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第十七章 頂へ続く階段の一歩
塔に立つ者・フィコン
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会談を行った部屋から出て細長い廊下の先を進むと、円状の大きく開けた場所に出た。
奥にはさらに長廊下が続いている様子。
円状を表す湾曲した壁に歯車はなく、絵画や彫像が飾られてある。
エメルはこの部屋で待つようにと一言残し、元来た道を戻っていった。
私は太陽光のような暖かな光が降り注ぐ不思議な天井を見上げ、エクアは壁に飾られている絵画に注目していた。
彼女は驚きに言葉を跳ねる。
「まさかっ、これって……」
「どうした、エクア?」
「ここに飾られている絵画は全て、サレート=ケイキ先生の絵なんです!」
「サレート=ケイキというと、あの絵画界の巨匠の?」
サレート=ケイキ――絵画界では名の知らぬ者はいないと言われる天才画家。
アルリナのギルド長・ノイファンはムキ=シアンを陥れるために、エクアを騙して彼の贋作を造らせていた。
エクアはそのことを思い出したのだろうか?
申し訳なさそうな表情で絵を見つめ、同時に両拳を目一杯握り締めていた。
「エクア?」
「やっぱり、すごいです。先生の絵は。私の絵なんかと比べ物にならない。それなのに……」
私はエクアの前にあった一枚の絵画を見つめた。
その絵画は縦横50cm程度と小さいもの。
しかし、絵から伝わる迫力はとても巨大なものだった。
白い穂先が連なる山脈の絵画。
そこからは山の重量感と凍てつくような寒さ。そして、命の熱を攫う無慈悲な清風が伝わってくる。
自然の前には等しく頭を垂れ、死を受け入れることを余儀なくされる説得力。
生と死――自然と必然の力を一つの絵に封じ込めたかのような、肌の震え立つような絵画であった。
はっきり述べて、エクアが描いた贋作とは次元が違う。
彼女は贋作業に手を貸したことを恥じている。だが同時に、本物を前にして、力量の差を完膚なきまでに味わい、さらに己の才との距離に悔しさを覚え、拳を握り締めている。
私は、己自身に悔しさの刃を向けるエクアへ微笑みを浮かべる。
他者の才能を羨み悔しがるのではなく、己の力量の足らなさを悔しがる。
悔しさを向けるのは己の才。これは成長を目指す者にとって必要不可欠な才。
だが、その悔しさが少々大きいと見える。
彼女が握り締める拳に爪が食い込み、このままでは皮膚を突き破ってしまいかねない。
それを止めるため声を漏らそうとしたとき、少女の声が響いた。
「すまぬ。遅れてしまったようだ」
廊下の奥から雪のように透き通る肌を持つ少女が、黄金の歯車の意匠が紡がれた真っ白で絢爛なドレスに身を包み現れた。
十四歳の少女とは思えぬ大人びた表情に目鼻立ちはすっきりと通る。
少女は艶やかな光沢を見せる長い黒髪を揺らしながら、黄金の瞳を浮かべ、感情の薄い表情で淡々と言葉を発する。
少女の後ろには熊のような巨躯と熊のように荒々しい赤色の髪とひげを持つ五十代半ばほど騎士が、塔の中でありながらも戦場へ赴く様相で、真っ黒な重装鎧を纏い仕えていた。
私とエクアは二人に会釈を行う。
「私はトーワを預かるケント=ハドリー。フィコン様に拝謁を賜る栄誉を戴き、望外の喜びに心を満たしております」
「ケント様の下で医術を学んでいるエクア=ノバルティと申します。身分卑しい身でありながら、フィコン様の御姿を両眼に宿す光機を戴いたこと、感謝の念に絶えません」
「そこまで畏まる必要はない。言葉が固くあると話もまた固くなる。まずは名を名乗っておこうか。アグリスに於いてサノア教ルヒネ派・塔に立つ者、フィコンだ」
フィコンは後ろに控える騎士に顔を向けた。すると、騎士が名を口にする。
「私はアグリスの壁にして、フィコン様の剣であり盾。エムト=リシタ」
「エムト=リシタ? あなたがあのアグリス最強と謳われる常勝不敗の獅子将軍ですか?」
「蛮族どもが私をそう呼び、いつの間にやら市中にも広まった。私はただ、戦場で役目を果たしていただけなのだがな」
重厚な声から醸し出される雰囲気はまさに将軍の名に相応しいもの。
まったく敵意のない声であっても、圧倒される。
フィコンは感情の乏しい色のない顔をエクアへ向ける。
「貴様が化粧品のデザインを行ったのだな?」
「は、はい、左様でございます」
「見事なものだ。まだまだ、未熟であることは否めんが、世界の広き心を伝える。フィコンはエクアの絵が気に入ったぞ」
「あ、ありがとうございますっ」
「ふむ、それで先ほどからサレート=ケイキの絵を見ていたようだが、その絵、どう感じた?」
「津波のような絵だと思います」
「ほぅ、山の絵を見て津波と評するか。たしかに、圧倒的な力で全てを押し流す絵。風雪が、身も心も削ぎ取っていくような恐ろしき絵だ」
「はい。ここに飾られてある絵画の皆さんは、サレート=ケイキ先生の後期の絵ですね。初期の絵は柔らかく、厳しさよりも優しさを詰め込むような絵でしたから」
「その通りだ。初期の絵は素晴らしかったが、年々駄作を産むようになった」
「え、そ、そんなことは。一筆振るうたびに、迫力は増していますし」
「迫力だけはな。初期の絵は心に宿る暖かさを表し、そっと寄り添う。そのような絵であったが、最近のものは倨傲に心を穢す。作者の意志の押しつけがましい絵になっておる」
「そ、それは……」
「貴様もそう思っておるのだろう?」
「…………」
「フィコンの問いに沈黙で返すか」
「あ、その、申し訳ございません」
「構わぬ。時に沈黙が黄金の価値を上回ることもあるからな。もっとも、フィコンは雄弁であることこそが価値あると思うておるが。心は形にせねば届かぬことが多い……エクア=ノバルティ、こっちへ来い」
フィコンはおもむろに踵を返し、廊下の奥へ歩き始めた。
エムト=リシタも彼女の後に続く。
私とエクアは互いに視線を投げ合い、彼らの後を追いかけた。
奥にはさらに長廊下が続いている様子。
円状を表す湾曲した壁に歯車はなく、絵画や彫像が飾られてある。
エメルはこの部屋で待つようにと一言残し、元来た道を戻っていった。
私は太陽光のような暖かな光が降り注ぐ不思議な天井を見上げ、エクアは壁に飾られている絵画に注目していた。
彼女は驚きに言葉を跳ねる。
「まさかっ、これって……」
「どうした、エクア?」
「ここに飾られている絵画は全て、サレート=ケイキ先生の絵なんです!」
「サレート=ケイキというと、あの絵画界の巨匠の?」
サレート=ケイキ――絵画界では名の知らぬ者はいないと言われる天才画家。
アルリナのギルド長・ノイファンはムキ=シアンを陥れるために、エクアを騙して彼の贋作を造らせていた。
エクアはそのことを思い出したのだろうか?
申し訳なさそうな表情で絵を見つめ、同時に両拳を目一杯握り締めていた。
「エクア?」
「やっぱり、すごいです。先生の絵は。私の絵なんかと比べ物にならない。それなのに……」
私はエクアの前にあった一枚の絵画を見つめた。
その絵画は縦横50cm程度と小さいもの。
しかし、絵から伝わる迫力はとても巨大なものだった。
白い穂先が連なる山脈の絵画。
そこからは山の重量感と凍てつくような寒さ。そして、命の熱を攫う無慈悲な清風が伝わってくる。
自然の前には等しく頭を垂れ、死を受け入れることを余儀なくされる説得力。
生と死――自然と必然の力を一つの絵に封じ込めたかのような、肌の震え立つような絵画であった。
はっきり述べて、エクアが描いた贋作とは次元が違う。
彼女は贋作業に手を貸したことを恥じている。だが同時に、本物を前にして、力量の差を完膚なきまでに味わい、さらに己の才との距離に悔しさを覚え、拳を握り締めている。
私は、己自身に悔しさの刃を向けるエクアへ微笑みを浮かべる。
他者の才能を羨み悔しがるのではなく、己の力量の足らなさを悔しがる。
悔しさを向けるのは己の才。これは成長を目指す者にとって必要不可欠な才。
だが、その悔しさが少々大きいと見える。
彼女が握り締める拳に爪が食い込み、このままでは皮膚を突き破ってしまいかねない。
それを止めるため声を漏らそうとしたとき、少女の声が響いた。
「すまぬ。遅れてしまったようだ」
廊下の奥から雪のように透き通る肌を持つ少女が、黄金の歯車の意匠が紡がれた真っ白で絢爛なドレスに身を包み現れた。
十四歳の少女とは思えぬ大人びた表情に目鼻立ちはすっきりと通る。
少女は艶やかな光沢を見せる長い黒髪を揺らしながら、黄金の瞳を浮かべ、感情の薄い表情で淡々と言葉を発する。
少女の後ろには熊のような巨躯と熊のように荒々しい赤色の髪とひげを持つ五十代半ばほど騎士が、塔の中でありながらも戦場へ赴く様相で、真っ黒な重装鎧を纏い仕えていた。
私とエクアは二人に会釈を行う。
「私はトーワを預かるケント=ハドリー。フィコン様に拝謁を賜る栄誉を戴き、望外の喜びに心を満たしております」
「ケント様の下で医術を学んでいるエクア=ノバルティと申します。身分卑しい身でありながら、フィコン様の御姿を両眼に宿す光機を戴いたこと、感謝の念に絶えません」
「そこまで畏まる必要はない。言葉が固くあると話もまた固くなる。まずは名を名乗っておこうか。アグリスに於いてサノア教ルヒネ派・塔に立つ者、フィコンだ」
フィコンは後ろに控える騎士に顔を向けた。すると、騎士が名を口にする。
「私はアグリスの壁にして、フィコン様の剣であり盾。エムト=リシタ」
「エムト=リシタ? あなたがあのアグリス最強と謳われる常勝不敗の獅子将軍ですか?」
「蛮族どもが私をそう呼び、いつの間にやら市中にも広まった。私はただ、戦場で役目を果たしていただけなのだがな」
重厚な声から醸し出される雰囲気はまさに将軍の名に相応しいもの。
まったく敵意のない声であっても、圧倒される。
フィコンは感情の乏しい色のない顔をエクアへ向ける。
「貴様が化粧品のデザインを行ったのだな?」
「は、はい、左様でございます」
「見事なものだ。まだまだ、未熟であることは否めんが、世界の広き心を伝える。フィコンはエクアの絵が気に入ったぞ」
「あ、ありがとうございますっ」
「ふむ、それで先ほどからサレート=ケイキの絵を見ていたようだが、その絵、どう感じた?」
「津波のような絵だと思います」
「ほぅ、山の絵を見て津波と評するか。たしかに、圧倒的な力で全てを押し流す絵。風雪が、身も心も削ぎ取っていくような恐ろしき絵だ」
「はい。ここに飾られてある絵画の皆さんは、サレート=ケイキ先生の後期の絵ですね。初期の絵は柔らかく、厳しさよりも優しさを詰め込むような絵でしたから」
「その通りだ。初期の絵は素晴らしかったが、年々駄作を産むようになった」
「え、そ、そんなことは。一筆振るうたびに、迫力は増していますし」
「迫力だけはな。初期の絵は心に宿る暖かさを表し、そっと寄り添う。そのような絵であったが、最近のものは倨傲に心を穢す。作者の意志の押しつけがましい絵になっておる」
「そ、それは……」
「貴様もそう思っておるのだろう?」
「…………」
「フィコンの問いに沈黙で返すか」
「あ、その、申し訳ございません」
「構わぬ。時に沈黙が黄金の価値を上回ることもあるからな。もっとも、フィコンは雄弁であることこそが価値あると思うておるが。心は形にせねば届かぬことが多い……エクア=ノバルティ、こっちへ来い」
フィコンはおもむろに踵を返し、廊下の奥へ歩き始めた。
エムト=リシタも彼女の後に続く。
私とエクアは互いに視線を投げ合い、彼らの後を追いかけた。
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