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偽りの姿

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 その日から毎日、デュランと遊ぶようになった。
 彼は私の手を引いて、様々な場所へと連れて行ってくれる。
 森の動物たちの休憩所になっている、鏡のように美しい湖。小魚たちが仲良く泳いでいる小川。村が一望できる、とても高い丘。

 デュランは木の上から、真下にいる私に果実を放り投げる。
 彼がくれた果実をなんとか受け取って頬張ると、甘酸っぱい味が口に広がった。
 デュランは木の上から幹を伝いスルスルと降りてきて、私の隣に立ち、同じように果実を頬張る。

 だけど、欲張って頬張りすぎたのか、彼は激しく咳込んでむせてしまう。
 私が心配して背中を擦ろうとすると、デュランは無理やり果実ごと咳を飲みこんだ。そして、よく日に焼けた傷だらけの笑顔を見せてくれた。

 私も笑顔で彼に応える。
 デュランと過ごす毎日は、夢のようなひと時。
 初めてできた人間のともだち。男の子と話すのも初めてだった。
 ずっと、ずっと、こんな楽しい毎日が続けばいいと願った。

 だけど……楽しい日々はあっけなく終わりを迎える。
 原因は、私の油断と不注意が招いたこと。
 いえ、いずれはそうなる運命。あるいは罪だったのかもしれない。
 あの日は、いつもより暑かった……。
 


――森の湖畔 


 この場所を毎日、デュランとの待ち合わせ場所に使っていた。
 約束の時間になっても彼は来ない。
 でも、待たされるはいつものこと。デュランはちょっとルーズなところがある。だから、気にしなかった。

 待っている間も、燦々さんさんと照りつける太陽。汗が頭から頬へ伝っていく。
 私は近くの木陰に移動して、腰を下ろした。
 そして、汗を拭うために、帽子を取ってしまったのだ。


「ミラ……」
「えっ?」
 聞き慣れた声が耳に届く。
 私はすぐに、目で声を追った。
 私から少し離れた場所にデュランが茫然と立っているのが目に入った。
 彼は全身を震わせながら、口をゆっくりと動かす。

「く、くろい、かみのけ……ま、魔女……?」
「いやっ!」
 私はすぐに帽子を被り、忌わしき黒髪を隠す。
 そして、跳ねるように立ち上がり、デュランに声をかけた。


「あのっ、わたしっ、わたしは……」
 ゆっくりと彼に近づいていく。
 だけど、近づくたびに、彼の表情が恐怖に彩られていくのがはっきりと瞳に映り込んでしまう。

「デュラン」
「く、来るな!」
 彼はいつも手にしていた木の枝を私に投げつけた。
 その枝は、常に彼が先頭へ立って歩き、私が歩きやすいように茂みや蜘蛛の巣を取り払ってくれていた木の枝。


 枝は私の側頭部を霞める。
 鋭く尖った枝の先端はこめかみを切り裂いていった。
 血が、頬を伝っていく。

「いつっ! デュラン……」
「あ、ああ、あああ、そんな」
 彼は怯えた声を上げながら、後ずさりをする。
 私はあとを追うように、一歩、彼に近づく。


「あのね、デュラン」
「あ、う、うわぁぁぁぁぁー」
 風に揺れる水音みなおとが満たす森に、彼の叫び声が広がる。

「待って、待ってよ。お願い! 待ってよっ、デュラァァン‼」
 私の叫び声は鳥たちの羽音と混じり合い、空しく森に吸い込まれていった。
 涙はボロボロと溢れ落ちて、頭から流れている血と混じり、地面へぽたりぽたりと落ちていく。
 幾度も涙に声を詰まらせながら、私は一人、森の中を歩き続ける。

 どこをどう歩いたのか、気がつくと家の前に戻っていた。
 家に入り、私は言葉にならぬ声で、母さまに仔細を伝えた。
 母さまは涙を流し続ける私をぎゅっと抱きしめて、頭の傷に手を添え癒しの魔力を宿す。
 暖かな光とともに、痛みが癒えていく。
 だけど、母さまの優しさは、もう一つの傷には届かなかった……。


――私たち一家は、その日の内に村を出た。


 父さまが流行り病の対策の指導をしていたと聞いていたが、それは私のせいで中途半端な形で終わりを迎えた。
 私たちが旅立ったのちに、村がどうなったのか、私は知らない。
 怖くて、誰かに尋ねることも、調べることもできなかったから……。
 デュランは無事でいてくれただろうか……彼に何かあったとすれば、それは全て私のせい。

 罪を背負った魔女であることを隠して、人間の女の子の振りをしていた罰。
 ズキリと、心が痛む。
 この痛みはデュランから受けた傷みではない。
 デュランは私を魔女と知って傷ついた。

 デュランが、私を傷つけたのではない。
 私が、デュランを傷つけた。
 この痛みは、私の愚かさが招いた結果……。
 

――

 今まで封印してきた過去の思い出。
 ユタカとの出会いで、触れたくない記憶が鮮明に蘇る。
 握り締めたままのドアノブを回し、部屋に入り鏡面台の前に座った。
 鏡の中の自分と見つめ合う。
 そこにあるのは、あの日と同じ姿。


「ほんと、キノコみたい……」
 魔女であることを偽る姿。魔女であることを隠す姿。魔女であることを否定する姿。
 しかし、真実を知ったデュラン。彼から向けられた眼は。
 魔女への恐怖……。

 視線は何の力も持たない。

 だけど、心を抉るには十分すぎる力。
 全ては遠い日の記憶なのに、心が痛い……涙が滲み出てくる。
 鏡に映るは、あの日と同じ罪深き自分。
 私は再び、過ちを繰り返すつもりなのだろうか? 魔女であることを偽り、不実を暴かれ、私とユタカの両方を傷つける愚かな行いを……。


(二度と負いたくない痛み。もし再び、ユタカから向けられたら、私はっ)
 手がガクガクと震える。
 もう一つの手で、震えを必死に抑えようとグッと掴むが、震えが激しくなっただけで収まる気配はない。

 互いに傷を負う前に、ユタカとは一日でも早く別れるべき。
 彼の足の傷は、もう癒えた。
 だから、森の外へと案内しても大丈夫。大丈夫なはずなのに……。
 忘れていた暖かさが、別れという決断をさせてくれない。

 心の中に言い訳ばかりが浮かんでくる。
 言葉も満足に話せないのに放り出すわけにはいかない。
 何者かわかるまでは引き留めておくべきだ。
 それに、もしかしたら、彼は、私をっ。


「バカっ」
 甘い考えが頭を過ぎるが、すぐに激しく頭を振って掻き消した。
 彼に真実を打ち明ける勇気もなく、手放す勇気もない。
「私の、臆病者……」
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