鬼の谷

ginsui

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 一日の最後の鐘は、日没と同時に打ち鳴らされる。
 〈谷〉は戸口という戸口、窓と言う窓をびったりと閉ざし、夜に備えることになる。
 聖たちは谷間に点在する各自の庵に住んでいた。行者と見習い行者は同じ建物のそれぞれの大部屋で寝起きしている。
 草は行者部屋の布団の上に寝転がっていた。四隅の灯台の明かりが天上に行者たちの影を浮かべている。
 壁をへだてた見習部屋から、さわさわと話し声が聞こえいてた。寮内だけは私語が許されている。就寝前のこのひとときだけが、わずかにのんびりできる時間だった。
 まあ、のんびりしていないやつもいるが、と草はかたわらの杜を見やった。
 杜は胡座を組んで瞑想に入っていた。見習時代から変わること無い彼の日課だ。
 〈谷〉の行者は全部で二十九人。夜番に出ている者もいるので、部屋の空間はだいぶ余裕があつた。びっしりと布団を敷き詰めた見習部屋から移って来た時、ひどく贅沢に思えたものだ。
 贅沢からほど遠い場所に突然追いやられた王の甥は、今頃どうしているだろう。
 ふと草は考えた。
 賑やかで、きらきらしい都。行ったことはないが、この〈谷〉とはあまりにも差があることは確かだ。生まれながらに持っているらしい〈念〉も、都では使わずにすんだろうに。
 いつの間にか眠っていた。突然背中を突き上げる地鳴りで飛び起きた。
 寮の建物全体がぎしぎしと音を立てていた。
 地震、ではない。四方の壁や天井が、目で見てわかるほど不自然な形に歪んでいる。
 外では風がうなっていた。襲い来る怒濤のように谷間の木々をどよもした。
 鬼だ。
 しかし、何かいつもと違う。
「結界が」
 年長行者の元が立ち上がった。
「揺らいでおる。夜番は何をしておるんじゃ」
「草、杜」 
 てきぱきと命を下したのは行者頭のつるだ。
「見習いをまとめてくれ。後の者はここで結界を保て。夜番の〈念〉だけでは足りないらしい」
「わかりました」
  二人が行くと、見習たちは皆不安げに起き上がっていた。
 鬼は夜の闇に乗じてやって来る。小さな地震や突風はしょっちゅうのこと。しかし今夜のように大きなものは、 草が〈谷〉に来てはじめてだ。
 地鳴りは続き、風は吹きすさんでいた。木の枝葉や石つぶてが外壁や屋根にびしびしとぶつかった。いずれは  突き破ってしまいそうな勢いだ。
 「草どの」
 見習いの一人が脅えた声を上げた。
「これは…」
「毎度の鬼だ。少しばかり大きいのが来ている」
「みな、その場で瞑想体」
  外の音に負けない声で杜は言った。
「念を外に向けろ。鬼につけいる隙を与えるな」
 見習たちは言われた通りに目を閉じた。
 草は王の甥を目で探した。青ざめた顔で小刻みに震えている。〈谷〉に入った初日からこんな目にあうとは気の毒に。
 草もそこに座って念をこらした。
 結界は〈谷〉の隅々に張り巡らされている。昼はまだ心配ないが、鬼が力を得る夜には夜番が交代で結界を強めている。一番危険なのは新月の夜だ。しかし今夜の月は満ちている。
 何かがいつもと違う、と草は直感した。
 ともあれ、いまは結界を強化しなければ。
 鬼のもともとは、死んだ者の魂だ。たいていの死者の魂は、しばし現世を漂い、やがて輪廻に向かうことになる。しかし未練怨念凄まじく、この世に残り続けるものもいる。人間だった時の理性を忘れ、ただやみくもに災いをなすのだ。
 俗世でもときおり鬼が現れ、行者が調伏に呼ばれる時があった。ただ、〈谷〉の鬼はそれよりずっとたちが悪い。なにしろ、そのほとんどが聖だったのだから。
 どんなに修行を積んでいても、死の間際には様々な思いが去来するらしい。死のまぎわのほんの小さな心の陰りが、昇天への道を閉ざしてしまう。天上に行けず、なまじ修行を積んでいるために輪廻にも入れない魂は、この谷間を漂うことになる。自分をこの身に落とした〈谷〉を憎むだけの鬼となって。
  それにしても今夜の襲撃はいつになく執拗だった。自分たちの存在を一通りしめせば満足して去って行くのが鬼の常なのに。
 明らかに力が増している。
 何か、理解しがたいことがおこっている?
 風がぴたりとおさまった。
 ようやくあきらめてくれたのか。
 思った瞬間、風は再び勢いよく部屋の壁を揺るがした。
 めりめりと音を立てて壁が内側に膨らみ始めた。
 草は杜とともに、〈念〉を壁に向けた。
 結界を補強し、鬼を侵入させまいとした。
 壁がおしもどされたのは一瞬で、息つくまもなく壁が弾けた。木片が飛び散り、部屋の明かりがかき消えた。
 破れた壁から、闇がなだれこんできた。
 見習たちは悲鳴を上げた。もはや〈念〉に集中する余裕もなく、ただただ恐怖にうずくまっている。
 草は鬼の姿を見たことがなかった。
 もともと人間だったのだから、人の姿をしているのだろうと漠然と思っていた。
 ところがこれは闇から沸き上がる黒い塊。月明かりでようやくものの輪郭が見わけられる部屋の中、どろりとした密度をもって床を這いずってくる。
 と、いくつもの瘤が表面に現れた。瘤は伸び、触手となって、それぞれが別の生き物のように動き始めた。
 草は夢中だった。ありったけの〈念〉を引き出し、鬼に向けた。
 いままで使ったことのない力、使う必要のなかった力だった。
 闇に勝るもの。
 光がほとばしった。 
 自分が発した力で草は床にたたきつけられた。少しの間、頭がくらくらした。
 だれかが、やっと灯台の明かりをつけなおした。
 鬼は消えていた。
「草」
 杜が助け起こしてくれた。
「大丈夫か」
「ああ、みなは無事か?」
  杜は見習い部屋を見回した。
「卓我が倒れている」
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