黒髪乙女とバンパイア

紗々

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第一章

#07

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 思わず小夜子は、ある事ない事でっちあげて男性を脅してしまいました。

「ホホホ……。吃驚した?これは超コンパクト型の科学装置よ。この小さな箱の中には、沢山の呪文や退魔の術が詰まっているの」

 男性はまじまじとスマホの画面を見つめます。

「くっ……。ではこの禍々しい顔をした人物はさしずめバンパイアハンターの親玉と言ったところか?こんな形相の人間、見た事がないぞ」

「禍々しい顔?」

 小夜子はきょとんとして手に持ったスマホの待ち受け画面を確かめました。
 あ~、そういえば今の壁紙デーモン小暮閣下じゃん。そりゃあ閣下を知らない人が(バンパイアだけど)いきなりこの顔を見たら、怖がるわよねえ。そんな事を思いつつ、嘘吐き小夜子はまたまた口から出まかせの嘘を吐いてしまいます。小夜子は嘘が大得意です。
だって、真実をありのままに伝えるより、面白おかしく脚色してねじ曲がった事実を伝えた方が、愉快じゃないですか。

「ええ、そうです。このお方は我が国日本の中でも有数のバンパイアハンターです」

 今この瞬間、此処に居る小夜子と男性二人だけの間で、デーモン小暮閣下は悪魔ではなく凄腕のバンパイアハンターと言う設定となりました。御免なさい悪魔。

「私はこのお方を閣下と慕い、施しを受けたのです。ほら、ちょっと聴いてご覧」

 そう言ってスマホに入っている『蝋人形の館by聖飢魔Ⅱ』を大音量で聞かせてさし上げました。

「おおおっ、なんだこの恐ろしい音は!心臓を揺さぶられるようだ!」

 初めてのヘヴィメタルにバンパイアもノリノリ、いえビクビクです。

「ふん……。しかし残念だったな娘!何処で知識を仕入れたのか判らぬが、所詮は異国の浅知恵よ。その程度の呪文では私は倒せぬぞ!」(どうやら閣下の歌声を何かの呪文だと勘違いしているようですね)

「何をおっしゃいますおじ様。私は別に、貴方を倒そうだなんて思ってはいません」

「何を今更……。君はさっき自分でバンパイアハンターの施しを受けたと言ったであろう!?そうか、そういう事だったのか。判ったぞ、何故君が恐れもせずバンパイアの私に近付いたのか。君はバンパイアハンターとして私の命を狙いに来たのであろう!」

「ええーっ!?」

 何という事でしょう。デーモン小暮閣下のみならず、何と小夜子までがバンパイアハンターと言う設定になってしまいました。元はと言えば、小夜子が自分で吐いた嘘が原因なのですけど。

 だとしても、ただの日本人観光客がバンパイアハンターだと思われてしまうなんて、これは困った勘違いです。

「道理でおかしいと思った……。君のその服装。バンパイアハンターやエクソシストの連中は、大抵その筋の人間だと判るように、特殊な格好をしているからな。その貴族の娘とも喪服とも思えぬ奇妙な服装も、バンパイアハンターの象徴だと言う訳か」

 いや、これただのファッションなんですけど。趣味なんですけど。

「その肩から下げた小さな棺桶には、魔除けの道具が入っているという事だな?」

 棺桶型のポシェットにはスマホとお財布、レースのハンケチーフにカメラ、そして甘いキャンディが入っています。

「それに初めから目に入っていたが、その胸元にあるロザリオ!しかしな、そんな紛い物では私を倒す事は出来んぞ。せめて本物のロザリオを教会にでも恵んで貰うのだったな!」

 原宿の竹下通りで買ったロザリオですから、特別な効果がある筈はありません。
 しかし、簡単に事実を告げて男性の勘違いを解くのは、少々惜しいでしょう。折角滑稽なまでに見事な勘違いをして、小夜子をバンパイアハンターだと思ってくださっているのですから。こんな面白い状況は滅多にありません。
 ここで「ごめんなさ~い、私バンパイアハンターじゃないんですぅ~」とあっさり自白しては、余りにも惜しいでしょう。

 ハナっから男性を張り倒す気なんてなかった小夜子ですが、一先ずここは残念そうな顔をした方が状況的に面白いと判断しました。

「まあ、流石は本物のバンパイアさん。レプリカのロザリオやこんな魔除けの呪文くらいでは太刀打ちできませんわね」

 そもそも太刀打ちする気すらありませんが、とりあえずこう言っておきましょう。

「しかし君がバンパイアハンターであるのならば、やはり帰す訳にはいかぬ」

「どうしてですか?」

「もし君をこのまま帰宅させれば、今度はその……あの禍々しい顔をした閣下とやらを連れて、私を封じ込めようとでもするのだろう?」

 本当に閣下を易々と連れてこられるのでしたら、全国の信者は喜悦するでしょう。

「ふん、小娘が。随分と小賢しい真似をしてくれたな。何食わぬ顔で私に近付き、隙をついて私を封じようとしたのか。しかし詰めが甘かったようだな。君のような未熟者では私を封じる事は出来まい」

 男性は突然小夜子の細い手首を強く掴みました。抵抗する間もなく小夜子を部屋の隅へ追いやると、強く背中を押して部屋の角に作られた小部屋へと押し込めます。

「何をなさるのです?」

 いきなりの出来事に現状を理解できませんが、どうやらあまり穏やかな状況ではないようです。

「この部屋は私が寵愛すべく女を一時的に収容しておく場所だ。特別美しい女は愛玩動物のように飼い慣らして眺めていたいものだからな。連れてきた女は皆初めは抵抗し発狂する。だから気を静めるまでこの部屋に軟禁しておくのだ。言っておくが君を愛でるつもりは無いぞ!ただ君を帰す訳にはいかないので、此処へ閉じ込めておくだけだ!」

 ご丁寧に訊きもしない話をよく教えてくれました。つまり、このお部屋の隅には寵姫を収容する為の小部屋が隣接しており、小夜子はそこに閉じ込められてしまったと言う訳ですね。

「嫌!出してください!こんなところに閉じ込められるのは嫌です!」

「ほう。やっと抵抗する気になったか。しかしもう遅い。暫くその部屋で恐怖に慄くがいい!」

「こんな殺風景な部屋なんて嫌です~。もっと座り心地のいいクッションを置いて頂戴。それと天井にはシャンデリア、フレグランスはローズの香りでなきゃ嫌です~」

「贅沢言うな!」

 囚われの身の癖に全く危機感を持っていない小夜子を忌々しそうに見詰めながら、男性は乱暴に小部屋のドアを閉めました。

 さて、とりあえずあの小憎たらしい小娘を軟禁しましたが、これからどうしましょう。男性は考えました。
直ぐに帰してしまっては、きっと有能なバンパイアハンターを引き連れて来るに違いありません。(しかもあの恐ろしい白塗りをした)

 ならばいっそ殺めてしまうか?いいえ、血を狩る為に女性を手にかけるバンパイアですが、無益な殺生は好みません。あの小娘を殺める事は簡単ですが、それでは品がなく無秩序の中に生きる、下劣な下等魔族の趣向と変わりありません。

 バンパイアは高等な種族です。無意味に生物を殺めては快楽に浸る猟奇的魔族とは違うのです。
せめて新鮮な生き血を頂くのであれば……とも思いましたが、余所からやって来た得体のしれない外国人の血を口にするには、少々勇気がいります。ましてやあんなへちゃむくれの潰れた顔、とても好みには合いません。さあどうしたものでしょう。

 自分の手で捕らえたものの、あの小娘をどう処分するかは難題です。そもそもあの図々しい小娘がこの城へ踏み込んでこなければこんな面倒な事態にはならなかったものの……。

 それにしても、あのお喋りな小娘が、閉じ込めた途端に随分と静かなものです。もう少し抵抗するとでも思いましたが、やけに大人しく文句の一つも言いません。
 こうも静かだとかえって不気味です。何かを企んでいるのか、はたまた絶望に暮れて無抵抗になっているのか。
 やきもきしながら頭を抱える男性に、暫く沈黙を貫いていた小夜子がやっと口を開きました。

「おじ様、いらっしゃいます?」

「なんだ……」

 素っ気ない返事です。

「あの~、折角ですからお互い自己紹介をしませんか?こんなところに私を閉じ込めたという事は、少なくとも暫くは私を生かしてくださるのでしょう?なのにお互い名前も知らないなんて不便ですわ。ね、いいでしょ?」

 男性は答えません。

「無視なさっても勝手に自己紹介します。私は白川小夜子。日本人の女子大生で、今年で二十歳になります。おじ様のお名前は?」

 相変わらず答えません。

「も~、少しくらい何かおっしゃってくださいな。別に名乗りたくないのでしたら今まで通りおじ様とお呼びしますけど」

「……私の事は伯爵と呼ぶがいい」

「あら素敵。それなりに地位があるお方なのね。ならば伯爵様と呼ばせて頂きます」

 男性……もとい伯爵は今、何やら凄く妙な気分になっています。突然現れた日本人の少女。見た事もない不思議なアイテムを持ち、魔法のような術を見せ、バンパイアである自分に喜んで飛びついてくる……。
 今まで数々の女性を手に掛けてきた伯爵ですが、ここまで掴みどころのない人間は初めてです。敵意も恐怖も抱いていない。それどころか、むしろ自分に好意的とも思われる感情を抱いている。こんなにも未知の生物を前にしてしまうと、バンパイアですら対応に困るようです。あの娘、閉じ込めたはいいけどこれからどうしてくれようか?

「伯爵様~、出してくださいまし~」

 どこかさっきより力なき声に聞こえます。

「もう!しおらしくすれば少しは可哀相だと同情してくれると思ったのに……」

 どうやら同情を引く為の演技だったようです。まったくどこまでも憎々しい娘でしょう。そんな事を思いながらも、伯爵は億劫な口調で答えます。

「暫くは其処で大人しくしていたまえ」

 伯爵は小部屋の前に立ち語りかけます。

「判りました。けど一つ言わせてくださいまし。伯爵様は私を帰さないとおっしゃいましたよね?私、別にそれでもいいと思うんです」

 伯爵は黙って話を聞きます。

「考えてみればこんな素敵なお城に、しかも憧れのバンパイア様と一緒に住めるなんて、この先絶対にありえない事ですもの。そりゃあお家に帰れなかったり家族に会えなかったりするのはちょっと寂しいですけど、この場所で残りの人生を謳歌するのも悪くないって思っているんですよ私」

 小夜子の言葉は、恐らく強がりや虚言ではありません。思った事をそのまま素直に口に出しているのでしょう。伯爵の勘では、きっとそうです。

「だから!」

 急に小夜子の口調が激しくなります。

「せめてこの部屋から出してくださいまし!こんな駅のトイレ程度しか広さのないところに一生居るんじゃ、気がおかしくなりそう!どうせ私はこの部屋から出されても逃げ出そうなんて思いません!だから出してください~!」

 悲願の声と共に、ドンドンとドアを叩く音が鳴り響きます。

「やかましい!まったく少し静かだと思ったらこれだ。全く少しは囚われの身であると自覚したらどうだね?」

「ああん、こんなところに閉じ込められたら、囚われの身と言うより出荷される家畜になった気分です。せめて此処から出してください。私のお部屋はシャンデリアと天蓋付のベッドさえあれば、それでいいですから」

「だから贅沢を言うな!」

 このいけ図々しい娘が、ほんの数分軟禁された程度でしおらしくなる筈がありません。いよいよこの娘への対処に悩む伯爵でした。帰す訳にもいかず殺める訳にもいかず、かと言ってこんなやかましい娘をいつまでも軟禁していてはこちらがおかしくなってしまいます。

「伯爵様~。お腹が空いてしまいました。それに喉も渇いたわ。何か出してくださらない?贅沢は言いません。苺の乗ったミルフィーユと温かい紅茶でもくださいな」

「それのどこが贅沢ではないのだ!」

 小夜子と伯爵は見事な天丼(この場合、海老天の乗った丼飯ではなく同じネタを繰り返し行うお笑いの事)で会話を続けます。こころなしかこの二人、随分と息が合ってきたようです。
 小夜子の処分に困った伯爵は、暫くの間考えましたが、とりあえずいい案が浮かばないので気晴らしに狩りへ出掛ける事にしました。

 そうです。バンパイアは狩りをする生き物。渇いた喉を潤す為、極上の生き血を啜る為、バンパイアは夜な夜な人里へと舞い降りるのです。

「娘よ、私は狩りに出掛けてくる。私が戻るまでせいぜいその部屋で大人しくしているのだな」

「狩りって……。ひっどーい!私と言う美女がありながら、他の女のもとへ血を求めに行くというのですか!?この浮気者―っ!」

 偉く怒気を含んだ声で罵る小夜子をそのままに、伯爵はすっかり夜の帳が下りた窓の外へと飛び立ったのでした。
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