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「いい知らせを待っているよ。がんばりな」
そう言ってアイルたちを送り出した宿屋の主人は、二人がそのまま逃げ出さない用心に、荷物を置いていかせることを忘れなかった。
正午までは、あといくらも時間がなかった。
大会参加の受付が終わってしまわないうちにと、二人は足を早めた。
会場は町はずれの広い河原だ。河原を見下ろす土手の斜面いっぱいにござが敷かれ、早くから場所取りをしていたらしい見物人たちが座っていた。
斜面の上では、焼き菓子や軽食を売る露店も並び、さまざまなにおいがたちこめている。はしゃいでかけまわる子供たちの笑い声、人々のさんざめき。まさに、祭りの雰囲気だ。
河原に設けられた大きな桟敷席では、着飾った町長や町の有力者らしい人々が並び、談笑していた。
桟敷とちょうど向き合う土手の下に、弓引きたちが集まっていた。百人は下らないだろう。みな弓を手にして立っている姿は、壮観だった。
「間もなく受付終了」
係の役人が叫んでいる時、ダグはようやく土手をかけ下りた。出身地と名前を紙に書き、番号札を貰うと手続きは終わりだった。
「なによ、嘘つきね」
大きな男たちをかきわけながら、リーが近づいてきた。
「あなた、やっぱり引くんじゃない」
「いや、ちょっと理由ありでね」
ダグは口ごもり、あいまいに頭をかいた。
「まあいいわ、お手なみ拝見といきましょう。何番?」
「百と三番だ」
「全部で百三人いるってわけね。わたしは八番目よ。もう準備しなくちゃ」
河原の右手に、大きな幕が張られていた。
その前に、青い円盤がひとつ用意されている。矢一本ほどの直径で、中央に小さく銀の星が描かれていた。
今いる場所からも遠いのに、弓引きたちは係の誘導に従って、もっと離れた場所に向かった。アイルは、目を丸くした。
「あれが的だよね。こんな遠い所から?」
ダグも的を見はるかし、こくりとうなずいた。
「三十間離れている。ザンが砂竜を射たのと同じ距離だ」
「すごく小さく見える」
「王の射手祭の的はもっと小さいんだよ、アイル。竜の星的と呼ばれていてね、あの銀の星の部分しかない。砂竜の急所はそれだけ小さなものだったから」
「へえ」
アイルは、思わずため息をついた。
「あれを、何回射るの」
「一度だけさ。決勝に残れればもう一度引けるが、それもはじめの矢が的に入ればの話でね。外れたらそれでお終いだ。だから、矢は一本あればいい」
「出場しない者は、土手に上っているように」
係がアイルに声をかけた。
アイルは、思わずダグの手を握りしめた。ダグは驚いたような顔をしたが、すぐにほほえみ、安心させるようにアイルの頭を撫でてくれた。
「あとは運まかせだな。祈っててくれ」
アイルは、弓引きたちがよく見渡せる土手の一番高い場所に座り込んだ。
的に向き合って、低い柵が設えてあった。早くも初めの五人が柵の前に並び、矢をつがえはじめた。五人づつ、順番に矢を射ていくらしい。
その中に、ナズルのカズの姿もあった。
悠然と体をそりかえし、弓をななめに構えている。顔には不敵な笑みが浮かんでいた。
リーが怒るのも無理はないと思う。素人目で見ても、品のない姿だ。
五人の矢がいっせいに放たれた。
ばしっと胸のすくような音がして、一本の矢が的の星に命中した。他の四本の矢は、幕にぶつかり、河原に落ちた。
観客のどよめきと拍手が起こった。係が命中した矢を抜いて、並んで待つ五人の所に持ってきた。一同に見せると、カズは当然だというばかりに矢をつかみ、高々とかかげて見せた。再び拍手。
一番手が終わると、次はリーたちの番だった。
リーは四人の男を従えるように、ちょうど中央に立った。一度目を閉じ、息を吸い込んで、ゆっくりと弓を打ち起こした。
静まり返った河原に、きりきりと引き絞られる五本の弦の音がはっきりと聞こえる。
息づまる瞬間、弦が次々にひるがえった。
河原がため息につつまれた。五人の矢は、どれも的を外していたのだ。
アイルも、がくりと肩を落とした。どの矢も、的すれすれの所を飛んでいた。あとひとまわり的が大きければ、絶対入ったはずなのに。
リーは的をまぶしげに眺めやり、くるりと身をひるがえして射場を後にした。次の射手が並びはじめた。
自分の矢を返してもらった後、リーはアイルの方に歩いて来た。
アイルは声をかけた。
「残念だったね、リーさん」
リーは肩をすくめ、アイルの隣に座り込んだ。
「力みすぎたわ。前のやつのを見たら、ついね。まだまだ平常心が足りないのよ、わたしは」
「でも、一度だけだなんて。あんなに離れた的を一回しか狙えないなんて、きびしすぎるよ」
「条件はみな同じ」
リーは言った。
「わたしも、あなたの連れもね。だから全身全霊をかけて、弓を引かなくちゃならない。後悔しないように」
リーはくすりと笑った。
「もっとも、後悔だらけだけどね、わたしは」
「でも、前の大会では二位だったんでしょ」
「的に入っただけ。決していい弓ではなかった。次はいい弓を引こう、いい弓を引こうと思うんだけどなかなかうまくいかなくてね」
アイルは首をかしげた。
「いい弓って、どんなもの?」
「うーん、そうねえ」
リーは、鼻先にしわをよせた。
「自分の体と弓と心がひとつになるの。弓は自分に向かって引くものだって、わたしのお師匠さまがよく言っていたっけ。的は自分の心と思えってね。そして、心は無我。大事なのは、自分の心を受け入れて、無に解き放つ瞬間」
リーの最後の言葉は、ほとんどつぶやきのようだった。
「よくわからないけど」
リーは、声を出して笑った。
「正直、わたしだってわからないわよ。だけど、少しでも迷いがあれば、矢がそれてしまうことは確かね」
「奥が深いんだね」
「そうよ。だから、一度やったら、やめられないの」
アイルは、ダグの方を見やった。
弓引きたちの一団の中で、ダグの赤毛はよく目立った。じっとうつむた彼は、いくらか緊張しているようにも見えた。
「まったく、あなたの連れにはだまされたわ」
リーが言った。
「ダグさんは、だましたわけじゃないんだよ」
アイルはあわてて首をふり、夕べからのことをリーにうち明けた。賞金が手に入らなければ、部屋代も払えないことを。
「それはまあ、大変だったわね」
リーは、目を丸くした。
「でも、出場する気になったのは、少しは自信があるってことでしょ」
「かもしれないけど……」
リーは、アイルの肩をぽんと叩いた。
「彼の出番までは、まだ時間があるわ。お菓子ぐらいなら、ごちそうしてあげるわよ」
そう言ってアイルたちを送り出した宿屋の主人は、二人がそのまま逃げ出さない用心に、荷物を置いていかせることを忘れなかった。
正午までは、あといくらも時間がなかった。
大会参加の受付が終わってしまわないうちにと、二人は足を早めた。
会場は町はずれの広い河原だ。河原を見下ろす土手の斜面いっぱいにござが敷かれ、早くから場所取りをしていたらしい見物人たちが座っていた。
斜面の上では、焼き菓子や軽食を売る露店も並び、さまざまなにおいがたちこめている。はしゃいでかけまわる子供たちの笑い声、人々のさんざめき。まさに、祭りの雰囲気だ。
河原に設けられた大きな桟敷席では、着飾った町長や町の有力者らしい人々が並び、談笑していた。
桟敷とちょうど向き合う土手の下に、弓引きたちが集まっていた。百人は下らないだろう。みな弓を手にして立っている姿は、壮観だった。
「間もなく受付終了」
係の役人が叫んでいる時、ダグはようやく土手をかけ下りた。出身地と名前を紙に書き、番号札を貰うと手続きは終わりだった。
「なによ、嘘つきね」
大きな男たちをかきわけながら、リーが近づいてきた。
「あなた、やっぱり引くんじゃない」
「いや、ちょっと理由ありでね」
ダグは口ごもり、あいまいに頭をかいた。
「まあいいわ、お手なみ拝見といきましょう。何番?」
「百と三番だ」
「全部で百三人いるってわけね。わたしは八番目よ。もう準備しなくちゃ」
河原の右手に、大きな幕が張られていた。
その前に、青い円盤がひとつ用意されている。矢一本ほどの直径で、中央に小さく銀の星が描かれていた。
今いる場所からも遠いのに、弓引きたちは係の誘導に従って、もっと離れた場所に向かった。アイルは、目を丸くした。
「あれが的だよね。こんな遠い所から?」
ダグも的を見はるかし、こくりとうなずいた。
「三十間離れている。ザンが砂竜を射たのと同じ距離だ」
「すごく小さく見える」
「王の射手祭の的はもっと小さいんだよ、アイル。竜の星的と呼ばれていてね、あの銀の星の部分しかない。砂竜の急所はそれだけ小さなものだったから」
「へえ」
アイルは、思わずため息をついた。
「あれを、何回射るの」
「一度だけさ。決勝に残れればもう一度引けるが、それもはじめの矢が的に入ればの話でね。外れたらそれでお終いだ。だから、矢は一本あればいい」
「出場しない者は、土手に上っているように」
係がアイルに声をかけた。
アイルは、思わずダグの手を握りしめた。ダグは驚いたような顔をしたが、すぐにほほえみ、安心させるようにアイルの頭を撫でてくれた。
「あとは運まかせだな。祈っててくれ」
アイルは、弓引きたちがよく見渡せる土手の一番高い場所に座り込んだ。
的に向き合って、低い柵が設えてあった。早くも初めの五人が柵の前に並び、矢をつがえはじめた。五人づつ、順番に矢を射ていくらしい。
その中に、ナズルのカズの姿もあった。
悠然と体をそりかえし、弓をななめに構えている。顔には不敵な笑みが浮かんでいた。
リーが怒るのも無理はないと思う。素人目で見ても、品のない姿だ。
五人の矢がいっせいに放たれた。
ばしっと胸のすくような音がして、一本の矢が的の星に命中した。他の四本の矢は、幕にぶつかり、河原に落ちた。
観客のどよめきと拍手が起こった。係が命中した矢を抜いて、並んで待つ五人の所に持ってきた。一同に見せると、カズは当然だというばかりに矢をつかみ、高々とかかげて見せた。再び拍手。
一番手が終わると、次はリーたちの番だった。
リーは四人の男を従えるように、ちょうど中央に立った。一度目を閉じ、息を吸い込んで、ゆっくりと弓を打ち起こした。
静まり返った河原に、きりきりと引き絞られる五本の弦の音がはっきりと聞こえる。
息づまる瞬間、弦が次々にひるがえった。
河原がため息につつまれた。五人の矢は、どれも的を外していたのだ。
アイルも、がくりと肩を落とした。どの矢も、的すれすれの所を飛んでいた。あとひとまわり的が大きければ、絶対入ったはずなのに。
リーは的をまぶしげに眺めやり、くるりと身をひるがえして射場を後にした。次の射手が並びはじめた。
自分の矢を返してもらった後、リーはアイルの方に歩いて来た。
アイルは声をかけた。
「残念だったね、リーさん」
リーは肩をすくめ、アイルの隣に座り込んだ。
「力みすぎたわ。前のやつのを見たら、ついね。まだまだ平常心が足りないのよ、わたしは」
「でも、一度だけだなんて。あんなに離れた的を一回しか狙えないなんて、きびしすぎるよ」
「条件はみな同じ」
リーは言った。
「わたしも、あなたの連れもね。だから全身全霊をかけて、弓を引かなくちゃならない。後悔しないように」
リーはくすりと笑った。
「もっとも、後悔だらけだけどね、わたしは」
「でも、前の大会では二位だったんでしょ」
「的に入っただけ。決していい弓ではなかった。次はいい弓を引こう、いい弓を引こうと思うんだけどなかなかうまくいかなくてね」
アイルは首をかしげた。
「いい弓って、どんなもの?」
「うーん、そうねえ」
リーは、鼻先にしわをよせた。
「自分の体と弓と心がひとつになるの。弓は自分に向かって引くものだって、わたしのお師匠さまがよく言っていたっけ。的は自分の心と思えってね。そして、心は無我。大事なのは、自分の心を受け入れて、無に解き放つ瞬間」
リーの最後の言葉は、ほとんどつぶやきのようだった。
「よくわからないけど」
リーは、声を出して笑った。
「正直、わたしだってわからないわよ。だけど、少しでも迷いがあれば、矢がそれてしまうことは確かね」
「奥が深いんだね」
「そうよ。だから、一度やったら、やめられないの」
アイルは、ダグの方を見やった。
弓引きたちの一団の中で、ダグの赤毛はよく目立った。じっとうつむた彼は、いくらか緊張しているようにも見えた。
「まったく、あなたの連れにはだまされたわ」
リーが言った。
「ダグさんは、だましたわけじゃないんだよ」
アイルはあわてて首をふり、夕べからのことをリーにうち明けた。賞金が手に入らなければ、部屋代も払えないことを。
「それはまあ、大変だったわね」
リーは、目を丸くした。
「でも、出場する気になったのは、少しは自信があるってことでしょ」
「かもしれないけど……」
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