竜の射手

ginsui

文字の大きさ
上 下
8 / 21

8

しおりを挟む
  
 アイルは、リーの後について土手の上に向かった。
 ずらりと並んだ露店からは、さまざまな食べ物のにおいがしていた。香ばしい肉の匂い、茹でたじゃがいも、揚げたての菓子。
 アイルは、今朝から何も食べていないことを思い出した。急に空腹をおぼえてしまう。
 すぐ先に、練った小麦粉を大きな鉄板で焼いている店があった。こんがりと焼けたそれを棒状に切りわけて、砂糖と香料をまぶしてくれるのだ。
「これ、砂漠の方のお菓子よね。わたし、大好きなの」
 リーは、二つ注文した。
 紙に包んだ焼きたての菓子を受け取り、一つをアイルに手渡した。ぴりっとした香料と砂糖の甘い香りが一緒になって鼻をくすぐり、アイルの顔は思わずほころんだ。
 一口かじりついた瞬間、ふと誰かの面影が頭をよぎった。
 アイルは、はっとして顔をあげた。
 この菓子の香りはおぼえている。
 誰かが作ってくれた。
 いつも微笑みを浮かべている、優しい女の人……。
 もう少しでその顔が思い出せそうだった。
 アイルは、必死で記憶をたぐり寄せようとした。
 誰だったろう。
 もう少しで──。
「やあ、セガスのおじょうさん」
 つかみかけた記憶の糸を、無骨な声が断ち切った。
 ちらりとかいま見えた人は、あっという間に消え去った。
「どうしたんだい。今回はだめだったじゃないか」
 ナズルのカズだ。
 リーは、おもいきり嫌な顔をした。
「決勝戦までは時間があるんだ。一杯やろうと思ってたところさ。こんどこそつきあわないか。賞金で何かいいものを買ってやるよ」
 リーは怒り心頭に達しているようだったが、無視を決めこんだ。
「行きましょう、アイルくん」
「やれやれ、つまらん女だねえ」
 カズは大げさに首を振り、背を向けた。その時、彼のふところから何かが落ちて、アイルの足下に転がった。
 アイルは拾い上げた。
 コルクの蓋がついた小さな瓶だ。透明な液体が中に少しだけ入っている。
「返せよ、小僧」
 カズは、あわててアイルから瓶をうばい取った。
「これは、おれのもんだ」
 あっけにとられているアイルとリーをしりめに、カズは瓶をにぎりしめて、早足で立ち去った。
「変なやつ!」
 リーははきすてるように言った。
「相手になっていられないわ」   
 まったくだ。おかげで思い出しかけた何かが、また遠くに行ってしまった。
 アイルはため息をついた。
 冷めて香りも薄くなった菓子をかじりながら、リーと土手に戻った。 河原の弓引きの数は、半分ぐらいに減っていた。
 ダグは弓を手にしゃがみ込み、川の流れを見つめている。
 並んだ五人が矢を射るたび、観客の拍手やため息が起こった。続けて何組も的に入らなかったり、一度で三四人の的中てきちゅう者を出す組もあった。
 ついに最後の組、ダグの番だった。残った三人は、弓を手に定位置に並んだ。
 百三番目のダグは、一番後ろだ。
 三人の弓が高々と持ち上がり、一呼吸置いて引き分けられた。
「いい形をしているわね」
 アイルの傍らでリーがつぶやいた。
「よほど基礎をつまないと、あんなふうにはならないわ」
 アイルは、まじまじとダグを見つめた。
 いまや、ダグの腕と体は、みごとな十字を作っていた。リーの言う通り、その姿は伸び伸びとして美しかった。いつも猫背ぎみに弓をつま弾いていダグよりも、ずっとしっくりして見えた。
 やはりダグは、弓を引きたかったのではないか。
 矢が放たれた。
 一本の矢が、にぶい音を立てて的に当たった。他の二本は幕の前に落ちた。
「誰の?」
 リーが、うれしそうにアイルの肩を叩いた。
「あなたの連れよ。やったわ。的の角にぶつかったけど、入ってる。決勝に残ったのよ」
 当のダグは、的を眺めたまま、まだ立ちつくしていた。
 すぐに決勝に入るとのことで、アイルはダグに会いに行くことができなかった。
 決勝に残ったのは十三人。
 さっきまでの的が、ふた周りほど大きなものに取り替えられた。
「的が変わったね」
大的おおまとよ。順番をつけやすくするため」
 リーが説明してくれた。
「公式戦ではないから、主催者が自由な的を使えるの。十位まで入賞と言っていたでしょう。今日のはいつもより大きいわ。的の中心に近い矢から順番をつけていくわけ」
 係りが、くじを引かせて決勝の順番を決めていた。
 並んだ順を見ると、ダグは最初から四番目のようだった。ガズは、一番最後で自信たっぷりに胸をそらせていた。
 一番目の弓引きの矢は、的の星よりに、小気味いい音をたてて命中した。それを意識しすぎたのか、二番手の矢は、おしくも的をそれた。三番目の矢は、的の縁に近い右側に当たり、
 そして、ダグは──。
 アイルは、祈るように両手の指を組み合わせて、弓をかまえるダグを見つめた。
 脱落者は三人だ。すでに一人、的を外しているし、的に当たりさえすれば入賞できる確率は高い。
 ダグは呼吸を整えながら弓を引きしぼっていた。
 目を見開き、的をにらんでいる。
 ねらいをつけている時間が、あまりにも長すぎると思えた瞬間、矢は放たれた。
 アイルは目をこらした。
 ダグの矢は的のぎりぎりの所に刺さっていた。
「上位入賞は無理みたいね」
 リーが、心底残念そうに言った。
 アイルは、うなずくしかなかった。せめて、あと二人、的を外してくれれば。
 つづく六人は、次々と的を射た。さすがに、決勝に残るだけのことはある。
 しかし、十一番目の弓引きの矢は、的にぶつかって下に落ちた。
 あと一人だ。祈るように考えながら、アイルは複雑な気持ちになった。他の弓引きの不運を待っているわけだから。
 カズの前の弓引きは、小柄な初老の男だったが、弓をかまえると背筋がぴんと伸び、射形もみごとだった。
 矢は銀の星のほぼ中央に命中した。観客の歓声は一番大きく、河原をゆるがした。
 残るのは、カズだけだ。なかなか鳴りやまない拍手に、まるで自分のもののように答えて手を振って、的に向かって肩をいからせた。
 今に見ていろ、といったふてぶてしい雰囲気だった。
 カズは矢をつがえ、弓をななめに持ち上げた。
 その時、筈が弦から外れ、矢はぽろりと地面に落ちた。
 観客がどよめく間もなかった。地面に落ちたはずの矢は、矢尻をもたげて、生きているもののように的に向かった。空を切る音をたてて、的の真ん中に突き刺さった。
 おそらく見ている者全員が、ぽかんと口を開けたに違いなかった。
 一呼吸後、観客の悲鳴や怒号が飛びかった。
 リーは突然両手を打ち鳴らし、けらけらと笑いだした。
「なるほどね、これでわかったわ」
「どういうこと?」
「あいつの弓の腕前は、本物じゃなかったってこと。矢にまじないをかけていたのよ。どんなことをしても、矢は的の真ん中を射抜くことになっていた」
「地面に落ちても」
「そういうこと。さっきの小瓶があやしいわね。矢につける、まじな呪い薬よ、きっと」
「ああ、あれ」
 アイルは、ガズが落とした小瓶を思い出した。彼は、けっそう変えてアイルから取り返したっけ。
「ナズルには、魔法使い並の力を持つまじない師がいるって聞いたことがあるわ。大金かけて手に入れたんでしょうね。賞金で充分もとは取れるはずだもの」
 興奮さめやらない観客が、持っていた物を次々と河原に投げつけていた。果物や菓子、紙くずや土くれが乱れ飛び、役人たちが止めに入った。
 その場からこそこそと逃げ出そうとしたカズを、河原近くにいた観客が取り押さえて役人に引き渡した。
 カズは役人に引っ立てられて行き、観客たちのさわぎもようやく収まった。
「ばかなやつ」
 リーが、軽蔑ともあわれみともとれる口調でつぶやいた。
「二三年の労役は間違いなしね。さぞかし、やせることでしょう」
 最後の混乱はあったものの、ブルクの弓術大会は終わりをつげた。
 入賞者には、栄誉と賞金が贈られた。
 なんとか十位になったダグは、銀貨一枚を手に入れた。
「よかったわね、これで宿賃が払えるじゃない」
「なんとかね。運がよかった」
 肩をすくめたダグは、さほど嬉しそうでもなかった。
「運も実力のうちですってよ」
 リーは明るく笑い飛ばし、こんどこそ二人に別れを告げた。公式戦に出るために、故郷に帰ると言うことだった。
 アイルは、名残惜しい気持ちで彼女に手を振った。
 彼女が公式戦に勝ち残って、王の射手祭に出場できることを祈りながら。
 待ちかまえていた宿屋の主人は、昨夜の宿賃の他に貸した矢の代金まで請求した。
「あと銀粒一つで、ゆずってやってもかまわないがね」
「結構だよ」
 二人はやっとのことで荷物を取り戻し、宿屋を後にした。
 もう日暮れ近くだったが、この街に留まるよりどこかで野宿した方がましな気分だった。
「やれやれ」
 夕日を見上げながら、ダグがため息をついた。
「さんざんな目にあった」
「うん」
 アイルはうなずいた。
「むだ足をふませちゃったね、ダグさん」
「無駄じゃなかったさ」
 ダグはアイルの肩をたたいた。  
「いいことを聞いただろ。ナズルには、魔法使い並のまじない師がいる」
「でも、報酬は高いらしいよ」
「何とかするさ。どうせナズルは砂漠に行く途中にあるんだ。寄ってみる価値はある」
「ごめんね」
 アイルは唇をかんだ。
「もう少しで思い出せそうだったんだ。もう少しで……」
「だいじょうぶ」
 ダグが、力強く言った。
「きっと思い出せる。それまでの辛抱だよ」

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

愚かな父にサヨナラと《完結》

アーエル
ファンタジー
「フラン。お前の方が年上なのだから、妹のために我慢しなさい」 父の言葉は最後の一線を越えてしまった。 その言葉が、続く悲劇を招く結果となったけど・・・ 悲劇の本当の始まりはもっと昔から。 言えることはただひとつ 私の幸せに貴方はいりません ✈他社にも同時公開

【完結】亡き冷遇妃がのこしたもの〜王の後悔〜

なか
恋愛
「セレリナ妃が、自死されました」  静寂をかき消す、衛兵の報告。  瞬間、周囲の視線がたった一人に注がれる。  コリウス王国の国王––レオン・コリウス。  彼は正妃セレリナの死を告げる報告に、ただ一言呟く。 「構わん」……と。  周囲から突き刺さるような睨みを受けても、彼は気にしない。  これは……彼が望んだ結末であるからだ。  しかし彼は知らない。  この日を境にセレリナが残したものを知り、後悔に苛まれていくことを。  王妃セレリナ。  彼女に消えて欲しかったのは……  いったい誰か?    ◇◇◇  序盤はシリアスです。  楽しんでいただけるとうれしいです。    

【完結】私だけが知らない

綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。 優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。 やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。 記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。 【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ 2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位 2023/12/19……番外編完結 2023/12/11……本編完結(番外編、12/12) 2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位 2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」 2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位 2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位 2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位 2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位 2023/08/14……連載開始

別に構いませんよ、離縁するので。

杉本凪咲
恋愛
父親から告げられたのは「出ていけ」という冷たい言葉。 他の家族もそれに賛同しているようで、どうやら私は捨てられてしまうらしい。 まあいいですけどね。私はこっそりと笑顔を浮かべた。

黒いモヤの見える【癒し手】

ロシキ
ファンタジー
平民のアリアは、いつからか黒いモヤモヤが見えるようになっていた。 その黒いモヤモヤは疲れていたり、怪我をしていたら出ているものだと理解していた。 しかし、黒いモヤモヤが初めて人以外から出ているのを見て、無意識に動いてしまったせいで、アリアは辺境伯家の長男であるエクスに魔法使いとして才能を見出された。 ※ 別視点(〜)=主人公以外の視点で進行 20話までは1日2話(13時50分と19時30分)投稿、21話以降は1日1話(19時30分)投稿

蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる

フルーツパフェ
大衆娯楽
 転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。  一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。  そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!  寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。 ――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです  そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。  大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。  相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。      

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

【完結】辺境伯令嬢は新聞で婚約破棄を知った

五色ひわ
恋愛
 辺境伯令嬢としてのんびり領地で暮らしてきたアメリアは、カフェで見せられた新聞で自身の婚約破棄を知った。真実を確かめるため、アメリアは3年ぶりに王都へと旅立った。 ※本編34話、番外編『皇太子殿下の苦悩』31+1話、おまけ4話

処理中です...