令嬢は故郷を愛さない

そうみ

文字の大きさ
上 下
20 / 31

19

しおりを挟む
 打たれる痛みのかわりにふわりと風が舞い、気がつくと別の誰かの腕の中にいた。
 
 見上げなければ顔がわからない。今の視界に入るのは、美しい青で染め上げられた礼服と見事な刺繍、胸には幾つもの勲章と上質なタイを留める大きな宝石。

「あの……?」

 見上げてみると、さっき王子とのダンス中に見かけて目を奪われたその人だった。

 濃いはちみつ色の髪、少し陽に焼けた肌色に、太陽を溶かしたような金色の瞳。こんなところにいるはずがない、エドにとてもよく似ている。

「間に合ってよかった。いくら治療してもらえても、痛いものは痛いからね」

「ありがとう、ございます……?」

 わからないことだらけだ。この人が誰かもわからないし、なぜ助けてくれたのかも、それから何より、魔法が封じられているはずの王宮で風魔法を使えたことも。

「お嬢様、さっき話を全然聞いていなかったね?」

 そう呼ばれてきやっと気がついた。本当にエドだった。わたしが混乱している間に、王がなにやら話していたのは知っているが、エドの話が出たことも気がついていなかった。

「どうしてエドがここに?」

「そんなことはあとで」

 突然消えたわたしを、クライブがあたりを見渡して探しているのが、踊る人混み越しに見えた。かなりの距離を風魔法で飛ばしたのだろうか。今ここは広いダンスホールの玉座と遠い側、下位貴族たちが溜まっている場所だ。上位貴族より数が多いこちら側に紛れれば目立ちにくい。

「しっかりつかまって。ここを出るよ」

「待って。少しくらい説明して」

「シャガルが危ない」

 エドはそう言うとわたしを持ち上げて、ダンスの続きようにターンしながら風に乗った。

 浮遊感に目を閉じて開くと、王宮の上に居た。空中に浮いている。

「えっ、どういうことこれ!」

「喋ると舌を噛むよ。このまま船まで飛ぶから」
 
「ダメ! サヤとスレインが待っているの!」

「サヤは先に船にいる」

 スレインは?

 そう聞きたかったけれど、これ以上はエドに二本指を唇に当てられて口を開かせてくれなかった。

 ごうっと風の音が耳の横で聞こえるが、風圧は感じない。ドレスの裾がわずかに揺れるだけ。

 あっという間に王宮が遠くなる。

 警備兵はたくさんいるのに、みんな頭の上にはあまり注意が向かないらしい。風魔法で空を飛ぶなんてわたしも見たことがなかったから、当然だろう。

 王都の形に街あかりが見えて、その外側は暗い闇。人のいない夜の森は見慣れたシャガルの森と同じ色だ。

 遠く微かに揺れる火のような何かが見えた。王都近くの集落だろうか。

 頭の上に、星が近い。

「きれい……」

 場にそぐわない言葉をうっかり漏らすくらい、真っ暗な夜に浮かんで見る星空は美しかった。夜の海に浮かぶ深海イカはこんな気分だろうか。

「楽しんで貰えたらよかった。少し飛ばすよ」

 風を切る音が大きくなっても風は感じないまま、景色だけが飛ぶように過ぎてゆく。王都からかなり離れているのはわかる。

 人の魔力がこんなに強い力を放出し続けられるものだろうか。エドが風魔法を使えることも知らなかったけれど、こんな高出力の魔法が使えるなら、もっと名を馳せた魔法使いの可能性がある。そんな高位の魔法使いが、辺境に潜入したりするのだろうか。

 わたしにとってエドはヤスールの傭兵ギルド員で、シャガルに入り込んだ内偵者、スパイだ。

 わたし自身が身分を隠して傭兵業をしていることもあって、エドについて深く追求していない。わたしの知らないエドの顔があることはなんとなくわかってはいるけれど。わたしの力はそんなにない。エドについて調べる伝手さえないのだ。

 高度が下がった。闇の中に小さな火が円を書いている。エドはそこを目掛けて着地した。

 エドは猫のように軽い着地をして、わたしを抱き下ろす。

「ようこそお嬢様。僕の船へ。とりあえず説明は後にして、少しだけ休ませて……」

 そう言ってどさりと座り込み、魂が抜けたように眠ってしまった。

「エド? ちょっと、僕の船って何なの」

 どこかもわからないところにいきなり放り出されて困ったわたしは、エドを起こそうと揺すってみるが、本当に魂が抜けたのかなんの反応もない。もしかしてわたしは誘拐されたのかと、今更思いついたところで、どすんとぶつかってきたものがあった。

「アーシアお嬢様!」

 サヤが抱きついてきたのだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

もう我慢する気はないので出て行きます〜陰から私が国を支えていた事実を彼らは知らない〜

おしゃれスナイプ
恋愛
公爵令嬢として生を受けたセフィリア・アインベルクは己の前世の記憶を持った稀有な存在であった。 それは『精霊姫』と呼ばれた前世の記憶。 精霊と意思疎通の出来る唯一の存在であったが故に、かつての私は精霊の力を借りて国を加護する役目を負っていた。 だからこそ、人知れず私は精霊の力を借りて今生も『精霊姫』としての役目を果たしていたのだが————

【完結】その令嬢は、鬼神と呼ばれて微笑んだ

やまぐちこはる
恋愛
マリエンザ・ムリエルガ辺境伯令嬢は王命により結ばれた婚約者ツィータードに恋い焦がれるあまり、言いたいこともろくに言えず、おどおどと顔色を伺ってしまうほど。ある時、愛してやまない婚約者が別の令嬢といる姿を見、ふたりに親密な噂があると耳にしたことで深く傷ついて領地へと逃げ戻る。しかし家族と、幼少から彼女を見守る使用人たちに迎えられ、心が落ち着いてくると本来の自分らしさを取り戻していった。それは自信に溢れ、辺境伯家ならではの強さを持つ、令嬢としては規格外の姿。 素顔のマリエンザを見たツィータードとは関係が変わっていくが、ツィータードに想いを寄せ、侯爵夫人を夢みる男爵令嬢が稚拙な策を企てる。 ※2022/3/20マリエンザの父の名を混同しており、訂正致しました。 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞ 本編は37話で完結、毎日8時更新です。 お楽しみいただけたらうれしいです。 よろしくお願いいたします。

見た目を変えろと命令したのに婚約破棄ですか。それなら元に戻るだけです

天宮有
恋愛
私テリナは、婚約者のアシェルから見た目を変えろと命令されて魔法薬を飲まされる。 魔法学園に入学する前の出来事で、他の男が私と関わることを阻止したかったようだ。 薬の効力によって、私は魔法の実力はあるけど醜い令嬢と呼ばれるようになってしまう。 それでも構わないと考えていたのに、アシェルは醜いから婚約破棄すると言い出した。

完結 若い愛人がいる?それは良かったです。

音爽(ネソウ)
恋愛
妻が余命宣告を受けた、愛人を抱える夫は小躍りするのだが……

婚約者様は連れ子の妹に夢中なようなので別れる事にした。〜連れ子とは知らなかったと言い訳をされましても〜

おしゃれスナイプ
恋愛
事あるごとに婚約者の実家に金の無心をしてくる碌でなし。それが、侯爵令嬢アルカ・ハヴェルの婚約者であるドルク・メルアを正しくあらわす言葉であった。 落ち目の危機に瀕しているメルア侯爵家であったが、これまでの付き合いから見捨てられなかった父が縁談を纏めてしまったのが全ての始まり。 しかし、ある日転機が訪れる。 アルカの父の再婚相手の連れ子、妹にあたるユーミスがドルクの婚約者の地位をアルカから奪おうと試みたのだ。 そして、ドルクもアルカではなく、過剰に持ち上げ、常にご機嫌を取るユーミスを気に入ってゆき、果てにはアルカへ婚約の破談を突きつけてしまう事になる。

私、聖女じゃありませんから

まつおいおり
恋愛
私、聖女クリス・クロスは妹に婚約者を寝取られて婚約破棄される…………しかし、隣国の王子様を助けて悠々自適に暮らすのでいまさら戻って来いって言われても戻る訳ないですよね?、後は自分達でなんとかしてください かなり短く締めました……話的にはもうすでに完結と言っても良い作品ですが、もしかしたらこの後元婚約者のざまぁ視点の話を投稿するかもです

【完結】私を捨てて駆け落ちしたあなたには、こちらからさようならを言いましょう。

やまぐちこはる
恋愛
パルティア・エンダライン侯爵令嬢はある日珍しく婿入り予定の婚約者から届いた手紙を読んで、彼が駆け落ちしたことを知った。相手は同じく侯爵令嬢で、そちらにも王家の血筋の婿入りする婚約者がいたが、貴族派閥を保つ政略結婚だったためにどうやっても婚約を解消できず、愛の逃避行と洒落こんだらしい。 落ち込むパルティアは、しばらく社交から離れたい療養地としても有名な別荘地へ避暑に向かう。静かな湖畔で傷を癒やしたいと、高級ホテルでひっそり寛いでいると同じ頃から同じように、人目を避けてぼんやり湖を眺める美しい青年に気がついた。 毎日涼しい湖畔で本を読みながら、チラリチラリと彼を盗み見ることが日課となったパルティアだが。 様子がおかしい青年に気づく。 ふらりと湖に近づくと、ポチャっと小さな水音を立てて入水し始めたのだ。 ドレスの裾をたくしあげ、パルティアも湖に駆け込んで彼を引き留めた。 ∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞∞ 最終話まで予約投稿済です。 次はどんな話を書こうかなと思ったとき、駆け落ちした知人を思い出し、そんな話を書くことに致しました。 ある日突然、紙1枚で消えるのは本当にびっくりするのでやめてくださいという思いを込めて。 楽しんで頂けましたら、きっと彼らも喜ぶことと思います。

「これは私ですが、そちらは私ではありません」

イチイ アキラ
恋愛
試験結果が貼り出された朝。 その掲示を見に来ていたマリアは、王子のハロルドに指をつきつけられ、告げられた。 「婚約破棄だ!」 と。 その理由は、マリアが試験に不正をしているからだという。 マリアの返事は…。 前世がある意味とんでもないひとりの女性のお話。

処理中です...