マヨマヨ~迷々の旅人~

雪野湯

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第三十一章 それは何者にも覆すことのできない、絶対と奇跡の物語

さよなら、みんな

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「アマン」
 名を呼ばれたアマンは、海賊帽を手に取り、胸に当てた。


「奇妙なえにしでしたね」
「ああ。だけど、とても良い縁だった」
「ええ、そうですね」

 ヤツハはとても愛らしいアマンの全身をすっぽりと瞳に取り入れる。
 瞳に浮かぶのは淫猥な色。
 その瞳にぞぞっとアマンの背に寒気が走った。

「もっと、アマンと仲良くなりたかったなぁ」
「やめてください。目がエクレルさんと同じになってますよ」
「え、うそっ?」
「まったく、最後の最後まで猫扱いですか?」
「猫だと思ってないよ」
「それじゃあ?」
「とってもかわいい女の子だと思ってる」
「にゃっ?」


 アマンの耳と猫髭をピンと張った。
 しかし、すぐに柔らかく降ろす。
「ふふ、私を口説くのは十年早いですよ」
「それはちょっと子ども扱いしすぎだろ?」
「いえいえ、ヤツハさんは可愛らしい私の妹です」

「ははは、アマンには敵わないなあぁ。そうだ、アマンの国にある古の軍船のことなんだけどさ」
「それがどうかしましたか?」
「あの船は俺の国の誇りと呼ばれた船なんだ。大事にしてやってくれ。俺の世界では悲しい最期を迎えたけどね」

「そうですか……貴方の国の誇り、我が人猫じんびょう族の誇りと共に、道を歩み続けることを約束します」


 アマンから誓いを受け取り、視線をパティへと移す。
「パティ」
「はい、ヤツハさん」
「道は見つかったか?」

 パティは視界を大きく開き、仲間たちを一人ずつ瞳に映していく。
「わたくしの道は見つかりました。ですが……」
「どうした?」
 
 パティは扇子を抱くように胸の中心で両手を合わせた。
「もっと、色んな道を欲しがっているようです」
「貪欲だねぇ」
「もっと良い言葉を使ってくださりません? 向上心とか」
「すいませんね、根が下品なもので」

「ふふ、その方がヤツハさんらしいですけど……わたくしは友と一緒に道を歩みます。ですが、同じ道を歩むという意味ではありません。道は違っても、志は繋がっている。わたくしは友の知らぬ道を作り、知らない世界を見せて差し上げますわ」


 ヤツハはパティを笑顔で送り出し、フォレに顔を向けた。

「フォレ」
「ヤツハさん」
 
 ヤツハはフォレの傍に近づき、両手で彼の顔を挟む。
「おりゃっ」
「くぇ? やつふぁさん?」
「お前は難儀な奴に惚れたなぁ。だから言っただろ、悪い女に騙されるって」

 フォレはヤツハの両手を握り、頬から放す。

「そんなことはありませんよ。見る目はたしかだと思ってますから」
「どうだか? フォレ……」

 ヤツハはフォレを抱きしめる。
 そして、背伸びをして、頬をフォレの頬にくっつけた。

「俺はお前に応えてやれない。これが精一杯。でも、俺がもし、純粋な女だったらお前の思いに応えてやることができた。いや、俺はお前のことをきっと……」

 二人はゆっくりと体を離す。

「じゃあな、フォレ」
「はい、あなたと出会えて、ほんとうに良かった」

 フォレは瞳に涙を浮かべず、しっかりとヤツハの姿と微笑みを目に焼きつける。
 ヤツハはフォレに微笑みを渡して、視線を自分の隣に向けた。

(ヤツハ、いいのか?)

 彼女の隣には小さなヤツハがいる。
 少女はアプフェルをチラリと見て、笠鷺へ首を振った。
 笠鷺は少女のヤツハの頭を撫でる。

(優しいな、お前は……おいで)
 少女のヤツハは笠鷺を抱きしめ、二人は一つとなる。

 
 一つとなったヤツハはアプフェルを瞳に抱いた。

「アプフェルっ!」
 彼女は駆け寄り、アプフェルを強く抱きしめる。
「すまないっ。本当にすまないっ!」
「いいの、大丈夫だから」
「よくないっ。お前にどれだけの負担を掛けたのか。一人で孤独に戦い続けたお前に俺は何もしてあげられなかったっ!」
「ううん、違うでしょ。次はあなたの番」
「え? あれ……そうだっけ?」


 うつろいゆく、記憶たち。
 脳の崩壊が進み、情報の曖昧さが増している。

「くそっ、自分のことがわからなくなっている!」
「たぶん、そういう決まり事なんだと思う。でも、全てを忘れても、あなたは私を助けてくれる」
「俺が、アプフェルを?」
「ヤツハ。私のことを頼んだよ」

 
 アプフェルは両手でヤツハを包む。
 もはや、ヤツハには何が起こっているのか理解は及ばないが、彼女の信頼だけははっきりと心の中に宿った。

 
 アプフェルは両手をほどく。
 ヤツハもまた両手をほどき、顔をアクタで出会った家族へと向けた。


「トルテさん、ピケ……」
 トルテはヤツハに歩み寄り、彼女を両手で包み込んだ。

「ヤツハ、よく帰ってきたね」
「はい、トルテさん」
「でも、寂しくなるね……」
「すみません、トルテさん」
「ふふ、いいんだよ。ほら、こういう時は笑顔じゃないと」

 トルテは優しくも力強くヤツハを抱きしめる。
 それは母が我が子へと贈る愛。
 空よりも広く海よりも深い愛で彼女を包み込んでいく。



 トルテはヤツハを包んでいた両手を彼女の頬に持っていく。
 包まれた頬には暖かさが伝わる。
 暖かさは、ヤツハに笑顔を産む。
 
「そう、笑顔。ヤツハ、あんたは私の娘なんだから、そうじゃないと」
「トルテさん……」
 
 ヤツハはトルテの胸にトンと頭を置いた。
 そこから大きく息を吸って気持ちを落ち着かせ、もう一度トルテに笑顔を見せる。

「ありがとう、トルテさん。あなたのような母を持てて、俺は幸せです」
「私もヤツハのような娘が持てて、幸せだよ」


 トルテから瞳を下へ動かす。
「ピケ」
「お姉ちゃん……」


 ピケは瞳に涙を溜めている。
 ヤツハはピケに視線を合わせるように、少し身を屈めた。

「おいおい、せっかくの美人さんが台無しだぞ」
「お姉ちゃん、行っちゃうの?」
「……ああ」

「…………やだ……」
「ピケ?」
「やだ……行っちゃいやだ!」

 ピケはヤツハにしがみつく。
「やだよ、お姉ちゃんっ。行かないで、ずっと一緒にみんなと居ようよ」


 ピケの言葉は誰もが言い出せなかった言葉だった。
 皆の心にはヤツハとの別れが必然として宿っていた。
 だから、誰もそれを口にしなかった……。
 でも、ピケは違う。
 ピケの幼い心は自分に純粋であり、正直な思いをヤツハにぶつける。


「もう、いやなことなんてないよ、お姉ちゃん。みんなと一緒にずっと楽しく過ごせんるんだよっ。旅行の約束だってまだ残ってる! なのにどうしてっ!?」
「旅行か……」
 ヤツハはみんなと仲良く旅行へ行ったという時間を生み出そうとした。
 しかし、それは偽りのもの。
 いや、運命を操る者としては、それは本物であり『そうだ』とさせるが、一人の人間の心としては偽り。
 
 彼女は力を消して、言葉だけを渡した。

「俺だって、みんなと別れたくないさ」
「だったらっ」
「でも、俺にも待っている家族がいるんだ。俺がいなくなって親父や母さんや妹の柚迩ゆにが悲しんでいることを知った。だから、戻らないと……」
「お姉ちゃんの家族が……?」
「うん。だから、ごめん」


 ヤツハはそっとピケの頭を撫でる。
 それはとても暖かくてくすぐったいもの。
 ピケはずっとその心地良さを味わっていたかった。
 だけど……。

「そっか……待っている人がいるんじゃ、仕方ないよね。しかた、ない、よね……」
 ピケの瞳から涙が零れ落ちる。
 ヤツハはそれを抱きしめて、全てを受け止める。

 
 少女の泣き声だけが草原に響く。
 だが、それもやがては流れゆく風に消え、ピケはヤツハから体を離した。
 真っ赤になった瞳に手をこすりつけて、涙を拭う。
 そして、声を大きく張り上げた。


「お姉ちゃん、元気でね!!」
「ふふ、ピケは強いな」
「だって、お別れは笑顔じゃないと。お母さんにいつも言われてるもん」
「そっか」
「それに……お姉ちゃんの妹だもん!」
 とびっきりの笑顔を見せる。
 ヤツハもそれに応える。
「おう、そうだな。ピケ!」

 彼女は右手を伸ばし、その手の中にガガンガの髪飾りを産んだ。
 ピケもポケットからガガンガの髪飾りを取り出す。

 二人は髪飾りに視線を向けて、次にティラへ移した。
 ティラも髪飾りを手に取り、二人へ向けている。


 ヤツハは立ち上がり、ここに集まった仲間たちの一人一人をしっかりと瞳に映していく。
 そして……。


「じゃあな、みんな。今まですっげぇ楽しかったぜ! ……あ、そうだ!」


 いきなり、ヤツハは何もない場所を殴りつけた。
 その奇妙な行動に、一同は首を捻る。
 ヤツハ自身も自分が何をしたのかわからないようで首を捻っている。

 ヤツハは両手を軽く上げて、いまの行動を忘れることにしたようだ。
 そして、指を二本揃えて、元気よく前に飛ばし、姿を消していった。



 そこには初めから何もなかったかのように、草原だけが広がる。
 パティはため息をつくような言葉を漏らし、アマンがそれに答える。
「最後のは何だったんしょうね?」
「さぁ、皆目見当もつきません」
「ふふ、最後の最後までヤツハさんらしい奇妙な行動でしたわね」

 
 寂しくも柔らかな笑みを浮かべる二人の傍で、フォレはくしゃりと顔を歪め、片膝を地面に着いた。
 そして、肩を震わせる。

「クッ、ヤツハさん……」

 彼は感情を抑えようとするが、それは叶わず、頬を濡らしていく。
「すまない、みんな。今だけは、今だけは許してくれ」
「フォレ様」

 アプフェルが隣に立ち、震えるフォレをそっと支えた。


 
――こうして、ヤツハがアクタで紡いできた物語は終わりを迎えた。
 彼らには、これからも希望と困難が溶け合う物語が続いていくだろう。
 だが、彼らは皆、ヤツハと共に物語を駆け抜けてきた仲間たち。

 彼らは手を取り合い、必ず希望を手にし続ける。
 


――

 景色が揺らぎ、笠鷺の目の前には、あの日の駅前の姿が広がった。
「戻ってきた……」

 彼は自身の右手を見つめる。

(魔力が残ってる。そして、以前戻ってきた時と同じように、マフープに似た力を感じる。マフープよりも弱い力だけど。それに……)

 彼は自身の持つ力とは異なる力を感じる。
 それは運命の欠片。
 僅かに残る運命の力が彼には宿っている。

(さて、残りカスみたいな力だけど、しゃーない。おまけだぞっ)

 笠鷺の左側から闇が迫る。
 それをひょいっと交わして、闇が手に持っていた刃物を消し去った。
 そして、闇である、殺人鬼の瞳を覗き込んだ。

「こんなことをしても、お前の心は癒されない。お前自身を傷つけるだけだ。だから、もうやめろ。お前が真っ直ぐと道を歩むならば、俺がお前を寂しさから守ってあげるから……」

 運命の力が殺人鬼の青年の瞳から飛び込み、彼の心を包む。
 青年はふらふらとよろめき後ずさり、近くの植木のふちに腰を掛けた。
 そして、彼は両手で自分の顔を隠して、止め処ない涙を流し続ける。

 彼の様子を目にして、笠鷺は安堵の声を漏らす。
「まったく、この俺が殺人鬼を救うとはね。これで、全部終わりかな? いや、もう一人いたな」
「笠鷺!」


 名を呼ばれ、笠鷺は振り向いた。
 そこには中学生としての近藤の姿が。

「よ、近藤」
「遅れてごめん。早く行かないと映画が始まっちゃうね」
「映画はもういいよ。それよりも、俺に話したいことがあるんだろ?」
「え?」

「もう、七十年も待つ必要はない。その代わりに時間はたっぷりある。だから、お前の言葉を、気持ちを、俺に教えてくれ」
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