サルバトの遺産

ginsui

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 川幅が狭くなるにつれて、景色はだんだんと荒々しくなっていた。
 見慣れた緑の平野はすでになく、いつしか荒れた丘陵地に入っている。
 植物は目立って少なくなり、くすんだ茶や灰色の土地が延々と続いていた。
 この丘陵地を越えると、レヴァイアの半分以上もの面積をしめる砂漠に出るわけだった。
 アロウィンは岩と岩との間の柔らかい土の上に敷いたマントから身を起こし、こわばった身体をおもいきり伸ばした。
 王宮を出てから八日目の朝だ。もうとっくに舟は捨て、三人は川の支流を遡る旅を続けていた。
 それにしても、とアロウィンは考えた。景色というものは、こんなにも人の心に影響を及ぼすものだろうか?
 砂漠に近づくにつれて、アロウィンは何か言いようのない不快感を覚えていた。
 心ばかりか、皮膚までもざわりとするような気分。
 その理由がわからないだけ、いっそう胸騒ぎめいたものを感じてしまう。
「どうもおかしいんだ」
 浅い川の水で顔を洗いながら、アロウィンはとうとうライランに言った。
「何ていったらいいのかな。ここは空気が違う。ひどく嫌な感じがする」
「あんたもそうなのか?」
 ライランは驚いたように言った。
「おれもなんだ。おれはまた、エルグのところに行きたくないばっかりに、そんな気がしていると思っていたよ」
 イムラは二人の会話に耳をかたむけながら、ゆるくひだをなしている裸山の向こうに目をこらしていた。
 朝食は、パグと呼ばれる大きな両棲類の生き物だった。王宮を出る時にイムラが用意した食料は、このころには底をついていたのだ。
 灰色の蜥蜴のような姿をしたパグは河辺の岩陰に潜み、動きが鈍いので容易に捕まえることができる。イムラは顔をしかめもせずに、パグの硬い皮を剥ぎ、内臓を抜いて木の枝に刺した。焚き火の上でじっくりと炙りはじめる。
「みごとなものだね、イムラ」
 アロウィンは、感心して言った。
「あなたは、なんだかこんな生活に慣れてるみたいだ」
「わかりますか」
 イムラは火かげんを見ながら、ちらりと笑った。
「レヴァイアに来る前は、こうやって方々を旅したものです」
「そういえば、あんたレヴァイア人じゃなかったな」
 ライランが口をはさんだ。
「どこの生まれだい?」
「エルドーナです。育ったのはロドロムですけれどね」
 アロウィンはおそるおそるパグの肉に口をつけ、それがけっこうおいしいことに満足した。
 
 その日の昼すぎに、三人はエルグの天幕にたどりついた。
 それは、大きく起伏した岩山の裾にひとつだけぽつんとあった。
 近づくと、羊の毛で織った茶色の帳がまくれ上がり、内から小柄な人影が現れた。
 心の準備はしていたものの、アロウィンは複雑な思いでエルグを見つめた。
 背丈はライランと同じぐらい、少女のようにほっそりとした身体を灰色の寛衣でつつんでいる。
 緑色のくせ毛は肩のあたりで切りそろえられ、そして大きな緑色の目。それには白いところがなく、まるで深い光を秘めた宝石のようだった。
「あなたがアロウィンですね」
 イムラに目礼すると、エルグはアロウィンに言った。
 子供のように澄んだ、不思議な声だ。
「それにライラン、おいでになるのはわかっていました。どうぞ内へ」
「わかっていたって、どうして」
 アロウィンは言いかけてから納得した。
 〈緑人〉は〈力〉を持っている。
 エルグは微笑した。
 目が細められ、鼻先にちょっと皺がよった。なんともいえない、優しい微笑みだ。
 アロウィンはそれだけでエルグが好きになったような気がした。
 ライランも不本意ながらそう感じたにちがいない。エルグを見る目がいくぶん和らいできている。
 天幕の中は、狭いながらも小ぎれいにかたずいていた。中央の炉のまわりには毛皮が敷き詰められており、エルグは三人をそこに座らせた。
「砂漠に行かれるのですね」
 搾ったばかりの羊の乳を出してくれながらエルグは言った。
「そのつもりです」
 イムラが答えた。
「フェサにわたしの友人がいますから」
 エルグはうなずき、ものおもわしげに黙り込んだ。
 シャデルのことを考えているのだろうか、とアロウィンは思った。
 エルグのもとに戻ることなく、海で死んでしまったシャデル。
 エルグはふいに顔を上げ、その緑色の目をイムラに向けた。
「〈緑人〉がクイスを去ったのはご存じですか? イムラ」
「いえ」
 イムラはかすかに眉を上げた。
「いつのことです」
「二月ほど前です。彼らはクイスからメダリアに行ったようですよ」
「なんのこと?」
 二人の間のはりつめた空気に気づいて、アロウィンは尋ねた。
「〈緑人〉はクラウトの時代からクイスにいたのですよ、アロン」
 イムラが考え深げに言った。
「その彼らが別の地に移住したとなれば、よくよくのことがあったに違いありません。あなたがたは今朝方、このあたりの空気は嫌な感じがすると言っていましたね」
「ここだけではありません」
 エルグは、アロウィンに視線を移した。
「これは砂漠全体にみなぎっています。ある種の感情のようなもの。尽きることのない憎しみと悪意です」
「悪意?」
 アロウィンとライランは、そろって目を見開いた。
「どういうこと?」
 エルグは両の手を組み合わせ、ゆっくりと首を振った。
「わたし一人の力では、それ以上のことはわかりません。ただ感じるのは、近い将来レヴァイアに起こる禍いの予徴です。いえ、それはレヴァイアばかりかウェストファーレン中を覆うかもしれない。〈緑人〉はおそらくその正体を知って、レヴァイアを出て行ったのでしょう」
「まるで鼠だな!」
 ライランが、しゃくにさわったように叫んだ。
「鼠が逃げた船は沈むに決まっているさ」
 ライランは押しよせる不安と闘っている。それはアロウィンも同じだった。
 エルグとイムラは、それぞれのもの思いにふけったまま。長い沈黙がおちた。
「ぼくたち」
 アロンは、やっとのことで口を開いた。
「ぼくたちは、その禍いがなんであるか知る必要があるよ。正体がわからなければ、防ぎようがない」
 父王殺しの汚名をきせられ、明日のことさえさだかではない自分が何を言っているのだろう。そう思わないでもなかった。ジュダインへの復讐さえ果たせるかどうかもわからないこの状況で。
 しかし、シャデルが残した言葉がよみがえったのだ。
 いつか、レヴァイアがおまえを必要とする日が来るかもしれない。
 シャデルは、なにかの予兆を感じていたのか。
 だとすれば、これを見過ごすわけにはいかない。自分にできることをしなければ。
「そうですね、アロウィン」
 イムラが顔を上げた。
「メダリアに行きましょう。〈緑人〉たちに会って禍いの正体を確かめるのです」
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