、なんで依頼してた時に悲壮感が皆無だったんだ? 道具の効果を目の当たりにしてテンションが上がってた? いや、それはどうだろう? もしそうなら、相当な変わり種だぞ、この女」


 シオンという少女――捉えどころが全くない。
 だが、少なくとも家族関係で苦しみ、それが死に影響を与えている可能性は高い。
「とりあえず、家族に復讐という方向で進めるか。それに現在シオンである俺にとっても、あんな家族を相手にするのは辛いしな。住みやすいように環境を整えないと」


 問題は『整える』をどこまで『整えるのか』。
「依頼を受けたとはいえ、今の俺はご令嬢。今後の生活を考えるとできれば殺しは控えたい。うん、復讐内容は指定されてないから、俺の生活と家族連中の非道っぷりを天秤にかけながら判断するか」


 俺はそう考えて、席を立つ。
 引き出しに封じた日記帳。それに疑問と疑念を抱きながら……。
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