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第二章 居場所のない少女

第12話 料理歴三十年の魔王と異世界の乳牛

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――次の日


 夜が明ける前に村の女性ユリヤを帰して、私たちは森の中で朝食の準備をしていた。
 両手に二羽の野鳥と大量の野草を抱えて持ってきたカリンが話しかけてくる。

「おじさん、大量だよ! おじさん、いっぱい食べそうだからね」
「それはどういう意味だ? 食べるが……」

 私は貫太郎の背にブラシを通しながら悪態をつく。
 背をブラシで撫でられた貫太郎は、気持ちよさそうに声を生んだ。
「も~」
「フフフ、今日も君は美しいなぁ。貫太郎」


 この様子を見ていたカリンが何故か呆れ声を漏らす。
「おじさんって、貫太郎ちゃんを相手にすると変になるね。破顔して締まりないし」
「なんだと? 美しいものを目にすれば誰だって顔が緩み崩れるものだろう!」
「程度に問題が……」

「あまりくだらないことを言うと、貫太郎の牛乳を飲ませてやらないぞ」
「あ、それは困るかも。貫太郎ちゃんのミルクって無茶苦茶美味しいから。そういえばさ、貫太郎ちゃんって、妊娠してるんだよね。戦いで無理させちゃって大丈夫だったのかな?」
「妊娠? 何故そう思う?」

「だって、乳牛がミルクを作るのって妊娠してる時だけでしょ?」
「ああ、そういうことか。貫太郎はただの乳牛ではない。師匠から預かった異なる世界からやってきた異世界の乳牛なのだ。だから、妊娠などしなくても、私たちに新鮮で美味しい牛乳を常に提供してくれる」

「……はい? 異世界の乳牛?」

「なんだ、信用しないのか?」
「信用以前に、何を言ってるんだろう、この人? が、前に来るかな?」
「ふん、小さな常識で物事を判断し過ぎだ」

「小さな常識って、思いっきり大枠から外れた言葉を聞いたら、誰でもそう感じると思うけど……まぁいいや。たしかに闘気を纏ったり、子龍こりゅうと渡り合ったりと貫太郎ちゃんは只者じゃないみたいだし。牛乳も美味しいしね。そういうことにしとくよ」


「ああ、理解も証明も面倒だからそうしておけ。もっとも、牛乳が美味しいのは師匠直伝の特殊配合飼料に、私のアレンジを加えた飼料のおかげでもあるがな。だが――今は森の雑草をむ毎日。貫太郎よ、すまない! この甲斐性無しのせいで、君にひもじい思いをさせて!!」

「も~、もも~」
「ああ~、君はなんて優しい女性なんだ! こんな私を慰めてくれるなんて! 見目も女神のよう美しいが心もまた――」

「おじさ~ん、帰って来て~。ほらほら、野草の中には貫太郎ちゃんのご飯もあるから」
 彼女はどさりと地面に野草を置く。
 貫太郎が頭を近づけようとするが、それを制止する。

「待て、貫太郎」
「ぶも?」
「この野草は……やっぱり、毒草じゃないか、カリン!」
「ほぇ? そんなはずは……だって、いつも私が食べてるものだよ」


 私は葉の分厚い野草を手に取る。
「これはガルンジャと言って、牛にとって毒草になるんだ」
「え、そうなんだ?」
「他にも、こちらの野草は人間にも危険だ。少量だと薬になるが大量に摂取すると吐き気を催す」
「そ、そうなの? 知らなかった。でも、普段はこんなに取ってこないから。おじさんのために一杯とってきたのが不味かったみたい」

「微妙に私のせいになっている気がするが。あと、この小指サイズの木の実は……」
「モイモイの実がどうかしたの?」
「一応尋ねるが、食べ方はわかっているか?」
「わかってるよ。生だと毒だけど、火を通すと毒性が無くなるんでしょ」
「わかっているならいいが……何もこいつを採ってこなくても」
「あ~、ごめん。ついくせで」
「くせ?」

「ほら、旅をしてるとどうしてもお金に困ることがあるんだよ。その時に役に立つのが、この不人気な木の実モイモイ。生だと毒があるからみんなが敬遠して森にり放題。おかげで取り放題なんで良くお世話になってるんだ」

「別名貧者の実とも言うしな。炙って食べると酒のつまみになって美味うまいのだが、栄養はほとんどなく、さらに毒のイメージが先行して不人気」
「あれ、おじさんも結構食べてる?」

「若い頃な。まだ私が部隊長だった頃、戦場で物資が途絶え気味の時よく世話になった……ああ、それで思い出した。たしか、生で食べた馬鹿者がいたな」
「モイモイを生で食べたらどうなるの? 危険だとしか知らないけど。あと、味とかは?」
「味はほとんど無味だそうだ。生食した場合、少量なら喉が炎症を起こして咳き込む程度。大量なら死ぬ」
「死ぬんだ……」

「大量と言ってもバケツ一杯食べないと駄目だがな。ただし、蓄積型の毒なので継続的に摂取し続けると、咳にいで熱に吐き気と風邪に似た症状を見せ始めて、死に至る」
「バケツ一杯か。さすがにそんなにとらないし、毎日モイモイを生で食べることも……」
「それがな、居たんだよ。そんな馬鹿が……」
「そ、そうなんだ……それで、その人は?」

「死んではいない。だが、戦線から離れ治療するはめに。思い返せば、戦線を離脱する口実だったのかもしれん」
「賢いね、その人」
「どうだろうか。後遺症もあると聞くし。さて、雑談はここまでにして朝食の準備をしよう」



――朝食の準備。材料はカリンが用意したので、料理は私がやることにした。

 材料――カリンが取ってきた野草類。塩。砂糖。野鳥二羽。貫太郎のミルク。貫太郎産のチーズとバター。
 チーズは生乳に柑橘系の汁を入れて分離した発酵を要しないもの。
 バターは容器に生乳を入れてひたすら振ってできたもの。

 野鳥の下拵え。首を切り落とす。逆さにして数分ほど血抜き。
 内臓の処理を行う。胆嚢や小腸を傷つけないように注意。胆嚢たんのうを破くと臭いし、肉が苦くなる。小腸からは糞が出てくる。

 鳥の羽を毟るために、カリンが旅の道具として持っていた鍋でお湯を沸かして入れる。取り出して羽根を毟る。毟り残った羽根を火で炙り焼く。
 羽根を失い、あられもない姿になった野鳥の肉を削いでいく。

 次に野草の下拵え。お湯へ入れてあく抜き。
 鍋の中にバターを入れて肉を軽く焼き、次にチーズと塩とミルクを入れて煮る。野草を加える。ここで砂糖を少々。
 調理の合間を利用して、小麦粉に牛乳とバターを加えて練って焼く。パンもどきの完成。


「というわけで、パンもどきと野草のミルク煮の出来上がりだ。飲み物はミルク。付け合わせは、モイモイの実を焼いただけだが十分だろう」
「おおお~、凄い。旅をしている最中にこんなまともな食事ができるなんて思わなかった」
「そうか? 大した料理じゃないぞ。まぁ、時間が掛かるのが難点だが、追手もなさそうだしかまわないだろう。ともかく、食べるといい。私は先に貫太郎へ野草を与えるとするから」


 私は立ち上がり、カリンが集めてきた野草をり分けて、それらを貫太郎へ食べさせることにした。
「どうだ、貫太郎。美味しいか?」
「も~」
「そうか、本来ならば師匠直伝私特製の配合飼料を食べさせてあげたいのだが……落ち着いたら、たくさん食べさせてやるからな」
「ももも~」
「フフフ、やはり君は本当に優しい女性だ」


 貫太郎の背を撫でる。寒さが残る春の早朝……しかし、私と貫太郎は暖かな団欒に心を包む。
 そこへ、ミルク煮を食べているカリンが話しかけてくる。

「もぐ、うまっ! 牛乳と砂糖の甘みが野草のえぐみを消してるんだ。おじさんって料理人?」
「いや、違う。料理が得意なだけだ。若い頃から簡単な物は作っていたが、凝り始めたのはここ三十年ほどなので、料理歴自体はさほどではないな」
「三十年がさほどでない……さすがは魔族の人、時間の感覚が違う」


 カリンは木匙を口に含み、カリッと先端を少しだけ噛むと首を傾げ、匙から口を離す。
「あの、おじさん。昨日は聞きそびれたんだけど……どうして、わたしの旅についていこうと思ったの? アドバイスなんかもしてくれるし。それに、わたし……影の民だよ……」


 最後に口にした言葉。
 忌まわしき影の民。全種族から嫌われし存在。世界の敵。
 そんな自分と旅を共にする違和感。疑問。心苦しさ。うしろめたさが掻き消えるような声として表れる。
 それについて、私はこう答えを返した。

「昨日も話したが、私の部下に影の民がいた。だから、偏見はない」
「だけど、わたしと一緒にいたら……」
「それは大した問題ではない。私もまた、君と同様に居場所がない存在でな。魔族が住まう場所には戻れない。だから、角を隠して瞳の色を変えて人間族の領域にいるのだからな」

 私は角のない頭をさすりつつ、クワリッと瞼を開き、人間のように白目に浮かぶ黄金の瞳を見せつけて言葉を続ける。
「君の方こそいいのか? 私は魔族だ。人間社会に溶け込もうとしている君にとっては迷惑な存在なのでは?」
「それは……」

 彼女は木匙をミルク煮の中に入れて、軽くかき混ぜる。
「迷惑だなんて思わないよ。わたしも同じ、居場所のない存在だもん。だから、えっと……」
 カリンの口元が少しだけ緩む。だけど、醸し出す空気には寂しさが溶け込む。

 ずっと一人で旅をしてきた彼女にとって、旅仲間ができるというのはとても嬉しいものだろう。
 だが、その反面、受け入れてくれる者が同じく居場所のない存在ということに寂しさ感じているようだ。
 カリンは小さく首を左右に振って、こちらへ顔を向けた。

「おじさんが魔族であってもわたしは気にしない。おじさんもわたしが影の民であることを気にしないでくれる。だから、いいかな」
「ふふ、妙な答えだ」
「むむ~、妙で悪かったね。あ、でも、まだ質問にはちゃんと答えてないよ、おじさん」
「ん?」
「旅についてくる理由。どうしてアドバイスをしてくれたのか?」
 

「それか。一言で言えば……」
「言えば?」
「暇つぶし。なにせ、やることがないのでな」
「ええ~。それ、最低だと思う」
「ふふふ、そう言うな」

 私は笑いの中に、密かな期待を籠める。
(ま、君に惹かれている部分もあるがな。勇者ティンダルの面影を見せる君が、どのように育っていくか、というな)

「ん、どうしたの? 急に黙って?」
「失礼、少々考え事をしていた。しかしだ、このような同行理由では君が怒るのもごもっともだろう。だから、暇つぶしの代金として、手探りな旅を続けている君に目標を与えよう」
「目標?」


 私は貫太郎の背を撫でていた手を止めて、その手を遥か西へ向ける。

「ここから遥か西にある乾いた大地を越えて、汚染された湿地を渡った先にまほろば峡谷と言う場所がある。その峡谷の奥には、一国を産み出せるほどの肥沃な大地が広がっている」
「え!?」

「その場所であれば、君が望む、居場所のない者たちへ居場所を産み出せるだろう。そこで君は――国家を作るべきだ!」
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