16 / 28
16
しおりを挟む
高く昇った月は、満月に近い。
淡い光が、静かに村を浸していた。
今なら、〈老〉の呪力を怖れずにすむ。
〈老〉の眠りは、死そのもののように深いのだから。
三狼のいる耕作小屋の前の見張りは二人。二人とも、篝火を焚いたまま、その場にうずくまって深い寝息をたてている。
亜鳥が呪力で眠らせたのだ。
こんなにも力がある呪力者が傍にいたのに、気づかなかったなんて。
白久は、亜鳥の力にただただ驚いた。
これほどの呪力を隠すのは、並大抵の苦労ではなかっただろうに。
叔母の孤独を、自分はまったく知らなかったのだ。心の中で、白久は亜鳥に詫びを言った。
白久は息をころし、小屋の前に立った。
引き戸をそっと開く。
窓のない小屋の中は真っ暗だったが、戸口からの明かりで、三狼が長々と横たわっているのが見てとれた。いびきまでかいて、ぐっすりと眠っていた。
こんな時に、よくもまあのんびりと。
白久は肩をすくめ、三狼の肩に手をかけた。
三狼は、一声うなって眼をこすった。
きょとんと白久を見つめ、
「やあ、おはよう」
「まだ夜中」
白久は、早口でささやいた。
「あなたは、監禁されていたのよ。よく眠っていられたわね」
「眠れる時には寝ておく主義なんだ」
「昼間、〈老〉になんて言われた?」
「明日、大那に帰れって言ってたな」
三狼は頭をかいた。ようやく、はっきり眼が醒めたようだ。
「帰っても、〈龍〉のことは黙っているようにとも」
「あなたは、同意したの?」
「一応」
三狼は、こくんとうなずいた。
「穏便におさめるためにね。帰ったふりして、また龍探ししようと思っていた」
白久はあきれて肩をすくめた。
「そう甘くはいかないわ。〈老〉はあなたの記憶を消すつもりなの」
「記憶を?」
「あなたが大隅で見たことすべてね」
「そりゃあ、困る」
「記憶だけ消えればまだいい方よ。〈老〉の呪力は、あなたの精神を壊してしまうかもしれない」
「もっと困る!」
「だから、わたしと逃げるの。早く」
白久は三狼の手をとって、すべるように耕作小屋を抜け出した。
暗い山道をどのくらい歩いただろう。白久と三狼は、ようやく一息ついた。
谷間の村を小さく見下ろす峠にさしかかっていた。
ここまでなら、何度か白久は来たことがある。ここにたたずむたび、考えたものだ。西に下る坂道は、大那へと向かう道──。
「ここを行けば、大那に戻れるわ」
白久は、三狼を見上げて言った。
「あなた、帰るつもりはないの?」
「あたりまえだろ、せっかくここまで来たんだ。龍を見ないことには、話にならない」
三狼は肩をそびやかし、そして気づかわしげに白久を見つめた。
「きみこそ、どうするつもりなんだい。わたしのために──」
「ちがうわ」
白久はきっぱりと首を振った。
「自分のためよ」
熊笹や潅木の枝でついた手足のひっかき傷の痛みが、今頃になってじんわりと感じられる。
もう、後戻りはできないのだと白久は思った。
亜鳥と父とに別れた悲しみがひっそりと淀んでいるだけで、意外にも、心の中は平静だった。
村を出ることに、何の後悔もない。
そう、しばらく一門と別れて、頭を冷やそう。そして、再び帰った時に、亜鳥の手伝いができるなら──。
東の空がほんのりと明るくなり、連なる山々の稜線をくっきりと浮かび上がらせた。
白久は、深々と息を吸い込んだ。
「わたしも、あなたと行かせて。三狼さん。わたしも龍が見てみたいの」
淡い光が、静かに村を浸していた。
今なら、〈老〉の呪力を怖れずにすむ。
〈老〉の眠りは、死そのもののように深いのだから。
三狼のいる耕作小屋の前の見張りは二人。二人とも、篝火を焚いたまま、その場にうずくまって深い寝息をたてている。
亜鳥が呪力で眠らせたのだ。
こんなにも力がある呪力者が傍にいたのに、気づかなかったなんて。
白久は、亜鳥の力にただただ驚いた。
これほどの呪力を隠すのは、並大抵の苦労ではなかっただろうに。
叔母の孤独を、自分はまったく知らなかったのだ。心の中で、白久は亜鳥に詫びを言った。
白久は息をころし、小屋の前に立った。
引き戸をそっと開く。
窓のない小屋の中は真っ暗だったが、戸口からの明かりで、三狼が長々と横たわっているのが見てとれた。いびきまでかいて、ぐっすりと眠っていた。
こんな時に、よくもまあのんびりと。
白久は肩をすくめ、三狼の肩に手をかけた。
三狼は、一声うなって眼をこすった。
きょとんと白久を見つめ、
「やあ、おはよう」
「まだ夜中」
白久は、早口でささやいた。
「あなたは、監禁されていたのよ。よく眠っていられたわね」
「眠れる時には寝ておく主義なんだ」
「昼間、〈老〉になんて言われた?」
「明日、大那に帰れって言ってたな」
三狼は頭をかいた。ようやく、はっきり眼が醒めたようだ。
「帰っても、〈龍〉のことは黙っているようにとも」
「あなたは、同意したの?」
「一応」
三狼は、こくんとうなずいた。
「穏便におさめるためにね。帰ったふりして、また龍探ししようと思っていた」
白久はあきれて肩をすくめた。
「そう甘くはいかないわ。〈老〉はあなたの記憶を消すつもりなの」
「記憶を?」
「あなたが大隅で見たことすべてね」
「そりゃあ、困る」
「記憶だけ消えればまだいい方よ。〈老〉の呪力は、あなたの精神を壊してしまうかもしれない」
「もっと困る!」
「だから、わたしと逃げるの。早く」
白久は三狼の手をとって、すべるように耕作小屋を抜け出した。
暗い山道をどのくらい歩いただろう。白久と三狼は、ようやく一息ついた。
谷間の村を小さく見下ろす峠にさしかかっていた。
ここまでなら、何度か白久は来たことがある。ここにたたずむたび、考えたものだ。西に下る坂道は、大那へと向かう道──。
「ここを行けば、大那に戻れるわ」
白久は、三狼を見上げて言った。
「あなた、帰るつもりはないの?」
「あたりまえだろ、せっかくここまで来たんだ。龍を見ないことには、話にならない」
三狼は肩をそびやかし、そして気づかわしげに白久を見つめた。
「きみこそ、どうするつもりなんだい。わたしのために──」
「ちがうわ」
白久はきっぱりと首を振った。
「自分のためよ」
熊笹や潅木の枝でついた手足のひっかき傷の痛みが、今頃になってじんわりと感じられる。
もう、後戻りはできないのだと白久は思った。
亜鳥と父とに別れた悲しみがひっそりと淀んでいるだけで、意外にも、心の中は平静だった。
村を出ることに、何の後悔もない。
そう、しばらく一門と別れて、頭を冷やそう。そして、再び帰った時に、亜鳥の手伝いができるなら──。
東の空がほんのりと明るくなり、連なる山々の稜線をくっきりと浮かび上がらせた。
白久は、深々と息を吸い込んだ。
「わたしも、あなたと行かせて。三狼さん。わたしも龍が見てみたいの」
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
好きな人に『その気持ちが迷惑だ』と言われたので、姿を消します【完結済み】
皇 翼
恋愛
「正直、貴女のその気持ちは迷惑なのですよ……この場だから言いますが、既に想い人が居るんです。諦めて頂けませんか?」
「っ――――!!」
「賢い貴女の事だ。地位も身分も財力も何もかもが貴女にとっては高嶺の花だと元々分かっていたのでしょう?そんな感情を持っているだけ時間が無駄だと思いませんか?」
クロエの気持ちなどお構いなしに、言葉は続けられる。既に想い人がいる。気持ちが迷惑。諦めろ。時間の無駄。彼は止まらず話し続ける。彼が口を開く度に、まるで弾丸のように心を抉っていった。
******
・執筆時間空けてしまった間に途中過程が気に食わなくなったので、設定などを少し変えて改稿しています。
私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?
新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。
※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!
セレナの居場所 ~下賜された側妃~
緑谷めい
恋愛
後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。
婚約者に消えろと言われたので湖に飛び込んだら、気づけば三年が経っていました。
束原ミヤコ
恋愛
公爵令嬢シャロンは、王太子オリバーの婚約者に選ばれてから、厳しい王妃教育に耐えていた。
だが、十六歳になり貴族学園に入学すると、オリバーはすでに子爵令嬢エミリアと浮気をしていた。
そしてある冬のこと。オリバーに「私の為に消えろ」というような意味のことを告げられる。
全てを諦めたシャロンは、精霊の湖と呼ばれている学園の裏庭にある湖に飛び込んだ。
気づくと、見知らぬ場所に寝かされていた。
そこにはかつて、病弱で体の小さかった辺境伯家の息子アダムがいた。
すっかり立派になったアダムは「あれから三年、君は目覚めなかった」と言った――。
あなたの子ですが、内緒で育てます
椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」
突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。
夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。
私は強くなることを決意する。
「この子は私が育てます!」
お腹にいる子供は王の子。
王の子だけが不思議な力を持つ。
私は育った子供を連れて王宮へ戻る。
――そして、私を追い出したことを後悔してください。
※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ
※他サイト様でも掲載しております。
※hotランキング1位&エールありがとうございます!
【完結】亡き冷遇妃がのこしたもの〜王の後悔〜
なか
恋愛
「セレリナ妃が、自死されました」
静寂をかき消す、衛兵の報告。
瞬間、周囲の視線がたった一人に注がれる。
コリウス王国の国王––レオン・コリウス。
彼は正妃セレリナの死を告げる報告に、ただ一言呟く。
「構わん」……と。
周囲から突き刺さるような睨みを受けても、彼は気にしない。
これは……彼が望んだ結末であるからだ。
しかし彼は知らない。
この日を境にセレリナが残したものを知り、後悔に苛まれていくことを。
王妃セレリナ。
彼女に消えて欲しかったのは……
いったい誰か?
◇◇◇
序盤はシリアスです。
楽しんでいただけるとうれしいです。
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる