マヨマヨ~迷々の旅人~

雪野湯

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第十九章 大空の支配者

時と空間を司る龍

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 山のように大きな影が一瞬だけ太陽を横切り隠した。
 影は太陽を背にして大地へ降り立つ。

 白銀の鱗に覆われた羽は土の嵐を産み、小さき者たちの肺を砂に埋める。

 総身そうしんは鋭利なやいばの鱗に包まれ、触れる者を切り刻む。
 紫焔を纏い、瞳は星の煌めきを紡ぐ金の色。

 人の視線を空の彼方へと導く巨体。

 全てのしゅいて最も恐れられる存在。
 頂点に立つ種族――その名は、龍。


 
 俺は荷馬車の上から、ソレを見上げた。
「なにこれ、デカすぎるだろ……」

 龍……物語だけで知る存在。常に最強クラスの敵として現れる。
 物語では人に退治される結末を迎えるが……。

「こんなの、どうしろと……」
 首を空高く逸らしても、視線は届かず。
 小さな人で戦うなど絶対に不可能に見える。

 エクレル先生とノアゼットは同時に馬車から飛び降りて、俺たちを守るように前に立った。
 そして、二人は呟く。

「最悪な状況ですね、ノアゼット様。死期を迎えた龍なんて。それも神龍」
「ああ。巨大すぎる力ゆえに、死の渇きを癒すことができなかったようだ」
 
 二人はめつすがめつ龍を見る。
 俺もそれに倣って、龍を見た。
 白銀の龍のあちらこちらに血の跡がついている。
 
 
――彼は血化粧を纏う大空の支配者――


「これは? 先生、あの龍はいったい?」
「以前、話したことを覚えてる? 龍はね、死期が近づくと身に宿す魔力が暴走を起こすの。その暴走を少しでも軽減するために、龍は戦う。でも、この龍は軽減に至れなかった……」

「ああ、そのことですか? でも、それって……ここで暴走するってことですかっ!?」
「そうなる。そして、そうなってしまったら、この一帯は全て吹き飛ぶことになる。だから、私たちが少しでもっ」


 先生は声を強めて指示を飛ばす。

「ヤツハちゃん、結界で馬車を覆ってっ! 私が持っていた荷物の中に、結界を増幅させる道具があるから、それを使って!」
「え? は、はいっ」

 先生が持っていた買い物袋を開ける。
 中には結界用の道具の他に、傷薬なども混じっていた。
 そこに俺は違和感を覚える。

(あれ、なんで戦いに必要な道具が一式?)
 
 まるで、こうなることがわかっていたかのような道具類。
 考えてみれば、先生は魔導杖まどうじょうの手入れも行っていた。

(まさか?)

 先生に視線を振る。
 先生はまだ何も始まっていないのに、額から汗を落としている。
 その様子から、龍の出現を予測していたとは思えない……。

(たまたまか? まぁいい。とにかく、結界を張らないと!)

 俺は結界を増幅する魔石を荷台にばら撒く。
 そして、空間魔法を溶かし込んだ強固な結界を張った。

 それを見届けた先生とノアゼットは龍へと近づいていく。
 俺は先生たちへ言葉を送る。


「戦うんですよね?」
「そうなるわね」
「ここで我らが相手せねば、甚大な被害が出るからな」

 ノアゼットは龍を見つめる。
 俺も彼女の視線を追い、龍を見上げた。

 龍は鋭い牙を見せて、口からは紫煙を吐いている。
 その姿を見ただけで恐怖が全身を駆け抜ける。

「こ、こんなの……で、でも、二人なら大丈夫ですよね?」

 ノアゼットは龍に匹敵する力を持つという、六龍将軍の一人。
 エクレル先生は過去に龍を撃退した実績を持っている。
 そんな二人が組めば、龍の一匹、何とかなるだろう。


 そう思っていたが、先生は声を弱く出す。

「並みの龍なら任せなさい、と、胸を張るところだけど、相手は龍の中でも神の名を頂く、神龍。時と空間を司る龍『トーラスイディオム』。彼の最期を受け止められるかどうか……」
「え?」

「トルテ殿。ゆっくりと馬車を後ろへと下げろ。もっとも、一度ひとたび戦いが始まれば、意味はないだろうが……」

 ノアゼットの言葉を受けて、トルテさんはそっと馬へ鞭を打つ。
 しかし、馬は怯え、いななきを上げることもできず震えている。

「クッ、ダメだね。ノアゼット様、私たちは走って逃げた方がよろしいでしょうか?」
「いや、ヤツハの結界に守られている馬車にいる方が幾ばくかは安全だろう。ヤツハよ。頼んだぞ!」
「はい……」


 ノアゼットと先生は龍の待ち受ける場所へと歩いていく。
 俺はトルテさんたちの様子に意識を向ける。

 トルテさんは必死に馬を宥めようとしている。
 その隣でサダさんは馬鹿みたいに口を大きく開けて、じっと龍を見ていた。
 ピケは目を閉じて、祈りを捧げるかのように両手の指を絡めて組んでいる。
 小さな拳は小刻みに揺れる。

「ピケ」
「お、おねえちゃん……」

 揺れる拳を大きな拳で包む。

「大丈夫。最悪、先生の転送魔法で逃げることができるから」

 この声が聞こえていたようで、先生が言葉を返してきた。
 それは終焉を一層鮮やかに彩るもの。

「ヤツハちゃん、残念ながらそれは無理よ」
「え、どうして?」
「龍にばかり意識を集めるんじゃなくて、周囲にも向けなさい」

 俺は言われた通り、周りへ意識を傾けた。
 
「結界? 干渉しているのは龍の魔力?」
 
 死を間近に迎えた龍は自身から生み出される魔力の波動をうまく制御できていないようだった。
 それが周囲を満たし、魔力の源マフープに影響を与え、結界のようなものを生み出している。
 これでは転送魔法は使えない。

「最悪……」
「そうね。ヤツハちゃんは結界に集中してて、私たちは神龍の力を削げるだけ削いで見せるから!」

 
 言葉の最後に力を籠めて、先生は杖を強く握り締める。
 彼女の身の内より、嵐のような紫光の魔力が噴き出す。

 ノアゼットは女神の黒き装具であるガントレットに魔力を送る。
 紅炎が立ち昇り、彼女の全身を包み込む。

 二人を包む空間は力に翻弄され、陽炎のように歪む。
 だけど、その力も、時と空間を司る神龍トーラスイディオムの前では、多くの小さき人のものと変わらない。

 
 ノアゼットと先生は龍へ語りかける。

「我らでは不足であろうが、神龍トーラスイディオム殿の最期の手向けとなろう」
「空間を操る魔法使いとして、時と空間の長たるトーラスイディオム様のお相手と成れること、光栄でございます」

 おくり手となる二人に、トーラスイディオムはとても深く廉潔れんけつたる透明な声を響かせる。

「面倒をかけるな。人の子らよ。死を見誤ったれの後始末をさせるとは」

「いや、最強とうたわれる龍と交えること。このノアゼット=シュー=ヘーゼル。六龍の名を持つ者としての誉れ」
「空間の名を冠する龍。私、エクレル=スキーヴァー。恐怖はありますが、赫々かっかくたる思いもあります」

「有名たる六龍のノアゼットに、風龍を退けたエクレルか。フフ、人とはいえ、が最期を見届けるには相応しき者たち……いざ、が渇きを癒し、鎮めてみせよ!」
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