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羽白は目をあけ、軽く頭を振った。
意識が飛んだのは一瞬のことだ。
抱えたままの琵琶には、まだ弦音の余韻が残っていた。
すぐ側に、久丹がうずくまっていた。彼も顔を上げ、驚いたように立ち上がった。
とたんに鈍い音がして、久丹は頭を押さえてしゃがみこんだ。
「なんなんだ! これは」
二人がいたのは、大きな籠の中だった。久丹はその天井に頭をぶつけてしまったのだ。
頑丈に編み込まれた竹の格子が、四方を囲んでいた。
格子をすかして、赤々と焚かれているかがり火が見えた。そして、かがり火を背に、立っている者たちの姿も。
弓を持ち、矢筒を背負った男たちが十人ほど、ぐるりと籠をとりかこんでいた。凍りついたように二人を眺めている彼らの弓弦もまた、かすかに震えている。
みな短髪で肌の色は濃く、腕がむきだした厚めの貫頭衣を身につけていた。帯も、膝下まで巻いた脚絆も何かのなめした革でできているようだ。やはり革製らしい額巻き。大那でこんな姿をしている者は、見たことがない。
かがり火の方から悲鳴が上がった。
何人かの女の悲鳴だ。男たちは弾かれたようにそちらに駆け寄った。
いっせいに何かを言い合っている。
叫び交わす言葉が、しだいに意味を持って聞き取れるようになってくる。
「大呪者が死んだ!」
「呪者たちを落ち着かせろ」
「ちがう」
と、彼らは言っていた。
「なぜだ」
とも。
悲鳴は、いつしか低いすすり泣きに変わっていた。
「羽白」
かたわらで久丹がささやいた。
「連中の姿。あれは大那の人間じゃない」
羽白は久丹を見た。
「見えるのか」
「ああ、見える」
久丹は、はっとしたように目をこすった。
「まだ夜なのに」
疑問はあふれるほどあった。ここはどこで、なぜ自分たちはこんな籠に閉じ込められているのか。
「羽白」
久丹は言い、絶句した。
久丹は、竹格子から見える夜空を仰いでいた。青黒い雲が切れ、満月が顔をのぞかせていた。
そしてその隣には、二まわりほど小さな、もうひとつの月。
弓を持った一人がこちらに向きを変えた。
まだ、少年だ。つかつかと歩み寄り、弓に矢をつがえて鏃を羽白に向けた。
「やめろ、サイ」
誰かが彼の腕をつかんだ。
「離せ、リン。こいつらには、用がない」
サイは、叫ぶように言った。
「だからといって、こいつらの罪じゃない。失敗したのは、大呪者だ」
リンはサイから矢を取り上げた。
「なぜだ」
サイは首を振った。
「大呪者が失敗するはずがない。なんで鳳凰ではなく、こんな人間が」
「鳳凰?」
羽白と久丹は同時に口にした。
かがり火の前の一団が、何かを運び上げて移動しようとしていた。
死んだという大呪者だろう。女らしい二人が、誰かに抱えられるようにして後に続く。
リンはサイをそちらに押しやった。
「悪かったな」
サイが行ってしまうと、リンは言った。
羽白たちと同じくらいの年の頃だろうか。太い眉、彫りの深い顔立ちは、明らかに大那の者とは違う血をしめしていた。久丹にも負けない長身で、筋肉質のしなやかな体躯をしている。
「いったい、ここはどこだ」
久丹が格子に手をかけて言った。
「なぜ、おれたちはここに来た」
「おれたちも混乱している」
リンは、眉間に深い皺をよせた。
リンの背後から、白髪の老人が現れた。濃い眉からほお骨にかけて大きな傷跡があり、右目が痛ましく瞑れている。肩幅広い、がっちりとした体つき。若いときはさぞかし壮健だったに違いない。
首には、ずしりと重そうな首飾りをかけていた。黒光りする、なにか大きな獣の爪のようなものが数個つけられている。これほど大きな爪をもつ生き物が、この世界にはいると言うことか。
「長」
リンが振り向いた。
「どうする?」
「どこでどう間違ったのか」
長と呼ばれた老人は、ゆっくりと首を振った。
「わしには、わからん。念が乱れてしまったらしい」
「鳳凰を呼ぶつもりだったのか」
羽白は言った。
「そうだ」
「間違ったのなら」
久丹が、断固として言った。
「さっさと、帰してもらいたい」
「大呪者は、死んだ」
長は、言った。
「あとは、若い呪者しかおらん。あれらが力をつけるまで、季が何巡りすることか。われらだけで、もう鳳凰は呼べぬ。おぬしらを、どうすることもできぬ」
「馬鹿な」
久丹は、悪態をついた。
長は深々とため息をつき、しばらく考え込んでいた。
「なにか、意味あることかもしれん。おぬしらが来たのは」
やがて、長は口をひらいた。
「ここにいてくれ。明朝、迎えに来よう」
意識が飛んだのは一瞬のことだ。
抱えたままの琵琶には、まだ弦音の余韻が残っていた。
すぐ側に、久丹がうずくまっていた。彼も顔を上げ、驚いたように立ち上がった。
とたんに鈍い音がして、久丹は頭を押さえてしゃがみこんだ。
「なんなんだ! これは」
二人がいたのは、大きな籠の中だった。久丹はその天井に頭をぶつけてしまったのだ。
頑丈に編み込まれた竹の格子が、四方を囲んでいた。
格子をすかして、赤々と焚かれているかがり火が見えた。そして、かがり火を背に、立っている者たちの姿も。
弓を持ち、矢筒を背負った男たちが十人ほど、ぐるりと籠をとりかこんでいた。凍りついたように二人を眺めている彼らの弓弦もまた、かすかに震えている。
みな短髪で肌の色は濃く、腕がむきだした厚めの貫頭衣を身につけていた。帯も、膝下まで巻いた脚絆も何かのなめした革でできているようだ。やはり革製らしい額巻き。大那でこんな姿をしている者は、見たことがない。
かがり火の方から悲鳴が上がった。
何人かの女の悲鳴だ。男たちは弾かれたようにそちらに駆け寄った。
いっせいに何かを言い合っている。
叫び交わす言葉が、しだいに意味を持って聞き取れるようになってくる。
「大呪者が死んだ!」
「呪者たちを落ち着かせろ」
「ちがう」
と、彼らは言っていた。
「なぜだ」
とも。
悲鳴は、いつしか低いすすり泣きに変わっていた。
「羽白」
かたわらで久丹がささやいた。
「連中の姿。あれは大那の人間じゃない」
羽白は久丹を見た。
「見えるのか」
「ああ、見える」
久丹は、はっとしたように目をこすった。
「まだ夜なのに」
疑問はあふれるほどあった。ここはどこで、なぜ自分たちはこんな籠に閉じ込められているのか。
「羽白」
久丹は言い、絶句した。
久丹は、竹格子から見える夜空を仰いでいた。青黒い雲が切れ、満月が顔をのぞかせていた。
そしてその隣には、二まわりほど小さな、もうひとつの月。
弓を持った一人がこちらに向きを変えた。
まだ、少年だ。つかつかと歩み寄り、弓に矢をつがえて鏃を羽白に向けた。
「やめろ、サイ」
誰かが彼の腕をつかんだ。
「離せ、リン。こいつらには、用がない」
サイは、叫ぶように言った。
「だからといって、こいつらの罪じゃない。失敗したのは、大呪者だ」
リンはサイから矢を取り上げた。
「なぜだ」
サイは首を振った。
「大呪者が失敗するはずがない。なんで鳳凰ではなく、こんな人間が」
「鳳凰?」
羽白と久丹は同時に口にした。
かがり火の前の一団が、何かを運び上げて移動しようとしていた。
死んだという大呪者だろう。女らしい二人が、誰かに抱えられるようにして後に続く。
リンはサイをそちらに押しやった。
「悪かったな」
サイが行ってしまうと、リンは言った。
羽白たちと同じくらいの年の頃だろうか。太い眉、彫りの深い顔立ちは、明らかに大那の者とは違う血をしめしていた。久丹にも負けない長身で、筋肉質のしなやかな体躯をしている。
「いったい、ここはどこだ」
久丹が格子に手をかけて言った。
「なぜ、おれたちはここに来た」
「おれたちも混乱している」
リンは、眉間に深い皺をよせた。
リンの背後から、白髪の老人が現れた。濃い眉からほお骨にかけて大きな傷跡があり、右目が痛ましく瞑れている。肩幅広い、がっちりとした体つき。若いときはさぞかし壮健だったに違いない。
首には、ずしりと重そうな首飾りをかけていた。黒光りする、なにか大きな獣の爪のようなものが数個つけられている。これほど大きな爪をもつ生き物が、この世界にはいると言うことか。
「長」
リンが振り向いた。
「どうする?」
「どこでどう間違ったのか」
長と呼ばれた老人は、ゆっくりと首を振った。
「わしには、わからん。念が乱れてしまったらしい」
「鳳凰を呼ぶつもりだったのか」
羽白は言った。
「そうだ」
「間違ったのなら」
久丹が、断固として言った。
「さっさと、帰してもらいたい」
「大呪者は、死んだ」
長は、言った。
「あとは、若い呪者しかおらん。あれらが力をつけるまで、季が何巡りすることか。われらだけで、もう鳳凰は呼べぬ。おぬしらを、どうすることもできぬ」
「馬鹿な」
久丹は、悪態をついた。
長は深々とため息をつき、しばらく考え込んでいた。
「なにか、意味あることかもしれん。おぬしらが来たのは」
やがて、長は口をひらいた。
「ここにいてくれ。明朝、迎えに来よう」
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