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第九章 駆け抜ける日常
忍び寄る影
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俺はティラが呟いた女性の名に惹かれ、声が聞こえた後ろへ振り返った。
いつから、彼女はそこにいたのか?
真後ろには胸元に小さな歯車のような金のペンダントをつけた、黒い修道服姿の若い女性が立っていた。
「えっと、どちら様?」
「あら、ごめんなさ~い。私は~、大聖堂に仕える司教アレッテと申しますぅ。そして、そちらのぉ、『ティラ』ちゃん? の教育係も務めているんですよ~」
司教を名乗るアレッテという女性は糸のように細い目の隙間から、鋭い眼光をティラにぶつける。
さらに、彼女は教育係とも名乗った。
ということは……王女様の教育係……ってことは……ヤバくねっ。
慌て、ティラに耳打ちをする。
「おい、この人って、お前の教育係ってことは城の関係者かよっ?」
「あ、ああ、私の教育係、悪魔のアレッテだ」
「悪魔はともかく、抜け出したことバレてんじゃねぇか。どうすんだよ!? 隠し通路の件もバレてるんじゃ!? 俺の首が飛ぶぞ!」
「安心せい。そこは誤魔化してみせる。以前話したと思うが、抜け道はいくつか用意してある。その一つを犠牲にすればよい。それよりも、逃げるぞ!」
「逃げてどうすんだよっ? 詰んでるだろ。お祈りをさぼって、王都で遊んでたこと!」
「だから、逃げるのだっ。捕まったらどうなることかっ!!」
「し~、馬鹿、声がでかい」
「あら、あら、私から逃げられると思っているんですかぁ~、ふふふふ~」
「「ひぃっ!」」
アレッテは朗らかに笑う。
だが、その身から湧き出る気配は明らかに常人の者じゃない。
俺は覚悟を決めた…………ティラを捧げようと。
「ピケぇ、どうやらティラのお身内の方がお迎えに来たみたいだよ。残念だけど、今日はここでお開きってことで」
「え、そうなの~。それじゃあ、しょうがないよね」
「そうだね。では、俺たちは帰ろうか」
ピケの手を握り、歩き出そうとする。
しかし、俺の腕をものすご~っく強く引っ張る者が……。
「待て、どういうつもりだっ?」
「どうもこうも、もう、どうしようもないだろ。悪いが、あとは一人で頑張ってくれぇ」
「見捨てる気かぁ。私がどうなってもいいのかぁ」
「すまん、俺にやれることはない。あの、アレッテさん」
「はい、なんでしょう~?」
「今日は 偶然ティラちゃんとお会いできたおかげで、私とピケともども、楽しく過ごさせていただきました」
「そうですかぁ~、こちらこそお世話様ですぅ」
と、話しつつ、アレッテは暴れ狂うティラを右脇にグッと抱える。
見た目は線の細い女性だけど、かなりの力持ちだ。
脇の中ではティラが激しい抵抗を見せている。
「はなせ~、はなせ~、お仕置きは嫌なのだ~。助けるのだ~、ヤツハ~ヤツハ~」
うぐっ、半泣き状態で俺の名前を呼び、助けを叫ぶ姿に、罪悪感という刃が心にグサグサと……しかし、庇ってやることはできない。
(すまん、ティラ。墓前には揚げパンを供えてやるからな。南無)
俺は心の中で念仏を唱える。
だが、成仏などさらさらする気のないティラは、今もアレッテの腕の中でもがき、助けろと俺の名前を叫ぶ。
その叫びを聞いたアレッテは、指先を顎に置き、首を傾げながら俺の名前を呼んだ。
「ヤツハ? もしかして、あなたがあのヤツハちゃんなの~?」
「はい? どこかでお会いしましたっけ?」
「いえいえ、ノアちゃんからぁ、話を聞いただけですぅ」
「ノアちゃん? 誰?」
「ノアゼット=シュー=ヘーゼル。お菓子屋さんでぇ、困っているところをぉ、助けてくれたんですってねぇ」
「え? ああ、あのときか……って、待てよ。じゃあ、あんたがノアゼットに買い物を頼んだ人なのっ?」
「ええ、そうですよぉ。うふふ~」
何とも緩い笑い声を上げるアレッテ。
佇まいはお淑やかでやんわりとした女性。
しかし、あのノアゼットをちゃん付けで呼び、さらにはお菓子を買いに行かせることのできる人物。
これは、完全に見た目では判断できないヤバい人だ!
「ヤツハちゃん」
「はいっ、なんでしょうか?」
「ノアちゃんを助けてくれてぇ、ありがとう」
「いえ、そんな」
「あの子、なかなか誰かからぁ、助けてもらうなんてことないから~、とっ~ても喜んでいたわよぉ」
「そうですか。まぁ、ちょっととっつきにくい人ですからね。ほんとは、優しい人なんだけどなぁ」
お菓子屋に入りづらかったのは、先にいた親子の団欒を邪魔しないため。
とても、優しい人。
俺の言葉を聞いたアレッテさんは、少しだけ声を振るわせて、細い瞳の奥に慈愛を浮かべる。
「ノアちゃんのことを優しいだなんてぇ。よかったわねぇ、ノアちゃん。あなたのことを理解してくれる人がいて~」
彼女の暖かな雰囲気から、ノアゼットのことを大切に思う気持ちが伝わってくる。
しかし、そんな雰囲気をぶち壊す、カラスのように騒がしいだみ声がアレッテさんの右脇から響く。
「は~な~せ~、私はもう少し遊ぶのだぁ~っ」
「もう、たくさん遊んだでしょう~。だからぁ、おうちに戻ったら、お説教~」
「い~や~っ」
ティラはアレッテさんをバシバシと叩くが一切動じない。
彼女はティラの足掻き無視して俺に近づき、耳そばでささやく。
「今日は~、ありがとうございますぅ。ブラン王女に、お付き合いいただいてぇ」
「え……あ、はい」
アレッテさんはニコリと微笑むと、喚き叫ぶティラを抱えて立ち去っていった。
「はは、何もかもお見通しって感じか。せめて、隠し通路の件はバレてなきゃいいけど」
「かくしつうろ? な~に、それ? ヤツハおねえちゃん」
「なんでもない。俺たちも帰ろっか」
「うん……ティラちゃん、また会えるかな?」
「さぁ、どうだろねぇ。会えるといいな……あ、ピケの服!」
服の回収を完全に忘れていた。
どうしようかとピケに目を向ける。
ピケは満面の笑みを見せて、こう答える。
「いいよ、今度で。だって、もう一度会えるってことだもん」
「ははは、ピケはすごいな」
ピケの前向きなものの考え方が心に響く。
俺よりもずっと年下なのに、とても良くできた子だ。
俺はピケの頭を撫でる。
ピケはちょっと照れたように、手をもじもじさせる。
その手を握って、二人仲良く宿屋『サンシュメ』に帰宅しようとっ!?
――カササギリョウ――
(えっ!?)
どこからか、年老いた男の声が俺の名を呼んだ。
しかも、その名前は地球にいた頃の、男としての名前!
俺は周囲に顔を振る。
しかし、周りの人々は何事もない様子を見せている。
どこにも、名前を呼んだと思われる人物は見当たらない。
「ヤツハおねえちゃん、どうしたの?」
ピケは俺の様子を心配して声を掛けてくる。
「い、いや、なんでもない。たぶん、気のせいだ」
「うん?」
「今日は疲れたからな。早く帰って、夕ご飯にしよう」
俺はピケの手をしっかりと握って、足早に我が家に戻っていく。
たしかに聞こえた、名を呼ぶ声に怯え、逃げるように……。
――――ヤツハはピケとともに去っていく。
ヤツハの後ろ姿を、カレは無辺の静寂の内に見ていた。
カレは街を行き交う人々の間で、青い襤褸を纏って立っている。
その姿は誰が見ても異様なモノ……だが、街の者は皆、カレの姿が目に映らないかのように通り過ぎていく。
カレは、マヨマヨ。迷い人。
迷い迷いて迷いざるを得ない旅人……。
カレは点となったヤツハを見つめながら、灯薄い掠れた声を漏らす。
「地球で後悔の七十年。時無き積木の世界、アクタに訪れ、焦がれた三年。ようやく、会えた……笠鷺、待っていろ。私が必ずっ、君を助けてみせる!!」
いつから、彼女はそこにいたのか?
真後ろには胸元に小さな歯車のような金のペンダントをつけた、黒い修道服姿の若い女性が立っていた。
「えっと、どちら様?」
「あら、ごめんなさ~い。私は~、大聖堂に仕える司教アレッテと申しますぅ。そして、そちらのぉ、『ティラ』ちゃん? の教育係も務めているんですよ~」
司教を名乗るアレッテという女性は糸のように細い目の隙間から、鋭い眼光をティラにぶつける。
さらに、彼女は教育係とも名乗った。
ということは……王女様の教育係……ってことは……ヤバくねっ。
慌て、ティラに耳打ちをする。
「おい、この人って、お前の教育係ってことは城の関係者かよっ?」
「あ、ああ、私の教育係、悪魔のアレッテだ」
「悪魔はともかく、抜け出したことバレてんじゃねぇか。どうすんだよ!? 隠し通路の件もバレてるんじゃ!? 俺の首が飛ぶぞ!」
「安心せい。そこは誤魔化してみせる。以前話したと思うが、抜け道はいくつか用意してある。その一つを犠牲にすればよい。それよりも、逃げるぞ!」
「逃げてどうすんだよっ? 詰んでるだろ。お祈りをさぼって、王都で遊んでたこと!」
「だから、逃げるのだっ。捕まったらどうなることかっ!!」
「し~、馬鹿、声がでかい」
「あら、あら、私から逃げられると思っているんですかぁ~、ふふふふ~」
「「ひぃっ!」」
アレッテは朗らかに笑う。
だが、その身から湧き出る気配は明らかに常人の者じゃない。
俺は覚悟を決めた…………ティラを捧げようと。
「ピケぇ、どうやらティラのお身内の方がお迎えに来たみたいだよ。残念だけど、今日はここでお開きってことで」
「え、そうなの~。それじゃあ、しょうがないよね」
「そうだね。では、俺たちは帰ろうか」
ピケの手を握り、歩き出そうとする。
しかし、俺の腕をものすご~っく強く引っ張る者が……。
「待て、どういうつもりだっ?」
「どうもこうも、もう、どうしようもないだろ。悪いが、あとは一人で頑張ってくれぇ」
「見捨てる気かぁ。私がどうなってもいいのかぁ」
「すまん、俺にやれることはない。あの、アレッテさん」
「はい、なんでしょう~?」
「今日は 偶然ティラちゃんとお会いできたおかげで、私とピケともども、楽しく過ごさせていただきました」
「そうですかぁ~、こちらこそお世話様ですぅ」
と、話しつつ、アレッテは暴れ狂うティラを右脇にグッと抱える。
見た目は線の細い女性だけど、かなりの力持ちだ。
脇の中ではティラが激しい抵抗を見せている。
「はなせ~、はなせ~、お仕置きは嫌なのだ~。助けるのだ~、ヤツハ~ヤツハ~」
うぐっ、半泣き状態で俺の名前を呼び、助けを叫ぶ姿に、罪悪感という刃が心にグサグサと……しかし、庇ってやることはできない。
(すまん、ティラ。墓前には揚げパンを供えてやるからな。南無)
俺は心の中で念仏を唱える。
だが、成仏などさらさらする気のないティラは、今もアレッテの腕の中でもがき、助けろと俺の名前を叫ぶ。
その叫びを聞いたアレッテは、指先を顎に置き、首を傾げながら俺の名前を呼んだ。
「ヤツハ? もしかして、あなたがあのヤツハちゃんなの~?」
「はい? どこかでお会いしましたっけ?」
「いえいえ、ノアちゃんからぁ、話を聞いただけですぅ」
「ノアちゃん? 誰?」
「ノアゼット=シュー=ヘーゼル。お菓子屋さんでぇ、困っているところをぉ、助けてくれたんですってねぇ」
「え? ああ、あのときか……って、待てよ。じゃあ、あんたがノアゼットに買い物を頼んだ人なのっ?」
「ええ、そうですよぉ。うふふ~」
何とも緩い笑い声を上げるアレッテ。
佇まいはお淑やかでやんわりとした女性。
しかし、あのノアゼットをちゃん付けで呼び、さらにはお菓子を買いに行かせることのできる人物。
これは、完全に見た目では判断できないヤバい人だ!
「ヤツハちゃん」
「はいっ、なんでしょうか?」
「ノアちゃんを助けてくれてぇ、ありがとう」
「いえ、そんな」
「あの子、なかなか誰かからぁ、助けてもらうなんてことないから~、とっ~ても喜んでいたわよぉ」
「そうですか。まぁ、ちょっととっつきにくい人ですからね。ほんとは、優しい人なんだけどなぁ」
お菓子屋に入りづらかったのは、先にいた親子の団欒を邪魔しないため。
とても、優しい人。
俺の言葉を聞いたアレッテさんは、少しだけ声を振るわせて、細い瞳の奥に慈愛を浮かべる。
「ノアちゃんのことを優しいだなんてぇ。よかったわねぇ、ノアちゃん。あなたのことを理解してくれる人がいて~」
彼女の暖かな雰囲気から、ノアゼットのことを大切に思う気持ちが伝わってくる。
しかし、そんな雰囲気をぶち壊す、カラスのように騒がしいだみ声がアレッテさんの右脇から響く。
「は~な~せ~、私はもう少し遊ぶのだぁ~っ」
「もう、たくさん遊んだでしょう~。だからぁ、おうちに戻ったら、お説教~」
「い~や~っ」
ティラはアレッテさんをバシバシと叩くが一切動じない。
彼女はティラの足掻き無視して俺に近づき、耳そばでささやく。
「今日は~、ありがとうございますぅ。ブラン王女に、お付き合いいただいてぇ」
「え……あ、はい」
アレッテさんはニコリと微笑むと、喚き叫ぶティラを抱えて立ち去っていった。
「はは、何もかもお見通しって感じか。せめて、隠し通路の件はバレてなきゃいいけど」
「かくしつうろ? な~に、それ? ヤツハおねえちゃん」
「なんでもない。俺たちも帰ろっか」
「うん……ティラちゃん、また会えるかな?」
「さぁ、どうだろねぇ。会えるといいな……あ、ピケの服!」
服の回収を完全に忘れていた。
どうしようかとピケに目を向ける。
ピケは満面の笑みを見せて、こう答える。
「いいよ、今度で。だって、もう一度会えるってことだもん」
「ははは、ピケはすごいな」
ピケの前向きなものの考え方が心に響く。
俺よりもずっと年下なのに、とても良くできた子だ。
俺はピケの頭を撫でる。
ピケはちょっと照れたように、手をもじもじさせる。
その手を握って、二人仲良く宿屋『サンシュメ』に帰宅しようとっ!?
――カササギリョウ――
(えっ!?)
どこからか、年老いた男の声が俺の名を呼んだ。
しかも、その名前は地球にいた頃の、男としての名前!
俺は周囲に顔を振る。
しかし、周りの人々は何事もない様子を見せている。
どこにも、名前を呼んだと思われる人物は見当たらない。
「ヤツハおねえちゃん、どうしたの?」
ピケは俺の様子を心配して声を掛けてくる。
「い、いや、なんでもない。たぶん、気のせいだ」
「うん?」
「今日は疲れたからな。早く帰って、夕ご飯にしよう」
俺はピケの手をしっかりと握って、足早に我が家に戻っていく。
たしかに聞こえた、名を呼ぶ声に怯え、逃げるように……。
――――ヤツハはピケとともに去っていく。
ヤツハの後ろ姿を、カレは無辺の静寂の内に見ていた。
カレは街を行き交う人々の間で、青い襤褸を纏って立っている。
その姿は誰が見ても異様なモノ……だが、街の者は皆、カレの姿が目に映らないかのように通り過ぎていく。
カレは、マヨマヨ。迷い人。
迷い迷いて迷いざるを得ない旅人……。
カレは点となったヤツハを見つめながら、灯薄い掠れた声を漏らす。
「地球で後悔の七十年。時無き積木の世界、アクタに訪れ、焦がれた三年。ようやく、会えた……笠鷺、待っていろ。私が必ずっ、君を助けてみせる!!」
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