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「マリエラ?な、何を言ってるかわからない。どういうこと?」

「ちょっとまって。ジャナ、薬とコンタクトレンズ」

マリエラは狼狽えている父を無視して、メガネを外しジャナが手渡してきたコンタクトレンズを付ける。早く慣れたいからと何度も装着の練習をしたため、今では鏡がなくても付けることができる。目にレンズを入れる様子を見ていた父が悲鳴を上げているが、無視して次に魔法薬を飲んだ。この魔法薬は水魔法の衣が纏われているので、水無しでどこでも飲むことができるのだ。

「そんな、リリーの水色が、赤くなってる……。そんなもの目から出しなさい!」

リリーというのは母リリアーナのこと。マリエラの母譲りの水色の瞳はものの数秒で赤色に、父と同じ黒髪はピンク色に変わり、ピンク色の髪で赤い瞳のジャナとおそろいに変わっているはず。鏡がないため確認できないが、ゆるく纏めていたふわふわの髪を手に取り見てみるとちゃんとピンク色に変わっている。
母の髪色は淡い紫色だった。マリエラは元の黒髪よりも変色後のピンク色の方が母の雰囲気に近いと思っていたのだが、父はそんなことよりも水色の瞳が赤くなってしまったことが衝撃のようだ。

「これは”コンタクトレンズ”だよ。最近ルオポロ王国で開発されたって、ヴィルガの新聞にものってたから知ってるでしょ?まだ流通はしていないけど、治験者になったの。髪と瞳の色が変わったのはこっちの魔法薬のせい」

この領地にいる使用人は、母の兄でルオポロ王国のバルビ公爵の伯父が手配してくれたこともあり、マリエラは王都にいた時よりもずっと伯父との交流ができるようになった。コンタクトレンズも、魔法薬も、手配してくれたのは伯父だ。

「ジャナ、お前がマリエラをそそのかしたのか?私はお前がマリエラに毒を盛った実行犯ではないかと言われても、リリーの従姉妹のお前はそんなことしないと信じたというのに。……かわいいマリエラをお前と同じ髪と目にして、お前は何がしたいんだ!」

父はマリエラの突然の宣言と変化に混乱し、ジャナに洗脳されていると思い込んでしまった様子。椅子から立ち上がり、ジャナを指差し怒鳴りつけている。

マリエラは毒を盛った実行犯にジャナが疑われていたとは、まさか、と一瞬考えて、すぐにさもありなんと思い直した。ジャナが拝金主義者ということは使用人の間では周知の事実。侍女長あたりが「ジャナはお金を貰えればお嬢様に毒を盛ると思います」などと証言した姿が思い浮かぶ。
何を隠そうマリエラも謎の体調不良に倒れてすぐに「もしも誰かに雇われているなら、その倍のお金を出すからこちらに寝返らないか」とジャナへ問いかけたくらいなのだ。その話に乗らなかったことで、毒を盛った実行犯はジャナではないと判断している。

「私の笑顔は有料です」と言い滅多に笑わないジャナは、切れ長で重たい瞼に三白眼のせいで目つきが悪く、その極悪な顔と冷めた性格に反して、ピンクの髪に赤い瞳で可愛い色をしているのがとても面白い。権力におもねらず忖度のない言葉選びも、高位貴族として生まれた母にとって好ましかったのだろうと、母と同じくジャナのことが好きなマリエラは思う。

ジャナのピンク色の髪は王都にいたころは腰の上程まであったが、今は肩に付くほどの短さだ。なぜなら1年前、マリエラがジャナの髪を給料1ヶ月分で買い取ったから。
髪と瞳の色を変える魔法薬を作成するのには髪の毛が必要で、飲めば原料となった髪の持ち主と同じ髪色と瞳の色に変わる。1粒24時間の効果になるように調整し作成してもらった魔法薬は、給料1ヶ月分50センチ程のジャナの髪から、約1000粒およそ2年半分も生成することができた。この1000粒が無くなる2年半後には、またジャナの髪も伸びているだろう。
貴族籍を持つ女性が首が見えるほど髪を切るなど本来ありえないのだが、給料1ヶ月分のお金で髪などまた伸びると切ってしまうのがジャナなのだ。

そんな変わり者の侍女ジャナは、実は、マリエラの母方の祖母で前バルビ公爵夫人の兄の娘。
祖母は伯爵家からバルビ公爵へ嫁いだため、その兄は伯爵で、その娘のジャナは、もう30代だがまだ未婚のため、伯爵令嬢。そのため従姉妹にも関わらず母との身分に差がある。
学園時代に婚約者に浮気されて婚約破棄したジャナは、次の婚約者を探すのではなく隣国ヴィルガ王国へ嫁ぐ従姉妹の侍女の道を選んだ。

ジャナが拝金主義者になるきっかけはおそらく婚約破棄の時にあるはず。そう問いかけたマリエラへジャナは給料3ヶ月分で話すと言ってきた。マリエラは無料で教えてくれるのを待つことにしている。

マリエラの従叔母、つまり、母だけでなく現バルビ公爵の従姉妹でもあるジャナは、動じることなく父の剣幕に答えた。

「旦那様、私はお嬢様をそそのかしたりなどしておりません。確かに、イエル・ドルチェという貴族籍は私の母の妹の嫁ぎ先ドルチェ男爵の末娘にあたるものです。ですが、コンタクトレンズの治験を手配したのも、こちらの髪色と瞳の色を変える魔法薬を作らせたのも、私の母方の親戚から貴族籍を買ったのも、私の父方の従兄弟バルビ公爵。……正しくは、病床のお嬢様が錠前魔導師になる夢を明かし、バルビ公爵がそれを叶えるためにお嬢様がカファロ公爵家から出奔する計画を立てて、私をはじめとした配下が動かされているんです。……それから、私はお嬢様に毒を盛ってませんよ。さすがにリリー様の娘に毒を盛るなんて、相当な金額を積まれないとできません。お嬢様といい、親子で疑うなんて失礼です」

ジャナの反論の途中で顔から怒りが抜け落ち、諦めたようにふふと笑った父は、力が抜けたように椅子に座りこんでしまった。頭を抱えて考え込んでしまっている。

まだ王都にいたころ謎の体調不良で弱っていたマリエラは、酷い咳の発作が出て意識がはっきりしないのに寝ることもできない夜、息も絶え絶えに「錠前魔導師になりたかった」と何度も言っていたらしい。そのつぶやきがジャナから伯父に伝わった。領地についてすぐ、マリエラは伯父から、新しい身分でルオポロ王国の錠前魔導師になれるがどうすると提案されたのだ。

バルビ公爵の可愛い妹は、前バルビ公爵が強欲だったために、政略結婚で隣国へ嫁いでしまった。その妹は嫁いで数年で亡くなってしまい、死後、夫に婚外子がいたことがわかる。しかも、妹に瓜二つな姪は後妻から毒を盛られ、田舎に追いやられてるのに、妹の夫は後妻に罰を与えられない。

伯父は、姪のマリエラのためならば父に協力は惜しまないが、父が母とマリエラへしたことを許してなどいない。伯父がマリエラの出奔を手伝うのは、もちろんマリエラの願いを叶えたい気持ちもあるだろうが、何よりもそれが父への仕返しになると理解しているから。

父はジャナの言葉で伯父の思いを察したのだろう。

「パパだってマリエラの願いを叶えてあげたいと思う。……でもね、マリエラがこれまで公爵令嬢として過ごすためにどれだけの税を使ったかわかるかい?マリエラが殿下の婚約者だったことでルオポロ王国から魔石の安定購入が出来ていたけど、その恩恵だけじゃ足りない。殿下と婚約解消したら、このヴィルガ王国の錠前魔導師になることはできるよ。……けど、そうだね、マリエラはもうヴィルガ王国の貴族として生きたくないのか。ごめん」

やはり父はマリエラに甘い。マリエラがカファロ公爵令嬢として過ごすのにかかったお金さえ払えば、カファロ公爵家から出ても良いと言ってくれた。

イエルになるにあたり、父の反対だけが気がかりだった。伯父は父からの許可など取らず、黙って出奔したらいいと言っていたが、マリエラはそんなことできなかった。やはり親子なのだろう。貴族として生まれたことへの折り合いを、父がお金で片付けるのはマリエラの予想でしかなかったが、予想通りだったことが嬉しい。

マリエラは立ち上がり、暖炉の上の飾りにある小さな穴へ、ペンダントにつけて首から下げていた鍵を差し込み鍵を開けた。
通常ならこれで開くのだが、この暖炉の錠前魔法は、マリエラによって錠前魔法を上から重ねて掛けている。もう一つの鍵を開るため、マリエラは指を掲げた。
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