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男の子

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――ミラの過去


 もう、六十年以上前だろうか。
 これはまだ、年相応の姿をしていた私が父さまと母さまと旅をしていた頃の話。
 母さまはたとえ人間に虐げられようとも、世界の安寧に務めるという魔女の役目を全うしようとしていた。
 父さまはそんな母さまに惹かれ、共に旅するようになったそうだ。
 
 
 その旅での出来事。
 季節は夏――うだるような暑さが続く。

 流行り病の兆しを見せる村にて、学者だった父さまが病気の対策を行うと決め、しばらく滞在することになった。
 もちろん、母さまや私が魔女であることは隠して……。

 母さまは私と違い、子どものような容姿をしていなかっため、村への滞在は比較的容易だった。
 母さまの容姿が幼くないのは、大戦時、すでに二十四歳であったからだ。おかげで年を取らぬ呪いは、母さまを二十四歳の姿のままで固定している。
 
 二十四という若々しい容姿で生きていけることは、他種族から見れば羨ましく感じるであろう。
 当時は私もピンとこなかったが、永遠に子どもの姿でいる今の私からみれば、とても羨ましい姿だ。
 また、羨望に輪をかけるように二十四歳の母さまの容姿は、とても美しい女性であった。
 私のような破壊の司る深紅の瞳とは違い、慈愛と癒しを司る深緑の瞳を持ち、常に暖かさと優しさと笑顔を絶やさないお方だった。


 しかし、母さま自身は美しい姿のままであり続けることを、好ましく思っていなかったように感じる。
 直接訪ねたことはないので、本当のお気持ちはわからないけど……。
 女神様が我ら魔女への罰に、このような不老の呪いを授与した理由はなんだろう?
 理由は、誰にもわからない……。


 以前も少し触れたが、大戦時に存在していた全ての種族は女神様の御力により、大戦の理由となった記憶を失っているからだ。
 そのため、二百年前に魔女たちが女神コティラ様に弓を引いた理由も、呪いが不老である理由も不明となった。 
 何故、罰の不老はともかく、女神様は大戦時の記憶を消すという御力を行使されたのだろうか? 
 しかし、女神様の御心など、我ら女神様に仕えし者たち如きが思いを図れるはずもない。

 それに、女神様の御心に疑問を浮かべるということは、女神様へ疑いを持っていると公言しているのと同然。
 女神様へ赦しを乞うている我ら魔女が、絶対に行ってはいけない行為……。
 そう、赦される日まで、人の振りをして怯え続けなければならない。


 私たち家族は人間の旅人の振りをして村外れに家を借り、母さまは重い病気を患っているという理由を使って、なるべく家から出ることを避けた。

 どうしても外に出る必要がある時は、魔女の象徴である黒髪を帽子で隠す。
 私も母さまと同じように、外に出るときは帽子をかぶっていた。
 そして、村の人と出会わないように、森の奥で毎日一人で遊んでいた。
 

 そんなある日のこと。
 森で人形を使ってママゴトをしていると、いきなり後ろから話しかけられた。

「お前、誰だよ?」

 ビクリと身体を震わせて、怯えながら後ろを振り向く。
 そこには丈夫そうな木の枝を振り回している、身体中擦り傷だらけの赤みがかった茶髪の男の子が立っていた。

「だ、だれ、わたしに何か用?」
「べ~っつに、用はないけどさ。見たことない奴がいるから、誰だと思ってな。あ、俺、デュラン。お前は?」
「え、わ、わたし?」
「そうだよ、お前以外に誰かいんのか?」
「そ、その、わたしはミラ」
「ミラね。お前、ちゃんと食べてるか? 棒みたいで弱そうだぞ」

「棒……」
「なんだよ、怒ったのか?」
「別に、そんなのは」
「ふーん。で、一人で何してんの? もしかして、一人で人形遊びかよ」
「う、うん」


 私は一人で遊んでいたことを恥ずかしく感じて、人形を後ろへと隠す。
 デュランという男の子は、その態度をちょっと勘違いして受け取った。
「何してんだよ? 別に女の人形なんか取らねぇぞ。んなことより、一人で遊んでるんなら、俺と遊ばね?」

「え?」

「いやさぁ、旅の学者だか何だかが流行り病の対策とか言い出して、それが終わるまで、子どもはみんな外で遊べないんだよなぁ。で、暇してるわけ」
「おこられるよ……」

「そんときはそんとき。だいたい、お前だって外で遊んでんじゃん」
「そうだけど」
「じゃ、決まりだな。んじゃ、俺の秘密基地に案内してやるよ」
「ひみつきち?」
「ああ、村のみんなは誰も知らないんだぜ。だからミラ、光栄に思えよ」


 デュランは私の返事を待たずに、手を引いて歩き始めた。
 手から伝わってくる温もりに、心は弾けるようにドキドキしている。
 デュランは私でも歩きやすい道を選び、手にしている木の枝で茂みをかき分けながら進んでいく。


「なぁ、ミラ?」
「なに?」
「なんでお前、帽子かぶってんの? 髪の毛でパンパンじゃん、暑いだろ?」
「それはっ」

 口から心臓が飛び出しそうになった。
 恐怖で思わず、デュランの手を強く握りしめてしまう。
 すると、急にデュランは立ち止まり、私の方を振り向いた。

「ふーん、まぁいいさ。言いたくないなら。でも」
「で、でも?」
「何だか、キノコみたいだな。あははっ」
「ムッ、えいっ!」
 私は持っていた人形をデュランに投げつけた。

「ぶへっ」
 人形は見事に顔に命中し、デュランは顏を押さえてもだえる。
「あ、ごめんなさい」
「いいよ、別に。俺の口が悪かったからだし。でも、さっきのは間違ってたな」
「なにが?」
「ミラは全然弱くねぇ。めっちゃつえーや」
「もうっ」


 私は手をキュッと握って振り上げる。
「おお~こえ~、わりぃわりぃ。やめて下さいよ~、ミラ様~」
「もう~、ふふふ」

 デュランのおどけた様子に、自然と笑いが零れる。
 ずっと旅をしてきて、父さまと母さま以外の人に向けた、初めての笑顔。
 これが、デュランとの出会いだった。
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