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呼んでも叩いても、水をかけても起きなかったエドが目を覚ましたのは、丸一日経った後だった。
船は順調に南へ、シャガルに向けて進んでいるようだ。船員を捕まえて星の読み方を教わったから、騙されていなければ多分。
目覚めたエドには聞きたいことが沢山あったが、その時にはわたしの方がそれどころではなくなっていた。
甲板で桶を抱えて項垂れていたから。
海が凪いでいたのは不幸中の幸いだった。これ以上揺れたら、多分わたしは二度と陸を見ることなく死んでいたかもしれない。酷い船酔いの合間、サヤがハーブティーを淹れてくれて、わずかに意識が戻る。しばらくするとそのハーブティーを桶に返し、桶から海へ返すという水の輪廻転生。海の水が尽きるまでこの転生は繰り返す。見渡す限りのたっぷりの水は、数限りない運命の……とにかく気持ちが悪くてくだらない思考の輪廻すらまとめられない。
「お嬢様?」
爽やかに目覚めたらしいエドが、桶を抱えたわたしを見下ろす。
「いっそ殺して」
「お嬢様がほんとにそれを望むなら、叶えてもいいけど」
「お願い」
カサカサに乾いた唇からは吐息のような単語しか出ない。この頃には本気で海に還りたくなっていた。
「でもその前に、お嬢様にはしなければならないことがあるんだ」
エドが手を翳すと、潮の匂いのしない芳しい風が吹いた。泥の中にいるようだった意識が、ふっと戻りかける。
「どう?」
「風……風を頂戴」
「まさかお嬢様が船に弱かったとはね」
楽しそうに言いながら、エドがいい香りの風魔法を纏わせてくれる。しばらく芳香を浴びていると、酔いが楽になってきた。サヤがすっとするハーブティーを淹れてくれる。日中ずっと甲板で干涸びていた喉を潤して、なんとか人としての尊厳を取り戻した。
「ありがとう。本当に生き返ったようよ」
「まだ顔色は悪いけどね。あんなに綺麗にお洒落したのに、もうすっかり別人みたいに萎れちゃって」
ため息をついて、エドがわたしのそばにしゃがみ込んだ。ちなみにわたしは椅子に座っていることすらできなくて、甲板に直に座り込んでいる。
「お洒落なんかしても結局何にもならなかったわ」
着飾って何を得たかと問えば、わたしを消費するための女として見る、男の視線が気持ち悪いと知見を得たくらいだ。知らないですめばその方が良かった。
「ため息が出るほど綺麗だったのに。勿体ないことを言うね」
「アーシアお嬢様は誰よりも美しかったです!」
エドとサヤで褒めてくれるが、今のわたしからはさっき飲んだハーブティーくらいしか出てこない。
「で、そろそろ話を聞いてもいい? シャガルに何があったの?」
「サヤに少しは聞いた?」
わたしとサヤが頷く。自国の王軍がシャガルに攻め込もうとしていることは聞いたが、それが何故なのか、そして何故エドがそれを知っているのか、情報の裏付けになる部分がなにもない。
「どこから話せばいいかな。王軍は今シャガルに向かっているけど、陸路よりこの船の方が断然早い。焦らなくていいから、まずそこは安心してほしい」
「何故今更王軍がシャガルに?」
「僕は風魔法を少々使える。でも普通の人間に、空を飛ぶような魔法は使えない」
「それと何の関係があるの」
「これはずっと、長い間両国でシャガル地方をめぐって争っていた原因でもあるんだけど、どうして彼の地を取り合っているのかを皆知らないんだ」
言われてみればそうだ。
生まれる前からシャガルは戦場だった。だからわたしたちは国境を巡って争っていると思っていたし、そこがなぜシャガルなのかなど考えもしなかった。
「シャガルの土地の価値を本当に知っているのは、王族と当代の辺境伯だけってことになってる。
シャガルには、魔法を増幅させる資源があるんだよ」
船は順調に南へ、シャガルに向けて進んでいるようだ。船員を捕まえて星の読み方を教わったから、騙されていなければ多分。
目覚めたエドには聞きたいことが沢山あったが、その時にはわたしの方がそれどころではなくなっていた。
甲板で桶を抱えて項垂れていたから。
海が凪いでいたのは不幸中の幸いだった。これ以上揺れたら、多分わたしは二度と陸を見ることなく死んでいたかもしれない。酷い船酔いの合間、サヤがハーブティーを淹れてくれて、わずかに意識が戻る。しばらくするとそのハーブティーを桶に返し、桶から海へ返すという水の輪廻転生。海の水が尽きるまでこの転生は繰り返す。見渡す限りのたっぷりの水は、数限りない運命の……とにかく気持ちが悪くてくだらない思考の輪廻すらまとめられない。
「お嬢様?」
爽やかに目覚めたらしいエドが、桶を抱えたわたしを見下ろす。
「いっそ殺して」
「お嬢様がほんとにそれを望むなら、叶えてもいいけど」
「お願い」
カサカサに乾いた唇からは吐息のような単語しか出ない。この頃には本気で海に還りたくなっていた。
「でもその前に、お嬢様にはしなければならないことがあるんだ」
エドが手を翳すと、潮の匂いのしない芳しい風が吹いた。泥の中にいるようだった意識が、ふっと戻りかける。
「どう?」
「風……風を頂戴」
「まさかお嬢様が船に弱かったとはね」
楽しそうに言いながら、エドがいい香りの風魔法を纏わせてくれる。しばらく芳香を浴びていると、酔いが楽になってきた。サヤがすっとするハーブティーを淹れてくれる。日中ずっと甲板で干涸びていた喉を潤して、なんとか人としての尊厳を取り戻した。
「ありがとう。本当に生き返ったようよ」
「まだ顔色は悪いけどね。あんなに綺麗にお洒落したのに、もうすっかり別人みたいに萎れちゃって」
ため息をついて、エドがわたしのそばにしゃがみ込んだ。ちなみにわたしは椅子に座っていることすらできなくて、甲板に直に座り込んでいる。
「お洒落なんかしても結局何にもならなかったわ」
着飾って何を得たかと問えば、わたしを消費するための女として見る、男の視線が気持ち悪いと知見を得たくらいだ。知らないですめばその方が良かった。
「ため息が出るほど綺麗だったのに。勿体ないことを言うね」
「アーシアお嬢様は誰よりも美しかったです!」
エドとサヤで褒めてくれるが、今のわたしからはさっき飲んだハーブティーくらいしか出てこない。
「で、そろそろ話を聞いてもいい? シャガルに何があったの?」
「サヤに少しは聞いた?」
わたしとサヤが頷く。自国の王軍がシャガルに攻め込もうとしていることは聞いたが、それが何故なのか、そして何故エドがそれを知っているのか、情報の裏付けになる部分がなにもない。
「どこから話せばいいかな。王軍は今シャガルに向かっているけど、陸路よりこの船の方が断然早い。焦らなくていいから、まずそこは安心してほしい」
「何故今更王軍がシャガルに?」
「僕は風魔法を少々使える。でも普通の人間に、空を飛ぶような魔法は使えない」
「それと何の関係があるの」
「これはずっと、長い間両国でシャガル地方をめぐって争っていた原因でもあるんだけど、どうして彼の地を取り合っているのかを皆知らないんだ」
言われてみればそうだ。
生まれる前からシャガルは戦場だった。だからわたしたちは国境を巡って争っていると思っていたし、そこがなぜシャガルなのかなど考えもしなかった。
「シャガルの土地の価値を本当に知っているのは、王族と当代の辺境伯だけってことになってる。
シャガルには、魔法を増幅させる資源があるんだよ」
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