上 下
53 / 85
第六章 宿題への回答

第53話 チキンとレモンのハニーマスタード煮込み

しおりを挟む
――――時は巻き戻り、十日前<アルラ>


 午前中に訪れた魔導都市スラーシュを午後に離れるという、なんとも短い滞在。
 私たちは西方の門から出て、しばし歩き、日が沈み切る前に森の中で野営の準備に入った。

 私と貫太郎とリディが夕食の準備。
 カリンとツキフネは剣の稽古。

 新たに仲間に加わったラフィは私たちの食事の準備を見物しながら首をかしげる。
「アルラさんは魔王なんですよね? どうして、食事の準備を?」
「元魔王だがな。今は自由の身。ただのアルラだ」
「ええ、そのことはここまでの道すがら、大まかに聞きました。勇者ナリシス様に大敗北を喫して、貫太郎さんの手を借り、うのていで魔都ティーヴァから脱出。そしてカリンさんと出会い――」

「ちょっと待て! 大敗北? うのてい? 誰だ、そんな言い方をしたのは?」
「カリンさんとツキフネさんです」
「あの二人は~……だが、そう間違ってないのが腹が立つ。ごほん、話を戻そう。なぜ、元魔王である私が食事当番をしているのか、だな?」
「ええ」
「答えは、このメンバーの中で料理の腕が一番立つからだ。加えて、カリンとツキフネに手伝わせると隠れて味付けに手を加えようとして邪魔だから」
「あ、ああ、そうなのですか?」


 彼女は剣の稽古に励む二人をちらりと見て、こちらに瞳を戻す。
「元とはいえ、魔王の肩書きを持っていた方が料理上手とは意外です」
「本格的に始めたのはここ三十年ほどで、そうは経っていないがな」
「ふふ、人間のわたくしから見れば十分すぎる料理歴ですよ」

 長命種の魔族と短命種の人間との時間の価値観の差異が面白かったのか、ラフィはくすりと笑い声を零した。
 私は包丁でレモンを輪切りにしながら、そんな彼女の衣服へ視線を振る。

 ラフィは多様なフリルとラメが散りばめられた赤いドレスを纏い、首や手首に装飾品を付けて、指には蒼い魔石の指輪をはめている。
 これらは、衣服を脱ぎ捨ててタオル姿になってしまったラフィのために、カリンとツキフネが回収したものだ。
 私はこの件について彼女に問い掛ける。

「あれだけの啖呵を切って返したものを纏っているが、迷いはないか?」
「まったく。これはわたくしが回収したものではありませんし。この衣服はカリンさんとツキフネさんからのプレゼントですから」

「ほぅ、それは良い答えだ」
「それに、今のわたくしは貴族ではなくて盗賊ですから。これはあなたがそう仰ったことでしょう?」
「あはは、そうだったな」
「ですので、仮にわたくしが回収したとしても、グバナイト家から盗んだだけのこと。文句がおありなら全力で取り返しに来ればいいだけの話です。もちろん、こちらも全力で抵抗しますが、うふふ」

 そう言って彼女は笑い、私も釣られて笑い声を立てる。
 その様子を見ていたリディと貫太郎が話に加わる。

「なんだか、ラフィさんとアルラさんって似てますよね。考え方が」
「ぶもも、も~」

「そうか?」
「そうでしょうか?」

「はい、普通なら迷うようなことをあっさり割り切っているというか、ね、貫太郎さん?」
「もも~もも」

 二人に指摘されて、私とラフィは互いに視線を交わす。
 互いに姿を瞳に収め、ある考えに至る。
(彼女は貴族。些事さじに頭を悩ませたりしないのだろうな)
(アルラさんは王族。些末なことに頭を悩ますことがないのでしょう)

 私はリディへ顔を向ける。
「ま、共通点があるので近しい部分はあるのかもな。それよりもリディ、鳥肉は切り終えたか?」
「はい、ご注文通りぶつ切りに」
「よし。貫太郎、米を磨いでくれたか?」
「も~」


「ふふ、二人ともありがとう。さて、今日はレモンと蜂蜜とマスタードと牛乳を使った煮込み料理の予定だ。この料理は甘辛さと酸味が米に合って美味いぞ」

 私は鼻歌まじりに料理の鍋に水を入れて、それを火にかける。
 そこで手持ち無沙汰なラフィが小さく手を上げる。

「何か手伝いましょうか?」
「おや、ラフィは料理ができるのか? 手伝うにしても、勝手に味付けを変えたりしないか?」
「多少はできますし、変えたりしませんよ」
「それはありがたい。だが、今日は歓迎会の意味を込めてゆっくりしていてくれ。これからの旅で君の料理に期待するよ」
「そうですか、ではお言葉に甘えて……」


 彼女は小さく会釈をして、そばの倒木に腰を下ろす。
 そして、私たちの姿をざっと見回して、一言を漏らす。

「男性はアルラさんだけなんですね?」
「ん? ああ、言われてみればそうだな」
「それはひどい返しのような……」

「そうは言っても、彼女たちとは年も離れているしな。だから、そういった対象には見れんよ」
「年の差はあなたが魔族だからでしょう? 人間の年で表すとどの程度で?」
「三十前半から半ば、くらいなるか?」
「ああ~、結構離れてますわね。近い年齢はツキフネさんだけくらいでしょうか?」
「彼女はとても落ち着いているが、二百年近く生きる種族。人間年齢だと十代後半くらいだぞ」
「そ、そうなんですか? とてもそうは……おっと、失礼ですね」


 ラフィは口を押えて申し訳なさそうな態度を取る。
 だが、彼女がそう感じるのも無理はない。
 オーガリアンは体だけではなく心も早熟で、三十年も生きればかなり達観した物の見方ができるようになる。
 そのため、この中では誰よりも大人の女性としての雰囲気と考え方を持っている。

 だが、ラフィはまだ何か納得できないことがあるようで首を軽くひねっていた。
「う~ん」
「どうした?」
「いえ、年の差があったとしてもそういう対象にならないというわけじゃないのでは? と思いまして」
「まぁ、たしかに。だが、私は彼女たちを女性というよりも娘に近い視点で見ているところがあるからな」
「娘、ですか?」

 と、ラフィが声を返したところで、稽古を終えたカリンとツキフネがこちらへやってきた。


「おじさ~ん、ごはんまだ~?」
「今日は肉の煮込み料理と聞いたぞ。実に楽しみだ」

 私は汗を拭きながら腹を空かせる二人をチラ見してラフィへ戻す。
「まぁ、娘は娘でもダメ娘かもしれないが……」
「プッ、クスクス。みたいですね。それに、大人だと感じていたツキフネさんも可愛いところがあるみたいですし」


 稽古を終えた二人と合流した私たちは輪になって食事を取り始める。
 その合間に、改めて互いの自己紹介を行う。
 新たなに仲間になったラフィだが、一見落ち着いているように見えて、その実は感情に任せて勢いでついてきた旅。
 おまけに父と娘の縁を切るという大事まである。
 今はまだ、興奮という名の熱が彼女の心を覆っているため不安な様子を見せてはいない。
 しかし、時が経てば熱も冷め、心に変化が生じるだろう。

 その時のケアは……カリンとツキフネに丸投げしよう。


 焚火によって浮かび上がる私たちの影が木々に揺らめき、話し声と笑い声は沈黙の闇夜に賑やかな彩色さいしきを与え、楽し気な食事が進む。
 それも終わりかけた頃、私は地図を睨みながら次の目的地を口に出した。


「次の目的地は西方最後の町・ひやおろしだな。ここが最後の物資補給地点となる。この町より西に進むと、そこからは呪われた渇きの大地と穢れし沼しかない。それらを越えた場所に私たちの目指す場所、まほろぼ峡谷がある。そして、その峡谷の先には、一国を産み出せるほどの肥沃な大地が存在する」

 皆は食事を止めて私の話にしっかりと耳を立てる。その中でまずカリンが声を上げて、次に皆が続く。
「そこなら、居場所のない人たちに居場所を作ってあげられるんだね、おじさん!」
「ああ、その通りだ」

「だが、その前に難所が二つもあるな」
「安心しろ、ツキフネ。私が旅に同行している以上、それらは難所にならない」

「それは何故でしょうか?」
「リディ、それはその難所を産み出したのが私だからだ。私なら攻略法を知っている」

「難所を産み出した? それは一体どういう意味なのですか?」
「ラフィ、まほろぼ峡谷の先は私と勇者ティンダルたちが戦った場所であることは知っていよう。実はな、戦いの後、ある事情があって封印する必要があった。そのために私が難所を産み出したんだ」

「も? もも~?」
「貫太郎……ある事情については峡谷に辿り着いた時に話そう。その方が説明がやすい。しかし、これは君にとってつらい話になるだろうな」
「も!? もも~……」


 貫太郎はある事情の内容に気づき、悲し気な雰囲気を纏い、つぶらな瞳に睫毛を被せて閉じる。
 皆は彼女の様子と私の言葉に深く関心を寄せるが、私が貫太郎の頭を撫でつつ、もう一方の手を小さく振ると、彼女たちは深く追求することはなかった。

 私は彼女たちの気遣いに感謝しつつ、遥か西方へ瞳を向ける。
(峡谷を超えた先にある肥沃な大地。しかしそこは、世界を滅ぼす存在の出入り口。そろそろ話す頃合いだが……峡谷には門番がいる。そいつを交えて事情を語った方が良いだろうな)

 そう考え、スープの最後の一口を口へ運んだ。
 それを見計らい、カリンが神妙な面持ちを見せて声をかけてくる。

「あの、おじさん。二人だけで話をしたいことがあるんだけど……」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる

フルーツパフェ
大衆娯楽
 転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。  一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。  そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!  寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。 ――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです  そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。  大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。  相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。      

【完結】言いたいことがあるなら言ってみろ、と言われたので遠慮なく言ってみた

杜野秋人
ファンタジー
社交シーズン最後の大晩餐会と舞踏会。そのさなか、第三王子が突然、婚約者である伯爵家令嬢に婚約破棄を突き付けた。 なんでも、伯爵家令嬢が婚約者の地位を笠に着て、第三王子の寵愛する子爵家令嬢を虐めていたというのだ。 婚約者は否定するも、他にも次々と証言や証人が出てきて黙り込み俯いてしまう。 勝ち誇った王子は、最後にこう宣言した。 「そなたにも言い分はあろう。私は寛大だから弁明の機会をくれてやる。言いたいことがあるなら言ってみろ」 その一言が、自らの破滅を呼ぶことになるなど、この時彼はまだ気付いていなかった⸺! ◆例によって設定ナシの即興作品です。なので主人公の伯爵家令嬢以外に固有名詞はありません。頭カラッポにしてゆるっとお楽しみ下さい。 婚約破棄ものですが恋愛はありません。もちろん元サヤもナシです。 ◆全6話、約15000字程度でサラッと読めます。1日1話ずつ更新。 ◆この物語はアルファポリスのほか、小説家になろうでも公開します。 ◆9/29、HOTランキング入り!お読み頂きありがとうございます! 10/1、HOTランキング最高6位、人気ランキング11位、ファンタジーランキング1位!24h.pt瞬間最大11万4000pt!いずれも自己ベスト!ありがとうございます!

美しい姉と痩せこけた妹

サイコちゃん
ファンタジー
若き公爵は虐待を受けた姉妹を引き取ることにした。やがて訪れたのは美しい姉と痩せこけた妹だった。姉が夢中でケーキを食べる中、妹はそれがケーキだと分からない。姉がドレスのプレゼントに喜ぶ中、妹はそれがドレスだと分からない。公爵はあまりに差のある姉妹に疑念を抱いた――

【完結】私だけが知らない

綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

屋台飯! いらない子認定されたので、旅に出たいと思います。

彩世幻夜
ファンタジー
母が死にました。 父が連れてきた継母と異母弟に家を追い出されました。 わー、凄いテンプレ展開ですね! ふふふ、私はこの時を待っていた! いざ行かん、正義の旅へ! え? 魔王? 知りませんよ、私は勇者でも聖女でも賢者でもありませんから。 でも……美味しいは正義、ですよね? 2021/02/19 第一部完結 2021/02/21 第二部連載開始 2021/05/05 第二部完結

貴族に生まれたのに誘拐され1歳で死にかけた

佐藤醤油
ファンタジー
 貴族に生まれ、のんびりと赤ちゃん生活を満喫していたのに、気がついたら世界が変わっていた。  僕は、盗賊に誘拐され魔力を吸われながら生きる日々を過ごす。  魔力枯渇に陥ると死ぬ確率が高いにも関わらず年に1回は魔力枯渇になり死にかけている。  言葉が通じる様になって気がついたが、僕は他の人が持っていないステータスを見る力を持ち、さらに異世界と思われる世界の知識を覗ける力を持っている。  この力を使って、いつか脱出し母親の元へと戻ることを夢見て過ごす。  小さい体でチートな力は使えない中、どうにか生きる知恵を出し生活する。 ------------------------------------------------------------------  お知らせ   「転生者はめぐりあう」 始めました。 ------------------------------------------------------------------ 注意  作者の暇つぶし、気分転換中の自己満足で公開する作品です。  感想は受け付けていません。  誤字脱字、文面等気になる方はお気に入りを削除で対応してください。

頭が花畑の女と言われたので、その通り花畑に住むことにしました。

音爽(ネソウ)
ファンタジー
見た目だけはユルフワ女子のハウラナ・ゼベール王女。 その容姿のせいで誤解され、男達には尻軽の都合の良い女と見られ、婦女子たちに嫌われていた。 16歳になったハウラナは大帝国ダネスゲート皇帝の末席側室として娶られた、体の良い人質だった。 後宮内で弱小国の王女は冷遇を受けるが……。

処理中です...