奴隷だったドワーフの少女が伯爵家のメイドになるまで

雪野湯

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第5話 あっ

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 エイラちゃんの死によって、奴隷市の前座は終わりを迎えました。
 その後、私たちは広場の端にあった玄関口から、砦のような建物の中へと招かれ、廊下を歩かされます。

 裸足に冷たさを伝える石製の長い廊下を歩み、着いた先にあった部屋には大きなお風呂がありました。
 深さは私の小さな背でも胸までと、あまり深くはありません。
 私たちは一列に並ばされて、襤褸切れで作った服を剥ぎ取られていきます。

 次に、泡立つ石鹸入りのお湯の入った桶を持つ男たちが両脇に並び、彼らは私たちにそのお湯を浴びせて、素手で体を洗うように命令しました。
 そして、先頭から大きなお風呂に入り、浴槽内を歩き、すぐに出て、タオルを手渡され身体を拭くように命じられ、次々と簡素な白い服を着せられます。


 これから奴隷市の舞台に立たせるために、最低限の見栄えを整えさせているのでしょう。
 言うなれば、これは泥のついた野菜を洗い、見た目を良くするためもの。
 私たちはもはや反発する気力もなく、指示に従います。

 他の子たちと同じように、私もまた服を手渡されて、袖に手を通そうとしていました。
 するとそこに、幾人からの男を従えた老婆ツツクラが現れ、何やら指示を与えます。

「あのドワーフには、もうちょい良い服を着させな。今日のメインだからな」

 脇にいた一人の男が彼女の声に従い、私に別の服を渡しました。
 それはドレス。真っ黒なドレス。仕立ても生地もかなりの上物。
 幼いながらも、旅商人として父や母の手伝いをしていたので、私にはある程度の目利きがあります。


 服を手に取り、私は思いました。
(私が珍しい猫族のドワーフだから、かな……?)

 おそらく、この上等なドレスは私が平穏に生きて、商人として過ごしたとしても、絶対に着ることのできない代物。
 皮肉にもそれを、奴隷に堕ちたために着ることができるようです。
 ですが、それも一時いっときでしょう。


 奴隷……私は奴隷という単語を知っていました。そしてそれは、鞭を打たれ、強制的に働かされているイメージでした。
 でも、現実は全然違った。

 エイラちゃんがバラバラにされて、仮面を被っていた人たちはとても興奮して喜んでいた。
 彼らにとって奴隷とは、娯楽の対象。

 その日の気分次第で嬲り、時に与え反応楽しみ、心をもてあそび、拷問を行い、壊し、最期には殺す。
 恐ろしい未来。そうだというのに、思考は虚ろで恐怖をあまり感じません。
 
 思考の放棄。それは恐怖からのがれるための防衛手段。
 未来を考えたら、私は……私たちは正気を保てない。
 だから、空白の中でただ従う。


 私は今回の奴隷市のメインであり、観客へのサプライズ。そのため、別の部屋に連れて行かれることになりました。

 男に連れられ、老婆ツツクラのそばを横切ります。
 彼女はこの時、一人の男の前で書類の束を手に持ち、眉をひそめていました。
 私の黄金に輝く瞳に、書類の一部が映り込みます。どうやら、書類は財務諸表のようです。

 この時、私は思わず声を立ててしまったのです。

「あっ」

 その声を聞いた老婆ツツクラが、こちらをじろりと見ました。
 私と私を連れて行こうとしていた男は真紅の瞳に怯えて、体をびくりと跳ね上げ、そそくさと部屋の外へ向かおうとします。

 ですが――


「待ちな」


 老婆ツツクラは呼び止めて、私をじっと睨みつけます。
「今、お前は何を見たんだい?」


 突如、呼び止められ、問いを投げかけられます。
 私は答えを返せずに、体を震わせるだけ。
 彼女は再び、問い掛けてきます。

「今、お前はこの書類をチラ見しただろう。何を見た?」
「え、そ、それは……」
「早く答えな! 正直な!!」
「は、はい!」

 彼女の気迫に押され、私は返事をしました。
 そして、辿々しく声を漏らします。

「すうじが、合わない、と思いまして」
「ほぅ……」

 老婆ツツクラが小さく声を漏らす。
 すると、彼女に書類を渡していた男が大声を張り上げますが、老婆ツツクラがそれを許しません。
「おい、いい加減なことを抜かすなよ!! くそドワーフめ!!」
「黙りな!!」
「ですが、奴隷の! それもドワーフ如きが、人間様のやることに口を――」
「わたしゃ、黙りなと言ったんだが?」
「あ、いえ……すみません」


 男は一睨みされると口籠り、視線を床へそらします。
 老婆ツツクラは書類の束を私に手渡し、こう尋ねてきました。

「これの何がおかしいってんだい?」
「それは……」
 私は何枚かの書類に目を通します。

「売掛金と買掛金の数字が……ん、こちらは雑損失で数字の調整を? それにこっちは貸倒損失が……あれ、粗利率が、なんで? あ、これって!」

「そう、横領だね」


 この一言に、男が再び大声を上げました。
「そんなわけありませんよ、ツツクラ様!! ドワーフは馬鹿だからいい加減なことを――」
「私の目から見てもこれは横領だよ。お前は上手く誤魔化しているつもりだっただろうけどな」
「俺がそんな大それたことを――」

 今の会話を聞いていた私は、ぼそりと声を漏らします。
「『誤魔化しているつもりだっただろうけど?』 それって、もしかして初めから?」
 この声が耳に届いた老婆ツツクラは、くわりと瞼を開き、ギラギラと光る真紅の瞳を剥き出しにしました。

「おや、なかなかさといね」


 そう言葉を漏らすと、彼女は書類を私から取り上げて男の顔へ叩きつけました。
「別に、このガキンチョの指摘が無くとも、お前が商品を横流ししてたことには、とっくの昔に気づいていたんだよ」
「そんな、ですから、俺は――」

「この後の及んで、まだ言い訳かい。いいか、その耳から糞を掻き出してよ~く聞きな。お前の不正には気づいていた。だけどな、それ以上に金を稼いでるからお目溢ししてやってたんだよ!」

「そ、そんな、いつから……」
「とっくの昔だと言ってるだろ。だからって、稼いでる間は罰する気はなかったが……表沙汰になったら、そうはいかないねぇ」

 彼女はそう言って、私の頭をポンポンと軽く二度叩きました。
「チラ見しただけで気づくとは大したもんだ」
「い、いえ、何かおかしい感じがしただけで、見た時点では何も……」
「その嗅覚は評価できる。少なくとも、ガキに横領を看破される運の無い愚か者よりはな」


 老婆ツツクラは男へ顔を向けます。
「お前は運が悪い。ガキにチラ見されただけで、不正が表沙汰になるなんてな」
「ツ、ツツクラ様、横流しの件は謝ります。損失は必ず埋めますから!!」
「いやいや、損失どころか、お前は稼いでくれてたんだ。だから、今日まで放っておいた」

「でしたら――!!」
「だがな、不正が表に出ちまったら、罰しないと私のメンツが潰れるんだよ。はぁ、まだまだお前は稼げただろうが、秩序の方が大事だ。ま、残念だよ」

「ツ、ツツクラさま~、何卒、何卒ご慈悲を!」
「わかってるわかってる。拷問なんてしない、楽に殺してやるから。寂しくないように、家族も一緒にな」
「――っ!? ツツクラ様!!
「連れて行きな。死体は豚に食わせとけ。家族もな」

 
 老婆ツツクラが指示を与えると、幾人かの戦士が男を羽交い絞めにして、無理矢理この場から退場させます。

 男は大声で慈悲を求め、次に私の姿を目にすると、呪いをぶつけ始めました。
「どわーふめぇぇぇ! お前が気づかなければ!! おまえのせいでええぇぇぇ! 絶対に許さねぇえぇぇえぇ! 絶対に殺してやるぅうう!!」


 部屋から引きずり出されるまで男はずっと、私に恨み言をぶつけていました。
 その姿を見ていた老婆ツツクラはとても楽しそうに笑いを吹き出します。

「ぷっ、あはははは! 許さないも何も、これからだんまりになっちまうのに、何言ってんだい、あいつは? 幽霊じゃ人は殺せないよ。それとも、不死者アンデッドにでもなって、殺そうってのかい? そこまでやるってんなら評価してやるがな、あははは! そう思わないかい、ドワーフの娘?」

「え? それは、その……」
「なんだい、ノリが悪いガキだね」

 老婆ツツクラは軽く肩をすくめる仕草を見せると、近くの男に声を掛けました。
「おい、お前、今日のメインイベントは中止だ。いつも通りに進行しておけ」
「はっ!」

「よろしい。そこのドワーフの娘」
「は、はい、なんでしょうか?」
「ついてきな。おい、娘に適当な服を」

 私はドレスを取り上げられて、他の子たちと同じ簡素な白い服を渡され、それを素早く着ると老婆ツツクラのあとを追って、この部屋から出て行きました。
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