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【ミキちゃんちのインキュバス!(第二十六話)】「愛しき人は全て去り行く……ミキちゃんとアラン、そして姉」

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 夕方、都内S区にある某公園を一人で歩いているのスーツ姿の女性。
(アラン君が家に来たのが二月、それから半年と言う事は…… ?)
 株式会社サウザンド人事部採用担当者、守屋 美希・通称ミキちゃんは数日前に酔いつぶれた友人を家に運び込んだ事で発覚したアランの過去、そして淫魔には「半年」と言う何らかのタイムリミットが存在する可能性を察知してしまい、脳内で答えに至る事を忌避し続けているその問いを無限に繰り返す。
「お悩みですか、守屋お姉さま?」
「キアラちゃん! どうしてここに?」
 音もなくミキちゃんの背後に真紅のボディコンにハイヒール姿で現れたキアラにミキさんはビクッと身構える。
「いえ、たまたま見かけたので……声掛けしたんですよ」
 キアラはにっこりと笑う。
「……ねえ、あなた本当にキアラちゃんなの? アラン君でもないみたいだし、別のインマさん?」
「えっ、何を急におっしゃるんですか守屋さん。ワタシ……キアラ・ハイエンジェルですよ?」
 ミキちゃんの問いかけにクリムゾンボディコンのキアラの眼が泳ぐ。
「……あなたの下の名前ってアンジェラじゃなかったっけ?」
『偽リノ合ワセ鏡(ライアーズミラー)』
 ミキちゃんに完全論破された偽キアラが小声で詠唱した瞬間、その姿は回転し始めた万華鏡のようにバラバラに崩れだし、頭に巻角、背中に黒い羽、赤い瞳と赤髪で真紅のフラメンコドレスにピンヒールブーツ姿の女性に変化していく。
「わざとこんなオモチャで化けていたとは言え、正体を見破るとは……流石は魔潤体質者だわ! はじめまして守屋さん。私は淫魔族のイザベラ・インマ、アランの姉です。」
 変装用魔界暗器『偽リノ合ワセ鏡(ライアーズミラー)』でキアラに化けていた赤髪サキュバスはドレスに収まりきらないそのはち切れんばかりの猛牛バストの間から精密な青薔薇デザインの銀製名刺ケースを取り出し、『淫魔財閥グループ総本部 総帥秘書官 イザベラ・インマ』と書かれた中身を一枚ミキちゃんに差し出す。
「あっ、はい……株式会社サウザンド人事部採用担当者、守屋 美希です」
 良くわからないがすごい事が書かれているのは確かなほんのり生温かい名刺を受けとったミキちゃんは慌てて自身の名刺を渡す。
「ご丁寧にありがとうございます! 実はアランの姉としてお話しなくてはならない事がありまして……お時間大丈夫ですか?」
「はい、わかりました…… ! 立ち話も何ですしそこのロイヤルガストに入りませんか?」
 明確な根拠はないものの、この淫魔がアランの姉だと確信したミキちゃんは提案する。

「なるほど、そんな事があったんですね……」
 数日前のマキの発言とアランの反応について聞いたイザベラはコーヒーを飲みつつうなずく。
「ええ、アラン君が過去にマキの所で何をしていたのかはどうでもいいんですけど……イザベラさん、アランは私の所からもいなくなってしまうのでしょうか?」
 ミキちゃんは最大の懸念点をぶつける。
「結論から言うとそうですね。あなたたち人間が酸素を吸って二酸化炭素を吐き出すように私達魔界の者は生命活動を維持する『魔力』と言うエネルギーを微量ながらも放出します。
 魔力は人間の遺伝情報でさえ改変する強力な浸蝕性エネルギーですので……人間と魔界の者が共にいられるのは半年が限界なんです」
「そんな、じゃあ……」
 非情な現実を突き付けられたミキちゃんの眼からポロポロと涙がこばれだす。
「……守屋さん。もし、それを避ける方法があるとしたらどうしますか?」
 イザベラさんの言葉にミキちゃんははっと顔を上げる。
「そんなことが出来るんですか!?」
「ええ、もちろんです! 弟も優しくて、美人で母性溢れる第二の姉のような貴女と別れるのを悲しむでしょうから……弟も貴女も幸せになってほしいからこそわざわざ会いに来たんです!」
 そう言いつつイザベラさんが胸の間からずるりと引き出したのは細く四つ折りにされた紙と銀細工の万年筆だ。
「これは……契約書ですか?」
 目の前に開かれた瞬間、折り目が完全に消えた『人魔転生同意書』と書かれた契約書を読みつつミキちゃんは尋ねる。
「それは貴女を私達と同じ淫魔に生まれ変わらせる儀式『人魔転生の儀』を行うための同意書。それが成功すれば貴女はサキュバスとしてアランとずっと一緒にいられますことよ」
 三角のオレンジメロンと緑メロンが花弁のようにアレンジされたロイヤルダブルメロンパフェを運んできたウエイトレスにお礼を言いつつイザベラは説明する。
「……でも仕事が」
「そんなの元の人間の姿で行けるでしょう?」
「……家族や同僚が」
「魔女狩りじゃあるまいし貴女がサキュバスになっても普通の人間は気づかないわ」
「……会社の健康診断はどう誤魔化せば?」
「医者を洗脳して何もなかった事にすれば?」
「……」
 山奥で滝に打たれ、座禅に読経等の修行をする展開を想像していたミキちゃんは人間を辞めると言う斜め上の急展開にとまどう。
「守屋さん……貴女は人間でありながら生体魔力を感知できる程の高い魔力を有する『魔潤体質』と呼ばれる稀有な存在。貴女が上位淫魔に転生すれば……かの有名なキラークイーン女史の如く多くの神族・魔族界の権力者やセレブ雄共を身も心も貴女の虜にすることが出来ますわよ」
「そんな傾国の美女みたいなの、普通にいやなんですけど……」
 日中の仕事の疲れが出始め、ぼ一っとし始めたミキちゃんはイザベラにどうにか反論する。
「あらそう、謙虚なのね? でも……女の夢とでも言うべき永遠の若さ美しさを得て、酒池肉林で絢爛豪華な暮らしをするなんてチャンスなんて二度とあるかしら? 想像してみて、貴女のファンで満員の立派なコンサートホールを。そこで美しいドレス姿となりピアノコンサートをする姿を……歓喜の涙でスタンディングオベーションする聴衆を……」
「それはそうですね……いいですね」
 空腹と疲労で本格的なブレインフォッグ状態になりはじめたミキちゃんはイザベラの出したペンを手に取ってしまう。

「姉さん、何をやっているんだ?」
「アラン君!?」
 そんなミキちゃんを引き戻したのはYシャツにズボン姿の金髪イケメン、アラン・インマだ。
「アラン! 会いたかったわ! お姉ちゃん本当に寂しかったのよお! パパもママも待っているし帰りましょ!!」
「ミキさん、何か食べましょう。 僕はロイヤルBLTサンドにします。」
「じゃあ……この目玉焼きデミグラスハンバーグとフランスパンセットで」
 立ち上がって抱きしめようとしたイザベラを0・1秒の動きで回避したアランはミキちゃんの隣に座ってメニューを取りミキちゃんに夕食の提案をする。

「姉さん、色々言いたい事はあるが……無関係のミキさんに手を出すな」
 同意書を破り捨てたアランはイザベラに突き返しつつ警告する。
「目的の為なら手段を選ばない姉さんの事だ。
 おしとやかで美人でグラマラスなミキさんを編して魔界に誘拐し、貴女の夜のオモチャにして調教して奴隷にし、人質に利用して僕を帰らせよう……とでも考えていたんじゃないか?」
 いつも穏やかで静かなアランとは思えない氷の刃の如き鋭く冷たい口調にミキちゃんは背筋が寒くなる。
「……奴隷だなんて、そんな怖い事しないわよおアラン!
 守屋さんは元々優秀だからきちんとした財閥総本部のホワイトカラーボストを用意するつもりだったのよ……つまりは人間界の転職と同じよぉ。まあその淫魔顔負けのスイーツボディは個人的な夜食かデザートにするつもりだったけど……壊れない程度に優しく取り扱うつもりだったしぃ……」
 アランの指摘を否定もせず、それどころか猫を被って誤魔化そうとするイザベラが自分に何をするつもりだったのか察したミキちゃんはぞわっと全身の毛が逆立つ。
「まあいいわ、人間界のパフェは中々美味だったし、元気な愛弟に対面できただけでも今日はよしとしましょう。
 でもこれだけは言っておくわ、アラン」
 メロンパフェの伝票を手に取ったイザベラは立ち上がる。
「そう遠くない未来、あなたは私の元に帰ってくる……必ずね」

「ミキさん、危険な目に合わせてしまい本当にごめんなさい……そして大事な事を黙っていてごめんなさい!」
「アラン君いいのよ、気にしないで。取り返しがつかなくなる前に来てくれて本当にありがとう。お腹すいちやったし、いただきまぁす!!」
 サンドイッチを手に取ったアランの前でハンバーグ上の目玉焼きに切れ目をいれ、とろとろの黄身とデミグラスソースをハンバーグにたっぷりつけて食べるミキさんの幸せそうな表情……優しいミキさんをこれ以上悲しませないためにもアランは必死に涙をこらえるのであった。

【完】
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