黒髪乙女とバンパイア

紗々

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第四章

#25

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 大馬鹿者の伯爵様。どうか、どうかこのお願いだけはお聞きくださいまし。どうかこのまま、こいつらの前に姿を現さないでくださいまし。貴方が消えていてくだされば、事態は丸く収まるかもしれません。しかしもう一度貴方が姿を現せば、間違いなくこいつらは伯爵様をお捕まえになるでしょう。どうかお願いします……。

 そんな小夜子の心の祈りも虚しく、伯爵は再び颯爽と姿を現したのです。ゆらゆらと陽炎のように景色を歪ませながら、どこか不敵な笑みを浮かべて。

「愚かな人間共よ。此処は貴様らの来る場所ではない。見ただろう?私の力を。命が惜しければ立ち去るがよい」

 伯爵はいつになく威圧的な口ぶりで彼らを諭しました。その瞳は小夜子に向けるものとは違い、氷のように鋭く凍てついています。
 しかし男達は、伯爵の忠告を受け入れるどころではありませんでした。荷物の中から大蒜やら十字架やら、更にはナイフまで取り出し伯爵に襲いかかってきたのです。

「まさか本物のバンパイアとはな!信じられねぇが目の前に居るなら捕まえるに越した事ねぇ!行くぞお前ら!とっ捕まえてやる!いや、ぶっ殺してやる!」

 バカマッチョのナイフが伯爵に振り下ろされます。次いで、二人の男も武器を持ち伯爵に襲いかかりました。

「伯爵様、消えて!」

 小夜子の叫びも届かず、バカマッチョのナイフは伯爵の右腕に突き刺さりました。伯爵の腕から血が流れ落ちます。

「伯爵様……」

 恐ろしい事態に小夜子の足が震えます。

「どうして?どうしてお逃げにならなかったのですか?」

 小夜子の頬を涙が伝います。

「君を置いて逃げられるとでも思うか……?そんな真似をして君の身に何かがあれば、私は一生後悔するだろう」

「おい、なに二人の世界に浸ってんだよ!そこの女!邪魔だ、どけ!」

 バカマッチョが小夜子を突き飛ばします。壁際まで倒れ込んだ小夜子の頭には、恐ろしいのと伯爵が心配なのと、よりによってあんな馬鹿男に突き飛ばされたのがムカつくのと、とにかく色々な感情がぐるぐると渦巻きました。
 その感情を一言で表現出来る程の冷静さすら失っていますが、その瞬間カーッと頭に血が上ったのは言うまでもありません。
 頭の中で何かが爆発した小夜子の目に、壁際に飾ってある古い西洋鎧が入り込みました。

 最早訳が分からないまま、小夜子は鎧が手にしていた剣を勢いよく抜き取りました。そしてそのまま、「うわあああ」と奇声を上げながら男達に切りかかりました。
 無論、剣道など習った事もないし、そもそもお箸より重たいものは極力持ちたくない非力な乙女ですが、今はそんな事言っていられません。

 もう滅茶苦茶に、感情の向くままに、重たい剣を振り回しました。黒髪を振り乱して暴れる剣幕に、威勢のいい男達も引く程です。
 遂に小夜子は、バカマッチョのすぐ近くにまで剣を振り下ろしました。

「……出て行ってよ」

 震えそうな声を必死に抑えながら言います。

「出て行ってよ!でなきゃ貴方達をこの剣で叩き斬ってやるから!」

 男達は青褪めた顔のまま硬直しています。流石に人間の小夜子相手では、バンパイア退治の勢いで対抗はできないようです。

「うるせえ!女の癖に調子に乗りやがって!」

 それでも男達は、三人がかりで小夜子を抑えつけようとしました。それを見た伯爵はさっと小夜子の前に立ちはだかりました。

「伯爵様!無理に動かないでくださいまし。伯爵様は私がお守りします!」

 伯爵は何も言わず、小夜子の頭を撫でました。それはとても優しく、同時に力強さも感じるものでした。

「私も見くびられたものだな。君のような少女に「守る」などと言われるとは。だが心配するな。この者達は私が片付けよう」

 伯爵は先程の傷口も塞がっていない状態で男達を見詰めました。

「伯爵様!人間に手出ししてはいけません!貴方が暴力をふるったらますます悪者扱いされてしまう……!」

「無礼な者達よ。少々悪戯が過ぎたようだな。我が城へ足を踏み入れた事、私に傷を付けた事、そして小夜子に乱暴した事、全てを後悔させてくれよう!」

 伯爵の瞳が鋭く光ったように感じます。それは月光のような不思議な色合いの光でした。恐らく出会ってから一番激情しているであろう伯爵の姿にも拘らず、小夜子は思わず伯爵の瞳に見とれてしまう程でした。

 しかしその美しさに見とれる余裕はすぐになくなりました。肌を刺すように大気が震えます。その場に居る人間全員が、その得体の知れない不気味なオーラを感じ取りました。

 小夜子はたまらず膝をつきます。頭がくらくらとして目の前が霞みます。恐らく男達も同様なのでしょう。ガタイのいい男達が次々と倒れていきます。

 意識がぼうっとしてきました。どうにか声を絞り出そうとしても、思うように声が出ません。

「伯爵様……」

 横たわる小夜子に伯爵が近寄ります。膝をついてそっと小夜子の髪を撫でました。

「すまない……。小夜子まで巻き込みたくはなかったのだが、今の私にはこれが精一杯だ。悪く思わないでくれたまえ」

「何をなさったのですか……?」

「なあに、軽い催眠術のようなものだ。君に言われたからな、暴力をふるってはいけないと。少々強引だが君達には暫く眠って貰おう。此処での出来事が全て白昼夢だったと思えるように……」

 伯爵の指先から力が抜けていくのが判りました。やはり憔悴した身体で術を使うのは無理があったのでしょう。

「嫌、嫌です。白昼夢だったなんて思いたくない!私は伯爵様とずっとこの城で……」

 上手く言葉が出なくなってきました。いよいよ意識を保つのも限界のようです。
 伯爵は再び小夜子の髪を撫でました。流れる涙を指先で拭います。

「君と過ごした日々はなかなか楽しいものだったよ。有難う小夜子。君が日本へ帰っても、私は君を忘れない。さあ、眠りたまえ。此処での出来事は全て夢か幻だと思えるように……」

「伯爵様……」

 かすれた声で一言呟いた瞬間、小夜子はすっかり気を失ってしまったのでした。
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