上 下
8 / 18

08

しおりを挟む

父は3人の子供たちの内、マリエラを贔屓している。フィオレとエンリコのことを厭っている訳ではないものの、二人への態度は明らかにマリエラへのものとは違う。ジャナへ聞いたところ、フィオレとエンリコへの父の態度は貴族の家庭としては普通で、マリエラへの愛情が特別深いだけなのだと言われてしまった。
そんな父へフィオレがマリエラへ毒を盛ったかもしれないなどと言ったら、たとえそれがマリエラの気のせいで冤罪だと証明されたとしても、マリエラが疑う何かがあったのではと考えてフィオレを遠ざけかねない。

弱った身体での馬車移動という13年の人生で1番辛い状態の中、マリエラは半ば朦朧としながらフィオレについて考える。

途方も無い量の知識を蓄え、マナーやダンスの実技の厳しい訓練、王子や側近候補たちとの交流や、令嬢を掌握するためのお茶会など、朝早くから夜遅くまで分単位の予定を過ごしている。
だけれど、フィオレに王妃になることを強要している者などどこにもいない。義母とラコーニ公爵家はフィオレからの要望を聞き入れているにすぎず、フィオレは自らの意思で王妃を目指し過剰な努力をしているのだ。

王妃になることへの執着心は義母譲りだとして、その動機はどこから来ているのだろうか……。

おそらく、レオポルドはフィオレが王妃に拘る動機ではない。アルフレードが王太子になり、フィオレがカファロ公爵令嬢からラコーニ公爵令嬢へ戻れば、フィオレはレオポルドは結婚できる。マリエラにはあの好奇心旺盛であきっぽいレオポルドが王位に拘る人物には思えないので、叶わない方法ではないはず。

フィオレの、あの、初めてあった日の不安な青い瞳を思い出す。

父はマリエラだけ可愛がり、義母の目には父しか映っていない。両親からの愛を知らないフィオレは、王妃になることだけを心の支えにしているのではないだろうか。エンリコが産まれてからは、マリエラとエンリコがフィオレを愛していたつもりだが、それでは満たされなかったのかもしれない。

フィオレが王妃になるのはもちろん、フィオレが幸せになりますように。レオポルドが父のように浮気などせず誠実にフィオレを愛してくれるますようにと、馬車が揺れ意識が遠のく中でマリエラは祈った。

馬車が王都から離れた距離に比例するように、マリエラは段々と息苦しさがなくなり、領地へ着く前には食事と睡眠を取れるようになった。領地で暮らすようになってからひと月もせず咳も治まり、健康体に戻った。これでは王都で毒を盛られていたのだと認めざるを得ない。
この毒が義母とフィオレのどちらが手配したものなのか追求する手段はマリエラにはないが、フィオレを疑い調べているのかと父へ問うことはしなかった。

領地へ来てからは王妃教育はなくなり、婚約者としての義務はレオポルドとの文通だけ。
まだ婚約解消をしていないが、お互い結婚する将来はないと理解している上での、建前のための文通。王族として多忙なレオポルドがそんな手紙を読むことはないだろうと、従者に代筆をたのむはずと思ったマリエラは、好き勝手に、つまり、錠前魔法について熱く語る手紙を書いた。それに対して錠前魔法についての珍しい情報を手に入れたからと教えてくれる返事が来るのだが、あのレオポルドがそんな手紙を書くはずがない。
レオポルドの従者の中で珍しくマリエラへ話しかけてくることがあったカルリノの代筆にマリエラはケーキ2個を賭け、ジャナは大穴でレオポルド本人にケーキ3個を賭けた。誰が手紙を書いてくれていたのか、いつか答え合わせをして、ジャナの奢りでケーキを食べる未来が来ればいいなと思う。

健康に戻っても王都へは戻れない。錠前魔法について研究するなど好きなことをして過ごすマリエラは、領地で14歳の誕生日を迎え、とうとう学園へ入学する時期が近づいてきた。学園入学を2ヶ月後に控え準備をしていた冬の一番寒い頃、父が領地へ来た。6歳になったエンリコも一緒だ。

マリエラが領地で過ごした1年半、父は季節ごとにエンリコを連れて領地まで来てくれたが、学園へ入学まであと2ヶ月の今、父が領地へ来ることはないと思っていた。実はマリエラの方から父を領地へ呼ぼうと思っていたので、父の方から来てくれたことに驚いた。

エンリコは久しぶりにマリエラと会ったことが嬉しくて、ひとしきりはしゃぎ今は昼寝をしている。父とマリエラは二人でお茶を飲む。暖炉の火が暖かいからと羽織を脱いだ父の腕には、相変わらず母と父のブレスレットが2本付けられているのを、マリエラはこっそりと確認した。

「国内発掘の新しい魔石が見つかったんだ。認可され次第、マリエラの婚約は解消される。きっと1年はかからないよ。……それと、レオポルド殿下からマリエラはまだ領地で療養した方がいいって言われてしまったんだ。婚約解消するまで学園へ入学させるなってことだろう。殿下の横暴に従うことになるのは悔しいけど、実はパパも婚約解消するまでは領地にいる方が良いと思ってたんだ。……マリエラはそれでも良いかい?」

こんなこと手紙で命令しても良かったのに。

マリエラに直接問いかけるために領地まで来てくれた父を思い胸が温かくなる。これは暖炉のせいではない。

マリエラの婚約はルオポロ王国の魔石輸入のためだったため、領地に行ってすぐにルオポロ王国の血が入った令嬢へ婚約者が変わらないと本来ならおかしい。婚約解消が遅くなればなるほどマリエラの令嬢としての価値は落ちていくし、マリエラは毒まで盛られているのだ。それにも関わらず、今もマリエラの婚約が解消されていないのは、フィオレのため。フィオレが次の婚約者になるためにラコーニ公爵家が王家へ頼んだから。
つまり、フィオレとラコーニ公爵家は、魔石の新しい入手先が見つかるまでマリエラの将来を犠牲にし続けているということ。それは、マリエラがフィオレから直接お願いされて、了承した上でのことなのでマリエラに怒りはない。高位貴族としての生き方が肌に合わないと感じているマリエラは、令嬢としての価値が落ちて嫁ぎ先が下位貴族になっても構わないし、むしろその方が好ましいと思ったのだ。

そして、マリエラとレオポルドの婚約は、ルオポロ王国の横槍により、ヴィルガ王国ではあり得ない契約をしている。”浮気をしたら浮気をした方が有責で婚約破棄になる”という契約でマリエラと婚約し続けているレオポルドは、いずれ婚約解消するとわかっていたとしても、マリエラ以外の令嬢と仲良くすることができない。

レオポルドは学園で自由にフィオレと過ごすために、マリエラが学園に入学しないようにと父に頼んだのだ。

王都にいるフィオレからは月に数通の手紙が届くのだが、その手紙にはマリエラの婚約解消がなされないことへの謝罪と、レオポルドと仲睦まじく過ごしている様子が書いてある。言ってしまえば、マリエラはこの手紙を証拠にレオポルド有責で婚約破棄することがいつでもできる。それをせずにフィオレとレオポルドの仲を認めているのだ。学園へ入学して、レオポルドとフィオレが仲良くしている姿を見たとしても、婚約破棄をすることなどない。

フィオレはマリエラを信じてくれているだろうが、レオポルドはそうではないということ。書類上では今もまだ婚約しているマリエラのことを、婚約者のレオポルドが1番信じていないのだ。

フィオレとレオポルドの浮気を追求して婚約破棄するなど、フィオレとレオポルドとマリエラの3人全員に取り返しのつかない瑕疵がつく。自分の体に爆薬を付け自死を覚悟で爆発させるようなものだ。
マリエラはレオポルドにそんな婚約破棄をしかねない女と判断されている。つまりレオポルドは過去のマリエラへの扱いが、婚約破棄をされるくらいの恨みを買う酷いものだったと思っているらしい。

婚約解消がなされていない上、学園へ入学しないマリエラ。後妻のカファロ公爵夫人から冷遇されていると判断され、ラコーニ公爵家の派閥や高位貴族家からは避けられる。でも、ラコーニ公爵家と派閥が異なる伯爵や子爵にならまだ嫁げる。
レオポルドの指示通りにヴィルガ王立学園入学を1年遅らせたとしても、マリエラは伯爵や子爵へ嫁げるだろう。

でも、

「お父様、私、ルオポロ王国で錠前魔導師イエル・ドルチェになるの」

マリエラはもうヴィルガ王国の貴族令嬢をやめようと決めている。

「元々ヴィルガ王立学園には行くつもりなかったから今回の話はちょうど良いね。……もう、イエルになる準備はできてるんだ」

愛されて育ったマリエラには、この殺伐とした貴族社会はもう耐えられない。愛してくれた父と母のせい。でも、愛してくれたことには心から感謝している。
しおりを挟む
感想 5

あなたにおすすめの小説

処刑される未来をなんとか回避したい公爵令嬢と、その公爵令嬢を絶対に処刑したい男爵令嬢のお話

真理亜
恋愛
公爵令嬢のイライザには夢という形で未来を予知する能力があった。その夢の中でイライザは冤罪を着せられ処刑されてしまう。そんな未来を絶対に回避したいイライザは、予知能力を使って未来を変えようと奮闘する。それに対して、男爵令嬢であるエミリアは絶対にイライザを処刑しようと画策する。実は彼女にも譲れない理由があって...

英雄の元婚約者は魔塔で怠惰に暮らしたいだけ。

氷雨そら
恋愛
魔塔で怠惰に暮らしているエレノアは、王国では魔女と呼ばれている魔塔の長。 だが、そのダラダラとした生活は、突然終わりを告げる。 戦地から英雄として帰還した元婚約者のせいで。 「え? 婚約破棄されてなかった?」 連れ去られたエレノアは、怠惰な部屋で溺愛される。本人はそのことに気が付かないけれど。 小説家になろう様にも投稿しています。

この婚約破棄は、神に誓いますの

編端みどり
恋愛
隣国のスーパーウーマン、エミリー様がいきなり婚約破棄された! やばいやばい!! エミリー様の扇子がっ!! 怒らせたらこの国終わるって! なんとかお怒りを鎮めたいモブ令嬢視点でお送りします。

婚約破棄された令嬢が呆然としてる間に、周囲の人達が王子を論破してくれました

マーサ
恋愛
国王在位15年を祝うパーティの場で、第1王子であるアルベールから婚約破棄を宣告された侯爵令嬢オルタンス。 真意を問いただそうとした瞬間、隣国の王太子や第2王子、学友たちまでアルベールに反論し始め、オルタンスが一言も話さないまま事態は収束に向かっていく…。

日常的に罠にかかるうさぎが、とうとう逃げられない罠に絡め取られるお話

下菊みこと
恋愛
ヤンデレっていうほど病んでないけど、機を見て主人公を捕獲する彼。 そんな彼に見事に捕まる主人公。 そんなお話です。 ムーンライトノベルズ様でも投稿しています。

婚約破棄されたので、契約不履行により、秘密を明かします

tartan321
恋愛
婚約はある種の口止めだった。 だが、その婚約が破棄されてしまった以上、効力はない。しかも、婚約者は、悪役令嬢のスーザンだったのだ。 「へへへ、全部話しちゃいますか!!!」 悪役令嬢っぷりを発揮します!!!

傲慢令嬢は、猫かぶりをやめてみた。お好きなように呼んでくださいませ。愛しいひとが私のことをわかってくださるなら、それで十分ですもの。

石河 翠
恋愛
高飛車で傲慢な令嬢として有名だった侯爵令嬢のダイアナは、婚約者から婚約を破棄される直前、階段から落ちて頭を打ち、記憶喪失になった上、体が不自由になってしまう。 そのまま修道院に身を寄せることになったダイアナだが、彼女はその暮らしを嬉々として受け入れる。妾の子であり、貴族暮らしに馴染めなかったダイアナには、修道院での暮らしこそ理想だったのだ。 新しい婚約者とうまくいかない元婚約者がダイアナに接触してくるが、彼女は突き放す。身勝手な言い分の元婚約者に対し、彼女は怒りを露にし……。 初恋のひとのために貴族教育を頑張っていたヒロインと、健気なヒロインを見守ってきたヒーローの恋物語。 ハッピーエンドです。 この作品は、別サイトにも投稿しております。 表紙絵は写真ACよりチョコラテさまの作品をお借りしております。

【完結】あなたの『番』は埋葬されました。

月白ヤトヒコ
恋愛
道を歩いていたら、いきなり見知らぬ男にぐいっと強く腕を掴まれました。 「ああ、漸く見付けた。愛しい俺の番」 なにやら、どこぞの物語のようなことをのたまっています。正気で言っているのでしょうか? 「はあ? 勘違いではありませんか? 気のせいとか」 そうでなければ―――― 「違うっ!? 俺が番を間違うワケがない! 君から漂って来るいい匂いがその証拠だっ!」 男は、わたしの言葉を強く否定します。 「匂い、ですか……それこそ、勘違いでは? ほら、誰かからの移り香という可能性もあります」 否定はしたのですが、男はわたしのことを『番』だと言って聞きません。 「番という素晴らしい存在を感知できない憐れな種族。しかし、俺の番となったからには、そのような憐れさとは無縁だ。これから、たっぷり愛し合おう」 「お断りします」 この男の愛など、わたしは必要としていません。 そう断っても、彼は聞いてくれません。 だから――――実験を、してみることにしました。 一月後。もう一度彼と会うと、彼はわたしのことを『番』だとは認識していないようでした。 「貴様っ、俺の番であることを偽っていたのかっ!?」 そう怒声を上げる彼へ、わたしは告げました。 「あなたの『番』は埋葬されました」、と。 設定はふわっと。

処理中です...