令嬢は故郷を愛さない

そうみ

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 サヤは立ち上がって素早くカトラリーをまとめはじめ、スレインは隣の部屋に移動する。わたしはクローゼットの奥から街歩き用の衣装一式を出して身につける。髪をまとめてスカーフで覆い、顔の腫れも目だけを出して布を巻いて隠した。フード付きのローブの前ボタンを留め終わる頃には、サヤもスレインも同じ格好で支度を終えていた。相変わらず素早い。

 誰かに見つかると面倒なので、テラスから庭に出る。庭の隅の木に登ってから塀に飛び移ると、つる草に似せて仕込んである縄梯子につかまることができ、簡単に邸の塀を越えられる。こんな仕掛けにも気づかない軍人様たちは、本当に慢心しきっている。ちなみに執事も邸の護衛たちもこのことは知っているが、報告の義務がないので言っていない。彼らは使用人ごときの忠言など必要ないものと思っているのだから。

 宵闇に紛れて城下へ向かう。シャガル領唯一の街は、大きな砦と一体化している。領主邸と自治軍舎が山の斜面を背にして扇形の中心にあり、高い防壁で囲まれている。邸から街を見下ろすたびに街灯が減っていっているのは気のせいではない。景気が悪いのだ。

 街中は中心部ほど栄え、端に向かうほど建屋も住人の姿も小さくみすぼらしくなってゆく。最近は特にその落差が激しい。
 中心地の大通りも、開けている店が減ってきている。閉店時間を早めたのか、廃業したのかは区別がつかないが、灯りが減ると治安は悪くなる。

 大通りから二筋ほどずれると、更に灯りが減ってきた。通りに一軒、灯りがついて営業している食事処がある。扉を開けると怒声が飛び込んできた。

「俺たち辺境軍が国境を守っているからこそ、おまえたちはのんびり店をやっていられるんだ! 本来ならエールの一杯でもどうぞと差し出すべきところだろうが!」

 軍人の酔っぱらいが店主に絡んでいるらしい。卓にはそうだそうだと煽る軍人仲間らしい客が赤ら顔で座っている。並べられた皿はほぼ空で、エールのジョッキも人数分以上が転がっている。どう見ても勘定を踏み倒そうと脅している軍人だ。

 軍舎では衣食住は保証されているが、ここにいる小物のように上下関係の底辺にいる軍人は上からの圧力で小さくなっており、街に繰り出して羽を伸ばすことも多い。

 スレインに目配せをすると、彼は小さく頷いて店主に向かい、フードをとった。

「軍人さんにはお世話になってるんだ。俺が払おう」

 酔っぱらった軍人はスレインに目を向けて、にやりと笑った。

「話が分かる兄ちゃんじゃないか。そう来なくちゃな」

「軍服を着ていないから店主もわからないんですよ。所属を教えてもらえますか?」

「第二部隊第三小隊長のドリスだ。ここらへんじゃ顔も売れたと思ってたんだがな」

「このあたりに来るのは初めてで」

「じゃあ仕方ないな。これから困ったことがあったら俺に言いなよ」

 ドリスにばしばしと背中を叩かれながら、スレインは大銀貨一枚を店主に渡す。お釣りの方がはるかに多い金額だが、今回だけでなく今までも同じように無銭飲食をしていただろう分も含めたつもりだ。店主は意図を察したようで、大銀貨を押し頂いた。

 小隊長ということは、軍部の最小部隊単位だ。同じ卓についている三人が部下というところだろう。

「空気を変えよう。みんなにも一杯奢るよ」

 スレインはもう一枚大銀貨を店主に渡し、店内の客全員にエールを一杯ずつおごることにする。先ほどのやりとりで委縮していた他の客たちもほっと息をついた。

 礼を述べる客たちに軽く頷きながら、スレインが銀貨の入った袋を懐に仕舞うのを、ドリスたちはにやにや笑いを浮かべながら見ていた。
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