牛と旅する魔王と少女~魔王は少女を王にするために楽しく旅をします~

雪野湯

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第九章 百年間、得られなかった答えを手にする魔王

第83話 手のひらに籠められた温もり

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 暴虐と咆哮が荒れ狂っていた戦場。
 だが今は、静寂があるじと成り代わり、たけっていた熱を急速に下げていく。

 私は多角結界キャカバダンの中で抵抗を諦めぐったりしているピッツェの様子を覗き見てから、カリンたちへ顔を振る。

 彼女たちは横一列に並び、危機を乗り越えた喜びに胸を張っていた。
 カリンはとびっきりの笑顔で、私に一言返す。
「どう、おじさん! 信じてよかったでしょ!!」
「ああ、見事だ。あれだけの数の腐龍を討伐するとは、期待以上だ」
「ふふふ」

「カリン、侵食は大丈夫なのか? さらなる力の開放を見せたようだが?」
「あともう一段階進むとヤバいけど、あれくらいならね。ただ、一度あそこまで進むとしばらく力が使えないから、できれば使いたくなかったんだけど。ま、ともかく、浸食の危険性はないよ」
 
 そう言って彼女は私に近づき、左の顔半分を覆っていた黒い血管の浸食がないことを見せようとした。 
 その歩みを私は止める。
「待て、カリン。近づくな」
「ほえ? どうしたの?」

 私は片手を前に出して、彼女へ……いや、彼女たちへ悲しい事実を伝える。

「臭いから、これ以上近づくな」
「は? はぁぁあぁぁあぁ!?」
「腐龍を相手にして、切った張ったを行ったであろう。そのせいで、腐れた肉やら汁やらを盛大に浴びてて臭いんだ。特に前線で戦っていた君とツキフネとヤエイとシュルマは……」


 これに、他の三人が噛みついてきた。

「言うにこと欠いて、戦いに挑んだ戦士に何という言い草だ!」
「おぬしなぁ、今それを言う場面か!? 違うじゃろ!!」
「何なんですか、この人は!? あなた方はよくこんな外道と旅ができますね!」

 臭いというのに、四人はにじり寄ってくる。
「待て待て待て、集中力が欠けたらピッツェを抑えている結界が壊れる。だから、近づくな」

「このおじさんはぁ~」
「狡猾な奴め!」
「小賢しい真似を。おぬし、本当にせせこましくなったな!」
「魔王アルラ、魔王を名乗るならせめて王らしく振る舞いなさい!!」

 と言いながら、まだ、にじり寄ってくる。
 私は四人の……特にシュルマの姿を見て思う。
 案外、気が合っているんじゃないかと。
 だが、それを口にすればシュルマに臭い汁を付けられそうなので黙っておく。
 

 代わりに、後方で息を整え終えたラフィへ声をかけた。
「ラフィ、大丈夫か?」
「ええ、多少は回復しました」
「疲れているところ悪いが水の魔法で、この四人を洗浄しておいてくれ」

 洗浄とはなんだ! と、四人がピーチクパーチク喚いているがそれらを無視して、ラフィに水の魔法を唱えさせて、四人の頭の上に雨を降らせる。

 リディは貫太郎の曳く荷台から石鹸を取り出して、ツキフネに投げ渡して、それを彼女が次々に横渡ししていく。

 もこもこに泡立つカリンがピッツェの様子を尋ねてくる。
「ピッツェちゃん、どうなったの?」
「腐龍が退治されてから妙に大人しい。今ならあっさり認識プロトコルに侵入できそうだ」
「おじさん、それは――」
「わかっている。この子と話をしたいんだろう」
 

 私は一歩足を退き、カリンへ道を譲る。
 彼女は魔法の雨で泡を洗い流してから、結界に封じられたピッツェの前に立ち、体を少し屈めて瞳をピッツェの視線の高さと合わせた。

「初めましてピッツェちゃん、わたしはカリン。ずぶ濡れで失礼かもしれないけど、少しお話をしたいことがあるんだ。大丈夫かな?」
「…………俺は、アルラ様に頼まれて、だから、ここを守らないと」

「そのアルラ様だけど、目の前にいる人がそのアルラ様なの。昔と見た目が全然違うらしいから信じられないだろうけど」

「そんなはずはない。アルラ様はとても気高く美しい御方。あの方が道を歩めば、誰もが道を譲り、アルラ様の姿に双眸そうぼうを縫い留めて、心へ御姿を刻もうとする。そんな御方がこのような堕落した姿に……」


 昔の私の姿を語るピッツェ。
 私は今までの褒め口上と比べてその違いに驚きの声を上げた。
「輝いてない!? あ、そうか! ピッツェは私を呪い歌ったヤコビアン将軍の歌の影響を受けていないからか!」

「おじさん、黙っててくれる……ごほん、ピッツェちゃんが疑ってるのはおじさんがアリスの仲間かもしれないってことだよね?」
「そうだけど……」
「アリスという人は幼い子が好きって聞いたけど、それならおじさんのような感じじゃなくて、もっと幼い感じの子を作って寄越したんじゃないかな?」
「それは……」

「私たちの仲間の中でおじさん以外だと、それっぽい人はリディとヤエイさんだけど、ピッツェちゃんの目から見てどう感じる? おじさんの魔力周波数を知ることのできるあなたなら、二人が人工生命体じゃないことはわかるはずでしょ?」


 ピッツェはリディとヤエイへ淡褐色ヘーゼルの瞳を揺らす。
 瞳が微かに輝くと、彼女は首を小さく縦に振った。

「魔族と人間の血を引く半魔とナディラ族。あいつが関わった痕跡はない」
「そうでしょう。これでアリスって人と関係ないとわかってくれたかな?」

 そう尋ねられたピッツェは私へ瞳を動かす。
「あいつと関わりがなくても、この男がアルラ様だとは限らない。峡谷に不法侵入を試みるために、アルラ様の偽物を仕立て上げた連中の可能性だってある……」

 ピッツェは再び三日月のやいばを冠に置く杖を構え……淡褐色ヘーゼルの瞳の奥に狂気を宿していく。
「そうだ、こいつらは侵入者だ。アルラ様の名を騙る敵。敵、敵、敵、敵。敵は、排除しないと! アルラ様の信頼に応えるために!! 俺は――!!」

「ピッツェちゃん、落ち着いて」
「黙れ!! そうだてめぇらは敵だ! 俺を騙そうとしてやがる!! だから排除しないといけない!」
「ピッツェちゃん、お願いだから私の声を聞いて!」


 カリンが必死な思いを伝えようとするが、ピッツェには届かない。
 私はゆっくりと頭を横に振り、カリンへ声をかけた。

「ここまでだな。所詮は人の形を模した人形。言葉は届かない」
「おじさん!」
「カリン、話し合いで事が解決できればそれは大変良いことだが、この世の全ての問題がそれで解決できるわけではない。この子のように、言葉が通じない者もいる。諦めろ」


 そう言葉を置き、私は再び結界内に魔力を流入させてピッツェの認識プロトコルへアクセスを試みる。
 それに彼女は激しく抵抗を見せるが、すでに力は尽きており、杖を落とし、両手で頭を押さえて体をバタ狂わせるだけ……。


「やめろぉおぉぉぉぉぉ! 俺の中に入ってくるなぁあぁあぁ! アルラ様、アルラ様、アルラ様のために俺は! ずっと一人で、寂しくて、でもアルラ様に褒めて欲しくて、もう一度、もう一度――」

 ピッツェは涙を流して、震える左手で自分の頭を押さえつけると……その頭をそっと撫でた。
「もう一度……アルラ様に、頭を撫でて、欲しかった……あの、大きくて、温かい手で…………」


 頭を押さえていた手がだらりと落ちる。
 もう、彼女には何の抵抗もできない。
 カリンが私の腕を掴み、認識の書き換えを止めようとするが、すでに――。

 あと、ほんの数秒だった……本当に数秒で終わるはずだった作業。
 しかし、その数秒の瞬間、ピッツェの淡褐色ヘーゼルの瞳の中に映る私の姿が見えた。
 それはとても冷たく、全てを見下す、魔王としての私の姿……。


――何も変わっていない――


 これは、私の心に響いた言葉。
 私は認識の書き換えを止めて、代わりにピッツェをとらえていた結界を……解いた。

 これにカリンは驚き、瞳を私へ寄せた。
「え、おじさん?」
「一つ、試したいことがある」

 突然の解放に戸惑いを見せるピッツェへ近づく。
「な、なに?」
「ピッツェ、今までご苦労だった。君の献身に感謝する」


 忠節をねぎらう言葉を贈り、私はピッツェの頭を撫でた。
 優しく、優しく、彼女の髪に触れて、頭を撫でる。
 大人しく撫でられ続けるピッツェは一瞬だけ驚きに涙を止めた。

 しかし、すぐにまた涙を流して、霞み消えそうな声で私の名を呼ぶ。
「アルラ、さま……」
 そう、私の名を呟き、彼女は私の撫でる手を両手で握り締めた。

「温かい、大きな手。これはアルラ様の手だ。アルラ様の、アルラ様の、アルラ様の、う、う、う、ううううえ~ん、アルラ様の手だ! 私を撫でてくれたアルラ様の手だ~、うわ~ん」

 私の手に縋り、ピッツェは涙を流し続ける。
 撫でる手を奪わてしまったため、私はもう一つの手でピッツェを撫でる。
 そして、カリンへ話しかける。

「妙なものだ」
「え?」
「心のない人形には言葉は通じないと思っていた。現実に言葉は通じなかったが……しかし、心は通じるようだな」
「おじさん……」

 私はひたすらに頭を撫で続けながら、言葉も続ける。
「ピッツェは私の命令と私に褒められることにこだわっていたようだからな。だから、彼女の望むもの与えてみた」
「え、それじゃ、これはおじさんの思惑通りってことなの……?」
 

 カリンは私の行動がピッツェのことを想いおこなったことではなく、あくまでも冷静にピッツェを見極め、彼女の心の動きを計算しての行動だったことに悲しみの表情を見せた。
 それでも――

「それでも、君の説得がなければ、このようなことをしなかっただろう」
「私の説得が?」
「君が私にくれた隙間の時間が、私自身を見つめる時間をくれた」
「そんなのあげたっけ?」


 覚えのないカリンは首をひねっている。
 だが、たしかにその時間を私は受け取った。
 カリンがいなければ、とっくの昔に書き換えるか処分を行っていた。
 しかし、彼女の説得によって、僅かであるがピッツェの想いを知り、自身の姿を見つめる時間を生んだ。
 だから、私は心に宿る記憶というものに賭けてみた。

「ふふ、いやはや、この状況下で結界を解くというのはかなり勇気のいる行動だったな。以前の私では絶対に取ることない選択肢」

 ピッツェのまぬ涙を親指でそっと拭う。
「私をアルラだと信用してくれるか?」
「うん、うん、うん! ごめんなさい、俺、アルラ様に向かって……」
「構わない、もう済んだことだ。むしろ、ピッツェが立派に役目を果たしていたことを誇らしく思うぞ」
「ア、アルラ様ぁぁあぁ!!」

 ピッツェが私の胸に飛び込んでくる。
 彼女を受け止めて、小さく言葉を漏らす。
「私は、君という存在を少しは理解できただろうか。ティンダル……」
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