彼女のキスは甘く冷たい

氷川瑠衣

文字の大きさ
上 下
14 / 17

死の予感、死への渇望

しおりを挟む
 ぼくはカウンターを乗り越えて女につかみかかった。女は怒声を上げてカウンターの上に置いてあったウィスキーの酒瓶に手を伸ばし、ぼくの頭頂部とうちょうぶ目がけて振り下ろしてきた。かろうじて避けたぼくの肩口を叩いた酒瓶は、カウンターの端に激突して砕け散り、狭い店の中に濃密なウィスキーの匂いをき散らした。 

 女の右手をひねり上げ、割れた酒瓶を床にはたき落とした。獣じみた呻きを上げながら暴れる女を力尽くでカウンターに押し付けると、女の足が跳ね上がり、ぼくの股間を蹴りつけてきた。かろうじてかわしはしたものの、バランスを崩して狭いカウンターの床に倒れ込んだ。 
 倒れ込んだぼくの前で女がカウンターから持ち上げたのは、彼女の遺骨が入った骨壺だった。静止する暇もなく、女はぼく目掛けて骨壺を投げ落とした。彼女の骨を詰めた白磁の壺はぼくの側頭部そくとうぶに激突し、派手な音を立てて砕け散った。狭い店の中が舞い散る粉塵ふんじんで白くにごり、店の天井に設置された火災感知器が作動し鋭い警告音を発した。 

 側頭部を強打されたぼくの意識は束の間消失していたようだが、女もまた舞い散る粉塵のせいで激しく咳き込んでいた。かび臭いこの粉塵こそが、現世に唯一残った彼女のあかしだった。 

「いきなり襲われたんだから、お前が悪いんだ。正当防衛なんだから、お前が悪いんだよ」 

 粉塵に塗れた女の手には、刃渡り20㎝はありそうな柳葉包丁やなぎばぼうちょうが握られていた。立ち上がろうと足掻あがくぼくに、女は柳葉包丁を逆手に構えて近づいてくる。 

「仕方ないんだよ。悪いのはあんたなんだからさ。あたしは自分を守っただけだ。正当防衛なんだよ。正当防衛」 

 譫言うわごとのように繰り返しながら、女は距離を詰めてくる。女の目にはもう、ぼくは映ってはいない。下卑げびた笑みと、血に飢えた獣の興奮だけが女の行動を支配しているようだった。 
 
 女が包丁を振り下ろすのと、ぼくが立ち上がったのはほとんど同時だった。女の振り下ろした刃がぼくの左耳をかすめ、鎖骨さこつの皮膚を切り裂いた。ぼくは両手で女を抱きしめ、そのかわいた唇に自分の唇を重ねていた。 

 腕の中で抗う女の体を押さえつけながら、ぼくはむさぼるように女の唇を吸い続けた。腕の中で暴れる女の体から不意に抵抗が消え、強張こわばっていた全身が砂のように力を失っていく。硬く乾いた女の唇が開き、狂暴なヘビを連想させる長い舌がぼくの口蓋こうがいに侵入し、煙草の臭いと長年の不摂生で痛めた胃に溜まったガスがぼくの口の中に広がっていく。吐き気を催して女から離れようとしたが、いつの間にかぼくは女の腕に全身を絡めとられていた。 

 糸を引く唾液だえきを舐めとりながら、女が卑猥ひわいに笑った。血と暴力に酔ったのか、完全に開いた女の瞳孔が薄暗い部屋の灯りを反射して輝いていた。 

「なんだよ。やりたいのかよ、こんなおばちゃんと。だったら最初からそう言えばいい」 

 ぼくは女から身を離し、距離を取った。女の手にはあいかわらず包丁が握られていて、その切先はぼくの心臓に向いていた。 

「恥ずかしがらなくていいんだよ、ぼく。おいでよ。あいつよりあたしの方が上手いんだから。年季の違いを教えてやるよ」 

 しゃがれたあえぎを口から漏らしながら、女は自らの股間を左手でまさぐり出した。なまじ彼女の面影があるだけに、女の姿は耐えきれないほどおぞましい。 

 にじり寄る女に、カウンターの端まで追い詰められた。もう後には下がれなかった。女がぼくの胸を刺し貫いてくれれば、何もかもが終わる。地獄があるのなら、ぼくはおそらくそこで彼女と過ごすことになる。それは幸せな幻想だった。彼女と一緒ならどこにでも行ける。もちろんその前に、沙織と茉奈にびなければならないけれど、それすらも今となってはひそかな喜びに変わっていた。 
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

意味がわかるとえろい話

山本みんみ
ホラー
意味が分かれば下ネタに感じるかもしれない話です(意味深)

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

♡蜜壺に指を滑り込ませて蜜をクチュクチュ♡

x頭金x
大衆娯楽
♡ちょっとHなショートショート♡年末まで毎日5本投稿中!!

マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子

ちひろ
恋愛
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子の話。 Fantiaでは他にもえっちなお話を書いてます。よかったら遊びに来てね。

意味がわかると下ネタにしかならない話

黒猫
ホラー
意味がわかると怖い話に影響されて作成した作品意味がわかると下ネタにしかならない話(ちなみに作者ががんばって考えているの更新遅れるっす)

意味が分かると怖い話 考察

井村つた
ホラー
意味が分かると怖い話 の考察をしたいと思います。 解釈間違いがあれば教えてください。 ところで、「ウミガメのスープ」ってなんですか?

本当にあった怖い話

邪神 白猫
ホラー
リスナーさんや読者の方から聞いた体験談【本当にあった怖い話】を基にして書いたオムニバスになります。 完結としますが、体験談が追加され次第更新します。 LINEオプチャにて、体験談募集中✨ あなたの体験談、投稿してみませんか? 投稿された体験談は、YouTubeにて朗読させて頂く場合があります。 【邪神白猫】で検索してみてね🐱 ↓YouTubeにて、朗読中(コピペで飛んでください) https://youtube.com/@yuachanRio ※登場する施設名や人物名などは全て架空です。

【一話完結】3分で読める背筋の凍る怖い話

冬一こもる
ホラー
本当に怖いのはありそうな恐怖。日常に潜むあり得る恐怖。 読者の日常に不安の種を植え付けます。 きっといつか不安の花は開く。

処理中です...