黒髪乙女とバンパイア

紗々

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第三章

#16

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 翌朝伯爵から意外な言葉が告げられました。プチ幽閉状態だった小夜子に、外出許可命令を下したのです。

「構わぬ。勝手に出て行くがよい。君の為にわざわざ姿を消して街まで食料を取りに行くのはもう面倒だ。街へ行って食事をするなり買い物をするなり、好きにしたまえ」

 これを聞いた小夜子は、早速お財布入りのポーチを下げて、悠々と城を出て行きました。

「お土産買ってきますね」

 などと呑気な台詞を残しましたが、もしやまた此処へ戻ってくる気でいるのでしょうか?
 いやいや、そんな筈はありません。彼女はやっと自由の身になったのですから、こんなところに戻る筈がありません。そう思いつつも、伯爵は心のどこかで小夜子がまた戻ってきてくれると期待していました。

 何故こんな気持ちになるのでしょう。実に不思議なのですが、伯爵は今、囚われの身だった(と、言い切れるかどうかは判りませんが、少なくとも自由が無かったという意味合いを込めて)小夜子を自由にさせてやりたい気持ちと、自由になった小夜子に戻って来て欲しい気持ちとが、ぐるぐると混ざり合っているのです。

 あれ程疎ましかった小娘の存在が、いざ手元から離れると少し寂しい気持ちになってしまいます。伯爵は所詮一時的な気の迷いに過ぎないと自分に言い聞かせ、ベッドで一眠りする事にしました。(伯爵はあの出来事以来棺恐怖症なのかベッドで休息を取っています)
 一度眠れば、きっとこんな奇妙な気持ちも消えて無くなるに違いありませんから……。

 伯爵の綾なす思いはあっさりと打ち砕かれました。小夜子はその日の夕方に、両手に大きな荷物を抱え城へと戻って来たのです。
 重そうな荷物を持ちニコニコ笑う小夜子の顔を見て、伯爵は「今朝のメランコリックな気分は何だったのだ……」とすっかり気が抜けてしまいました。

 何故戻って来たのかと尋ねても

「だって私が居なくて困るのは伯爵様の方でしょ?あのままトンズラこく程、私無慈悲じゃありませんもの」

 と、飄々としているばかり。
 伯爵はこれ以上小夜子について真面目に考えるのが、なんだか馬鹿らしいと思い始めました。どうせこの娘はこちらの思惑など知る由も無く、子供のような軽妙さで伯爵が思いもしない言動をするに違いありません。
 色々と言いたい事はありますが、とりあえず伯爵は小夜子に一言尋ねます。

「本当にこの城に住むつもりなのか?」

 間髪入れずに

「ええ!」

 と答えたので、伯爵はもうそれ以上の質問はぶつけませんでした。

 小夜子は早速買い物袋を厨房に運びます。

「ああ重たかった!とりあえず日持ちしそうなパンにハム、それからチーズなどを買ってきました。あとお水もね」

 テーブルの上に買ってきた食材を並べ始めます。

「本当は纏め買いしたかったんですけど、これ以上荷物が増えると流石に此処まで運べませんから。でも買い物の度街まで降りなきゃいけないのは不便ね。まあ、ダイエットの為にウォーキングしていると考えれば無駄な行為ではないけれど。私、こう見えても結構力持ちなんですよ。なんせお洋服を一気に買い込むと、この袋の何倍も大きな袋になってしまいますから!」

 相変わらず一人でよく喋る娘です。もしかしたらコイツの舌には喋り続けないと死んでしまう呪いでもかかっているのではないか?と言う気分で、伯爵は話を聞いていました。

「でも本当、こんな場所に住んでいて不便じゃなかったんですか?伯爵様は飛べるからいいでしょうけど、ほら昔伯爵様のご寵姫でいらしたという女性は」

 小夜子の問いかけに伯爵が口を開きます。

「そう言った世話は下僕が全て行っていた」

「ああ、あの鼠さん」

「かつての私は鼠や蝙蝠を人間に変化させる術などお手の物であった。そうして変化させた下僕達が、全ての雑務を担っていたのだ」

 ああ、成程そう言う訳だったのね。小夜子はやっと納得しました。
 いくら術をかけられたからとはいえ、鼠や蝙蝠にそれ程の仕事が出来る筈はありません。しかし伯爵の妖術により、人間と何ら変わりない容姿・思考を手に入れれば、身の回りのお世話くらい容易く出来るでしょう。

「残念だが今の私には下僕としての能力を与える程度しか力が残っていない。それ以上は無理なのだ」

 少し沈んだ口調で伯爵がこう言ったので、小夜子がすかさずフォローします。

「いいんです。便利になるとかえって怠けちゃうから。むしろこんなに利便性を追求した時代ですもの。ちょっとくらい不便な生活の方が面白いわ」

 にっと笑いながら言うので

「面白いのは君の方だと思うぞ……」

 と伯爵が言いました。この逞しさと言うか前向きさと言うか、とにかくこいつはかつて自分が相手をしてきた女とは違うな。そう思ったのです。

 昼の間伯爵は眠っているので、小夜子は城内に何かバンパイア関連の手掛かりがないか調べる事にしました。
 残念ながらこれと言う資料はありませんでしたが、城内の書庫には幾つかのバンパイアに関する書物、または目録が保管してありました。
 小夜子はそれらの資料に一通り目を通し、とりあえず今入手出来る情報の大半は脳内に焼きつけておきました。

 夜になり、伯爵が目を覚まします。何しろ人間は昼型、バンパイアは夜型ですから、小夜子と伯爵が顔を合わせる時間は夕方から夜にかけてのほんの数時間に限られているのです。

「お早う御座います伯爵様。あ、夜だからこんばんはかな?どうにかして夕食をこしらえたんです。伯爵様も目覚めのお供にいかが?」

 まだ眠そうな目をこすりながら伯爵が答えます。

「いや、いい。腹が空いていないのだ。私は人間と違って食事は摂らなくても平気だからな」

「それもそうでしたね。バンパイアさんは人間の血さえ吸っていれば平気なのですものね」

 そう言うと小夜子は、有り合わせの材料で作った食事の皿を一つ下げようとしました。

「まあ、折角だから食べてやっても良い。君がわざわざ用意してくれたものだ」

 もしかして、伯爵でも気を遣う事があるのでしょうか?兎も角折角食べる気になっている伯爵の前から皿を片付ける意味はありません。小夜子はそのまま伯爵の前に料理の皿を突き出しました。

「お口に合うか判りませんけど」

「いや、二十一世紀の日本人が作った料理などなかなか味わえるものではない。有難く頂こう。ああ、飲み物が無いな。何か用意しようか。飲みたいものはあるか?」

「スターバックスのキャラメルフラペチーノ」

「何の呪文だそれは」

「言ってみただけです。ではまたワインをくださいな」

 伯爵は昨夜の小夜子がかなり泥酔した件を思い出しつつも、仕方がないのでワインを数本用意する事にしました。
 上等な赤ワインをグイッと一杯いきながら、小夜子はニタニタ、ご機嫌な様子で食事をたしなみます。

「何がそんなに可笑しいのだ?」

 憎たらしい程恵比須顔の小夜子を見て、伯爵は怪訝の表情で尋ねます。

「だってバンパイア様とこうしてお酒を飲みながらお食事を楽しむなんて絶対にありえませんもの。こんな経験をした女の子、世界広しといえども私だけだわ、きっと」

 伯爵は相変わらず不思議そうな顔をしています。

「全く判らん娘だ。普通バンパイアと聞いたら恐怖に慄き敬遠するだろうに。何故妖術にもかけられていないのにそれ程までに楽しそうな顔をして居られるのだ」

 小夜子は飲みかけのワイングラスを置くと、伯爵に不敵な笑みを向けながら呟きました。

「世の中にある全てのものが敬遠されるとは限らないわ」

 そう言って、自身が身に纏う黒いレースのスカートを指先で摘まみ、見せ付けるような素振りを見せました。

「伯爵様、私のお洋服どう思います?」

 伯爵は小夜子の服装を改めてまじまじと見詰めます。全身を黒で固めた華美なドレスは、一見すると良家のお嬢様が着る子供服のようですが、パニエで膨らませた膝丈のスカートは独特のディテールに仕上がっています。
 パフスリーブ状のお袖やスカートの裾など、細部にまで丁寧にレースが施されており、更には沢山のリボンがより華やかに仕上げています。
 ディテールこそ華やかな少女趣味ですが、全身が黒色で統一されている為、貴族の一張羅にしては色彩が地味だし、喪服にしては派手過ぎると言った不思議な印象です。

 伯爵は暫く辛口ファッションコーディネーターのような目で小夜子のお洋服を見た後、冷静な口調で批評を下しました。

「見た事のない服装だが……君のその黒い髪がよく映えて似合っていると思うぞ?」

 これを聞いて小夜子の顔は一気に明るくなりました。

「本当?本当ですか?伯爵様!わあ嬉しい!私個人的に他人の批評には興味ないタイプなんですけど、伯爵様にお褒め頂けるのはとても喜ばしいですわ!」

 子供に戻ったかのようにきゃあきゃあとはしゃぐ姿を見て、伯爵は溜息をつきます。

「何がそんなに嬉しいのだ。大体君の服装が今の話と何の関係がある」

 小夜子はどやっ?という感じでくるりと回転しながら全身を大いに見せびらかしていましたが、伯爵の言葉を聞いて動きを止めました。

「関係ありますわよ伯爵様。だって私が着ているお洋服、世間では物凄く敬遠されている嫌われ者のファッションだもの」

 小夜子はそのまま椅子に座り、おもむろに足を組みながら話し始めました。

「私の格好はね、多分殆どの人が変だと思う異色のファッションなの。勿論日本にこの格好を愛してやまない愛好家は居るけれど、どの子も大抵世間からあぶれた存在になっている筈よ。要するに異端者。私みたいな格好をしている子は、もれなく変な子って言うレッテル付きなのよ」

「そうなのか?私は日本の文化に余り詳しくないから、日本人は皆そういう格好をしているのだと思っていたぞ」

 小夜子はクスッと笑います。

「人間ってどうしても人数が多い方を正しいと選別する癖があるでしょう?じゃあ少数派はどうなるかって言うと、正しくないと烙印を押されて世間から排除されちゃうのよ。何にも悪い事はしていないのに、勝手に悪者扱いされちゃう。いっそ放っておいてくれればいいんだけど、ああやって大人数が正しいと思い込む人って、自分達の価値観に属さない人間は徹底的に追い出そうとするのよね。だから私は嫌われ者よ。お洋服だけじゃない。私が好きなものって、何故か世間では嫌われているものばかりなの。何しろ私が敬愛するバンパイア様だって、十七世紀の人達にとっては片っ端から抹殺しなきゃいけないくらい、驚異的な存在だったようだし。そうやって嫌われるものばかり愛好するせいで、どこへ行っても友達なんか出来やしない。誰からも爪弾きにされて陰で笑われる完全アウェイよ、やんなっちゃうわ」

 半ば愚痴りながら語る小夜子は、そのまま空のグラスにワインを注ぎ込みました。どうやら飲んで語り明かすつもりのようです。
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