黒髪乙女とバンパイア

紗々

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第二章

#10

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 流石は不老不死の魔物。人間とは図太さが違うようです。三百年もの間封印されていれば、普通の神経ならば発狂しています。
 しかしコイツのリアクションを見る限り、少なくともショックの余り憔悴しきってしまうなんて事はまず無いでしょう。

 小夜子は今目の前に鏡があったら、絶対に自分の顔を見たくないと思っているでしょう。
だって今の小夜子は、言葉では言い表せないくらい複雑な心境が絡み合って、酷く歪んだ、引き攣った顔をしているのですから。

 すっかり気の抜けた小夜子を横目に、伯爵は未だ悔しがっている模様です。

「私は嘗て数多くの女を相手にしてきた。貴族の娘、街の娼婦、様々な時代に生きる様々な女達を。私はそれが生き甲斐だった。時代と共に変わってゆく女をこの手に抱くのが。なのに、まさか三百年もその機会を逃してしまったなんて!」

 伯爵の様子を伺うに大層激しく悔やんでいる様子ですが、その不埒な動機を知っては一切同情の余地などないでしょう。どんなに端正な外見に紳士的な佇まいだとしても、言っている事はヤリ●ンと変わりありません。加●鷹も吃驚です。

 と、ここまで偉く落ち込んでいた(にしては元気そうでしたけど)伯爵でしたが、今度は何やら様子が違います。

「しかし……別の視点で捕らえれば二十一世紀の女を相手に出来るという事か。私の知らぬ時代を生きる女よ。これはこれでなかなか楽しみだぞ」

 もう、かける言葉もねえ。と、小夜子は思いました。一瞬でもコイツに同情した自分の浅はかさを悔やみます。コイツは多分目覚めたのが今じゃなくて、百万年くらい先であっても、今と同じくノー天気なコメントを残したでしょう。そう考えると、一周回って愛おしくすら感じてきます。
『愛すべき馬鹿』
 小夜子の脳裏に、こんな言葉が浮かびました。

「して伯爵様」

「なんだ小娘」

「何時の間にか娘から小娘に格下げされている気がしますけど、まあいいや。伯爵様、私は一体どうすれば良いのでしょう?」

「どうすればとはどういう意味だ」

「もしこのまま伯爵様がご寵愛なすってくださるのなら、私喜んで伯爵様のお傍に居ますけど。でもあの狭いお部屋は勘弁。逃げ出したりしませんからずっとこのお城に置いてくださいません?」

「何を言い出すと思えば。小娘、判っているぞ。そんな余裕を口にするのも、逃げ出す隙を図る為の策略であろう?」

 伯爵は信用していないようですが、実は小夜子の言葉は全て本心なのです。油断させて逃げ出そうなんて考えていません。本気でこの古城に、伯爵と二人で住んでみたいと思っているのです。
 だって、この変てこなアホ伯爵と愉快なシェアハウスをした方が、一人ルーマニア名所巡りをするよりよっぽど面白そうなんですもの。小夜子は面白い事を優先する主義です。

 今小夜子の前には世にも奇妙なバンパイア伯爵が居ます。こんなにも愉快な人物と生活するなんて、のこのこ日本へ戻って今まで通りのキャンパスライフを送るより、余程刺激的で楽しいに違いありません。

 ならば、今ここで引き下がらずに、思い切って同居の旨を伝えるしかないでしょう。家や親についてなど考える余地もありません。今はそんな事よりも、目の前にあるとても面白そうな生活を手に入れたい思いが何よりも強いのです。究極の刹那主義です。

「ねー伯爵様。どうぞ私を寵姫にしてくださいませ。これを機に日本の女性デビューもしちゃいません?今なら大サービスしてさしあげますわよ。ねーねー伯爵様。ねーったらねー」

「小娘」

「はい!」

「悪いが私は君のような小娘に全く興味がない。帰れ」

 ぶっきら棒にそう吐き捨てると、伯爵は小夜子の手を引きドアの外まで追い出しました。

「門は開いている。速やかに帰るがいい」

「酷いわ伯爵様。あんなにお願いしたのに。いいじゃないですかこれだけ広いんだし。一人くらい同居人が増えたところで何の問題も無いでしょう?」

「馬鹿言え。私が君のような得体のしれない子娘と同居したところで何の得になる?居ても邪魔なだけだ。第一私が寵姫と認める女は素晴らしい美貌に奥ゆかしい愛らしさを兼ね揃えた最高の美女だけだ。君のようにちんちくりんで小生意気な娘など願い下げだ!」

「相変わらず辛辣ですこと」

 と、ここで諦める小夜子では御座いません。一度決めたら、只では引かない執念です。

「そんな事おっしゃいますけど、私が居なくなって困るのは伯爵様の方では御座いません?」

「どういう意味だ?」

 馬鹿にしたような口ぶりに、伯爵は少しムッとしているご様子。

「こんなに果てしなく先の時代に蘇ってしまって、貴方世間の様子もすっかり訳が判らなくなっているでしょう?そんな右も左も判らない、二十一世紀に誰も頼る相手が居ない状況なんて、自殺行為も同然ですよねえ。大体今の時代バンパイアなんて空想上の生き物としか認知されていませんもの。そんなUMAみたいな生き物が人前に現れたらどうなるか判っています?あっという間にとっ捕まえられて学会行きか解剖されて晒し者です」

「私はそう安易に捕まったりなどしない」

「一度封印された癖に何言ってんだか。貴方人類の進歩を舐めちゃいけないわよ?これだけ科学と技術が発達したこのご時世、バンパイアの一匹や二匹捕まえるのなど容易いですわ。ましてや世間知らずのおマヌケバンパイアさんでしたら尚更、ね」

「誰がマヌケだと言うのだ誰が!」

「どうせ貴方の事だからまたホイホイと狩りをしに街まで降りるのでしょう?そしてホイホイ誰かの家に侵入して、すぐに見つかって、正体バレてホイホイ捕まっちゃうに決まっているわ」

「要は捕まらなければ良いのだろう。私は崇高なるバンパイア。人間如きに捕まってたまるか!」

「また真っ暗な闇を照らす激しい光に包まれたとしても?」

「…………!」

 伯爵は黙り込んでしまいました。どうやら「痛いところを突かれた!」と思っているようですね。

「貴方は今の時代を知らな過ぎます。そりゃ目覚めたばかりですからしょうがないと思いますけど。でもこのまま現代を知らずに過去と同様の行為をしては、少なからず貴方の身に危険が降り注ぐでしょう」

 伯爵は「そんな気もする」という表情で小夜子の言葉を聞き続けます。

「ですから私が教えてさし上げましょう。現代はどんな時代か、現代を生きるにはどうすればいいか。二十一世紀の人間が教えるのですから、間違いがある筈御座いません。ねえ、伯爵様。この私を現代に生きる為の家庭教師として雇ってくださらない?」

 余りに突拍子もなく、しかしながら的を射た発言に伯爵は返す言葉もありません。
 確かに小夜子の言うとおり、失った数百年を埋めぬまま遥か未来を生きるのは無謀すぎます。二十一世紀を生きる術を教えてくれる者が居るのであれば、それに頼るのが最も安全でしょう。
 だからといって、寄りにも寄ってこんな糞生意気な変ちくりんの小娘に頼るなんて、それでは伯爵のプライドが許しません。嗚呼、一体どうすれば……。

 伯爵は今、とてつもない心の葛藤に襲われていました。

「娘……」

「はい!」

「よくよく考えれば、何も寵姫だけが私の配下とは限らない。君がそこまで言うのなら……どうしてもだぞ!どうしてもここに居たいというのならば、下女として住まわせてやっても構わない」

 大層プライドの高い伯爵にとって、このような言い分が精一杯でした。しかし小夜子にとってはどうでもいい事です。最終的に、この伯爵のお傍に居られればそれで満足なのですから。

「住まわせて頂けるのですね!?」

「勘違いするなよ娘!君は只の下働きだ、召使いだ!決して君の手を借りたいから住まわせる訳ではない!」

 悪態をつく伯爵の思惑などつゆ知らず、小夜子はニンマリと笑顔を浮かべてご満悦です。

「言っておくが、こうと決まった以上君の自由は無くなったと思え。もう城の外にも満足に出られぬのだ。もしも勝手に逃げ出そうとでもしたら、その時は二度と逆らえぬよう制裁を加える」

「はーい」
(これからどうやってこの伯爵と遊んでやろうかしら)

 そんなよこしまな思いを抱きつつ、小夜子は恐らく世界一奇妙なシェアハウス生活に、小さな胸を躍らせたのでした。
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