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胸に宿る暖かさの正体は、なに?

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 私は家に戻り、家の裏庭が見えない一階の台所でぼんやりと過ごすことにした。
 ぼーっと窓から表を眺めていると、カンカンコンコンと何やら大工仕事のような音が響いてきた。

(何をしているんだろう?)
 体全体がそわそわとして、ユタカの謎の作業が気になって仕方ない。
(ちょっと、覗いてみる? でも、怒られたらやだし)
 好奇心という誘惑に駆り立てられては椅子を立ち、やっぱりやめようと座る。
 無駄な行動を幾度となく繰り返す。

(埒があかない。本でも読んでいよう)
 地下の書庫から本を持ってきて、台所で読みながら待つことにした。
 本を中ほどまで進めたところで、大工仕事の音が聞こえなくなっていることに気づく。

(終わった?)
 本から視線を窓へと向ける。
 木に差す影の具合から、すでにお昼を回っているようだった。


(いけない、お昼の用意しないと)
 そう思い、立ち上がる。
 そこで、偶然窓の外にいるユタカの姿が目に入った。
 彼は家の正面にある井戸から、水を二つの桶に入れている。桶を水で満たすと、桶の取っ手の部分に棒を入れて、天秤のように肩に掛けて裏へ運んでいく。
 その様子から、鍋の中に水を入れるために運んでいるみたいだ。

(鍋の大きさから考えて、少なくともあと十往復はしないと駄目そうだけど。大丈夫なの?)
 私の心配をよそに、ユタカはふらつきながらも黙々と二度目の水を運んでいく。
 彼の力強い姿を見て、私は少年であっても男なのだなと感心する。


(ふふ、男の人ってすごいな。とても、逞しくて……)
 汗に光るユタカの姿を瞳に映す。
 瞳から飛び込んだ彼の姿は私の胸の一部を熱く灯す。
(え、なに?)

 胸の一部を焦がすような熱さ。
 これはなんだろうか? 
 熱くて締め付けられるような。それでいて、とても暖かで優しくて、興奮とは全く違う血が猛り巡るさまは……。

 私はこの不可思議な感情の正体を知るべく、再びユタカを瞳に取り入れる。
 家の裏へ向かおうとするユタカの後姿。
 胸には熱さとは別にじんわりとした温かさが広がる。

 その熱は頬にも伝わり、風邪を引いたようなふわふわとした感覚が頭を包む。
 今まで味わったこともない感情と身体の変化に戸惑う。
(なに、これ? 風邪でも引いたのかな?)
 もう一度、ユタカを見る。
 
 彼は一度立ち止まり、桶を置いて汗をぬぐい、大きく息を切らせていた。
 その姿を見て、私から奇妙な感情が消え去り、代わりに申し訳なさが胸を満たす。


(やっぱり、大変だよね。水を運ぶのは……魔法を使えば、ユタカにあのような苦労は……でも)
 魔法を知られる恐怖。
 そこから向けられる眼に恐れて、臆病な私は自分を伝えることができない。
 代わりに、せめてとこれぐらいはと思い、ユタカのために手早く軽食を作ることにした。

 そしてそれを井戸の傍に置いて、彼が戻ってくる前に立ち去った。
 台所に戻り、窓からこっそりと覗き見る。
 ユタカは井戸傍に置いてある軽食に気づき、腰を下ろしてお昼を取り始めた。


(あんなにがっついて。ふふ、何をしてるかわからないけど、頑張ってるんだ)
 気づかれないようにカーテンで自分を隠しながら、彼をずっと見つめ続ける。
 私が作ったお昼を美味しそうに食べてくれているユタカの姿がとても嬉しくて、再びあの奇妙な熱さが胸に広がる。
 この感情の正体は嬉しいだろうか?
 わからないが、とても良いものだと思う。


 ユタカは軽食を食べ終え、すぐに桶に水を入れて運んでいく。
 鍋の大きさから考えて、回数的にはそろそろ終わってもいい頃のはず……。

(あんなに頑張って。なのに、覗きなんて……うん、呼びに来るまで待とう)
 ユタカの仕事ぶりを目の当たりにして、覗いていたことが恥ずかしくなり、ただ待つことにした。
 椅子に深く腰を掛けて、本のページを捲る。
 続きを読み耽っていると、パチパチという音とともに薪の燃える匂いが漂ってきた。

(火を入れた。やっぱり料理? なら、あと少しかな?)
 静かに本を読み続け、物語が終わりに近づいた頃に、ユタカが台所まで呼びに来た。


「ミラ、オワッタ」
「ああ、そうかって。ふふ、ひどい姿だな」
 ユタカの顔は墨や灰で汚れ、手は作業中に怪我したのか擦り傷だらけだった。
「すぐに手当てを」
「マッテ、アトデイイ。キテ」
 ユタカが手招きをする。
 私は少し躊躇したが、彼の強い眼差しを受けてコクンと頷いた。
 

 
 裏の物置小屋に案内される。
 そこにあった、ユタカが作っていたモノを目にして私は首を傾げた。
「これは……?」
 ゆらゆらと湯気が立ち昇る鍋。
 鍋の周りには、いくつもの簡素な木の枠があり、枠には布を被せて敷居のように配置してある。
 遠い目からよくわからないが、おそらく鍋には何の具材も入っていない。
 どうやら、料理ではないようだ。


「ミラ、コッチ」
「あ、ああ」
 戸惑う私を鍋の前まで案内して、ユタカは両手をどうだとばかりに鍋へ伸ばす。
 そして……固まった。

「エット、〇∥★……〇∥★▼шИÅ。ド、ドシヨ、ナマエ、ワカラナイ……」
「名前? 何のだ?」
「エット、エ~ット。ざ、ざぶ~ん。かぽーん、ふぅ」

 ユタカは鍋からお湯をすくう動作を見せて、奇妙な擬音織り交ぜながら、安らいだような表情を見せた。
「ふむ、湯を浴びているのか? 湯浴み? ああ、風呂かっ!」

 私は鍋を指差したあとにしゃがみ、鍋に入るのかと尋ねた。
 するとユタカは、うんうんと何度も首を縦に振る。

「そうか、風呂を作っていたのか」
 私の家には風呂はない。
 本当はつける予定だったのだが、母さまが大木を家に変化させた際に、内部に作るのを忘れてしまったのだ。

 機を見て、家の外のどこかに作る予定だったのだが、その前に母さまと別れを告げてしまったため、予定は立ち消えていた。
 それに加え、私の魔法は創作に向いていないため、これからもつける予定はない。

 まぁ、もっとも、風呂など普通の家にはついていない、金持ちご用達の贅沢品。
 普段は魔法を使いシャワーのように水浴びをするか、布に水を浸して絞ってから身体を拭くだけで済ませている。
 それでも十分に汚れは落ちるので、私はさほど風呂の設置を重要視していなかった。


「それにしても、なんとまぁ、わざわざ風呂を作るとは……しかも、鍋を風呂釜代わりにするとはな」
 物を煮立たせる道具を風呂に使用するとは、実に面白い発想。
「ふふ、ユタカは随分と風変わりなことを思いつくな」
「ウン? ソレ、チョットムズカシ」

「あ、そうか。ユタカは、すごいな」
「ウン、アリガト」
 私の純粋な感心という感想に、ユタカはにこやかな笑顔で応えた。
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