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厳しい優しさ

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 心から安心したような微笑みを見せるリーディ。
 彼女の優しさが、私の心に深く寄り添う。

「恥ずかしい限りだがな……ふふっ。もし、あの状況でも意地を張り通していたら、私はどうなっていただろうな?」
「ん~、経験上、遠からず壊れてたと思う」
「え?」
「モグモグ、今一つ味の浸み込みが足りないかなぁ?」


 食事を交えながら、恐ろしい言葉をさも簡単に告げる。
 表情はいつもと変わらぬリーディ……しかし、少しだけ瞳の中に悲しげな影を落とす。
「私もさ~、後悔の連続で、そのたびに我慢してきたことがあるの。だけど、ある日限界が来て、壊れそうになった。そして、目に見える物全てを壊したくなった……」
「リーディ……」
「そんな私から比べれば、泣き叫ぶくらいなんでもないって。恥ずかしいと思える程度ならいいじゃない。モグモグ。う~ん、塩加減の方はバッチリだと思うけどなぁ」


 口調を軽いままに、滑るように食事も会話も進める。
 しかし、話の内容は全くの逆……。
 辛い経験の記憶を、日常の何気ない会話の如く話す。
 リーディが歩んできた旅とは、積んできた経験とは、どれほどのものなのか?


「リーディ、あの、」
「さってと、食事が終わったから先に部屋へ戻るね」
 明らかに私の言葉を遮るそぶりを見せ、すっかり空になった皿をこちらに向けながら彼女は立ち上がった。
 そして、食器を流し台の水桶に付け置き、テーブルには戻らず台所から出ていこうとする。

「待て、リーディっ!」
 私が席から立ち上がり大声で呼び止めると、彼女は扉を開いたところで足を止めた。
 しかし、私の方を振り向くことはなく、背を見せたまま。
 リーディは、静かに声を出す。


「私が見聞きしたこと、体験したことを話すのは簡単。耳にした話を想像して、疑似的に感じることはできる……でも、それは私の感じたこととは、全くの別物」


 彼女は感情の籠らぬ、淡々とした口調で言葉を漏らす。
 臆病な私には、リーディが零れ落とした言葉へ触れる勇気などない。
 私たちは互いの口を閉じて、その場に立ち続ける。それは時間にすれば、ほんの僅かなものであったが、私にとっては永遠よりも長く感じた。
 しかし、リーディは永遠などいささかも感じることなく言葉を生む。

「私、明日には旅に出るからね」
「え?」
 こちらを振り向きながら喋る姿は、いつものリーディ。
 言葉もまた、感情の宿る軽いものとなっていた。

「え、じゃないよ。まだまだ、世界には異界の迷い人がたくさんいるんだから。彼らを保護したり、帰ってもらったりしないと」
「そういえば、そんな仕事をしてるんだったな」
「うん。それにさ、異界人を見つけるのが遅れたせいで……手を遅れになることもあるし。黒髪の持ち主は、特にね……」
「……そうか」


 彼女の言うとおり、言葉が通じないだけでも不審がられ、身の上に危険が及ぶ。
 加えて、髪の色が魔女の黒髪の色であったら……。
(ユタカも私に見つからず、結界の外で髪の色が元に戻っていたら……)

 そう考えると、ぞっとする。
 リーディはいつもの調子で、ふざけた冗談を交えながら話を続ける。

「そんなわけで、明日朝一番に旅立ちます。今日もあんたの部屋借りるね。あんたはユタカの使ってたおばさまの部屋で寝なよ。残り香なら残ってるだろうし」
「あのなぁ」

「たぶん、うんにゃ必ず、寝る前にユタカの別れを思い出して身もだえすることになるから、残り香で心落ち着かせなさいって」
「だれが寝るか!」
「まーた、意地張っちゃって」

「意地の問題じゃない。良識の問題だ」
「あっそ。まぁ、いいけど。じゃ、お休み」
「あっ……」


 リーディは簡単な一言を残して、私から去ろうとする。私は彼女を引き止めようと、急ぎ手を前へ伸ばそうとした。
 しかし、その動きに気づいたリーディは、私に鋭い一瞥をくれた。
 刃のような視線に驚いた私は、怯えるように手を下ろす。
 リーディはフイッと顔をそむけて、何も言わずに階段を上がっていってしまった。
 降ろした手をぎゅっと握り締めて、私は自分の行為を恥じる。


(私は、何を期待したの?)
 そうだ、私は期待した――リーディが私を冒険へ誘ってくれることに……。
 私の心根は決まっている。でも、そのための一歩が踏み出せない。
 だから、リーディに手を引っ張ってもらいたかった。

 けれども、彼女は甘い優しさを示してくれることはなかった。
 代わりにくれたのは、厳しい優しさ。
 私は、私のことを自分で決断しなければならない。

 これは、当然すぎる当たり前のこと。
 でも、臆病な私には恐ろしく困難な行為……。


「ユタカ……」
 無意識に零れ落ちた、後悔の言葉。
 彼との想い出が、後悔という形で胸の中に秘められている。
 私は台所から出て、階段へ向かった。
 三階まで上がり、ユタカが使用してた母さまの部屋を開ける。

 静寂が支配する部屋に入り、ベッドへ腰を下ろした。
 手の平をシーツに当てる。ひんやりとした布地が、心を寒々と包む。
 しかし、しばらくするとじんわりと熱を帯びてきた。


「あたたかい……あなたはあたたかいよ、ユタカ。そう、あなたは暖かい。後悔なんかじゃない」
 パタリとユタカの香りに身を預け、強く目を閉じる。
 涙が零れないように……。
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