龍の少女

ginsui

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 高く昇った月は、満月に近い。
 淡い光が、静かに村を浸していた。
 今なら、〈老〉の呪力を怖れずにすむ。
 〈老〉の眠りは、死そのもののように深いのだから。
 三狼のいる耕作小屋の前の見張りは二人。二人とも、篝火を焚いたまま、その場にうずくまって深い寝息をたてている。
 亜鳥が呪力で眠らせたのだ。
 こんなにも力がある呪力者が傍にいたのに、気づかなかったなんて。
 白久は、亜鳥の力にただただ驚いた。
 これほどの呪力を隠すのは、並大抵の苦労ではなかっただろうに。
 叔母の孤独を、自分はまったく知らなかったのだ。心の中で、白久は亜鳥に詫びを言った。
 白久は息をころし、小屋の前に立った。
 引き戸をそっと開く。
 窓のない小屋の中は真っ暗だったが、戸口からの明かりで、三狼が長々と横たわっているのが見てとれた。いびきまでかいて、ぐっすりと眠っていた。
 こんな時に、よくもまあのんびりと。
 白久は肩をすくめ、三狼の肩に手をかけた。
 三狼は、一声うなって眼をこすった。
 きょとんと白久を見つめ、
「やあ、おはよう」
「まだ夜中」
 白久は、早口でささやいた。
「あなたは、監禁されていたのよ。よく眠っていられたわね」
「眠れる時には寝ておく主義なんだ」
「昼間、〈老〉になんて言われた?」
「明日、大那に帰れって言ってたな」
 三狼は頭をかいた。ようやく、はっきり眼が醒めたようだ。
「帰っても、〈龍〉のことは黙っているようにとも」
「あなたは、同意したの?」
「一応」
 三狼は、こくんとうなずいた。
「穏便におさめるためにね。帰ったふりして、また龍探ししようと思っていた」
 白久はあきれて肩をすくめた。
「そう甘くはいかないわ。〈老〉はあなたの記憶を消すつもりなの」
「記憶を?」
「あなたが大隅で見たことすべてね」
「そりゃあ、困る」
「記憶だけ消えればまだいい方よ。〈老〉の呪力は、あなたの精神を壊してしまうかもしれない」
「もっと困る!」
「だから、わたしと逃げるの。早く」
 白久は三狼の手をとって、すべるように耕作小屋を抜け出した。
 
 暗い山道をどのくらい歩いただろう。白久と三狼は、ようやく一息ついた。
 谷間の村を小さく見下ろす峠にさしかかっていた。
 ここまでなら、何度か白久は来たことがある。ここにたたずむたび、考えたものだ。西に下る坂道は、大那へと向かう道──。
「ここを行けば、大那に戻れるわ」
 白久は、三狼を見上げて言った。
「あなた、帰るつもりはないの?」
「あたりまえだろ、せっかくここまで来たんだ。龍を見ないことには、話にならない」
 三狼は肩をそびやかし、そして気づかわしげに白久を見つめた。
「きみこそ、どうするつもりなんだい。わたしのために──」
「ちがうわ」
 白久はきっぱりと首を振った。
「自分のためよ」
 熊笹や潅木の枝でついた手足のひっかき傷の痛みが、今頃になってじんわりと感じられる。
 もう、後戻りはできないのだと白久は思った。
 亜鳥と父とに別れた悲しみがひっそりと淀んでいるだけで、意外にも、心の中は平静だった。
 村を出ることに、何の後悔もない。
 そう、しばらく一門と別れて、頭を冷やそう。そして、再び帰った時に、亜鳥の手伝いができるなら──。
 東の空がほんのりと明るくなり、連なる山々の稜線をくっきりと浮かび上がらせた。
 白久は、深々と息を吸い込んだ。
「わたしも、あなたと行かせて。三狼さん。わたしも龍が見てみたいの」
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