令嬢は故郷を愛さない

そうみ

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「アーシアお嬢様!」

 部屋に戻ると専属メイドのサヤが抱きついてきた。サヤがわたしを奥様と呼ばないのは、夫を認めていないというせめてもの抵抗だそうだ。サヤが夫の前で口を開くことはないだろうけれど。

「これで冷やしてください」

 そういって専属護衛騎士のスレインが濡れタオルを差し出してくれる。

 この二人は十年前、母の実家からついてきてくれた使用人で、たった二人、この邸でのわたしの味方だ。

「ありがとう。とりあえず口の中だけ治療してもらえるかしら」

 タオルを頬に当てながらサヤにお願いすると、サヤは泣き笑いみたいな顔をして大きく頷き、治療魔法をかけてくれる。

 外見は打たれてすぐに腫れがひいたら怪しまれるので、一応このままにしておく。サヤが貴重な治療魔法の使い手なのはわたしとスレインと母しか知らない秘密だ。

「お嬢様、アレ、そろそろ始末しませんか」

 サヤが治療してくれる横で、スレインが真顔で言う。わたしが黙って夫に打たれるのを見ているのが相当なストレスのようだ。

「もう少しだけ我慢してもらえる?」

 宥めると、不承不承という顔で頷いた。
 わたしには嗜虐趣味などないので、スレインの我慢したくない気持ちはよくわかる。痛みに慣れることもない。

「軍馬の件は、今度の市でよさそうなものがいれば二頭ほど買いましょう。それ以上は相応しい馬がいなかったと言えばいいわ。調教師のデリーと厩番のクシェを向かわせて。目利きはあの二人が適任よ」

「アーシアお嬢様、そんなお金は……」

「東棟の十二代前に下賜された宝飾剣を潰せばいいわ。刀身が黄金だったから、いい値がつくと思うの。レプリカとのすり替えはハイドに手配してもらいましょう」

 ハイドはこの邸の執事で、古くからここに仕えている。軍人以外に人権がないようなこの領では、筆頭執事といえども良い待遇ではなく、逼迫した財政についても詳しい。少しずつこの家の財産を切り崩すやり方を教えてくれたのもハイドだ。代々の執事がそうやって主人の無茶ぶりに答えてきたらしい。

 ただ、長年拮抗していた隣国との戦力が劣勢になりつつある今が一番持出が頻繁とのこと。先々代までは戦果も良く褒章などもあり、それなりに潤っていたものが近年には全くなく、国からの国防費さえも縮小されそうで父も夫も何とか武功を立てなくてはと焦っているのだ。

 夕食は自室で、サヤとスレインと一緒に摂る。はじめ二人は遠慮していたが、一人きりでの食事は寂しいからとわたしが頼み込んだのだ。

 父と夫は軍の幹部たちと大食堂での晩餐。軍部には肉が支給される。シカにウサギ、雉に鶏、山羊、羊、猪。ぶどう酒にエール。軍人たちに賄われる食費は膨大だ。

 領内で食い詰めた若い男性はまず辺境軍に入る。食費も寮費も隊服も全て支給されるからだ。だが内部は上下関係とコネと賄賂と差別があり、立場の弱いものは大した訓練すらないまま最前線に送られる。生き残れば出世の道もあるかもしれないが、夢を見るには戦場はあまりにも苛烈だ。

 その食費すら削られているわたしたちは残り物を煮込んだスープ。でも可食部を除いた骨で、いい出汁がでている。野菜くずも入っているし、料理人は気を遣ってまだ柔らかいパンもたまにはつけてくれたりする。軍部が食べ残したパンはまずわたしたちにふるまわれ、その後使用人たちにまわる。スープは下の者に向かうごと、どんどん薄くなるらしいが。

 けれど辺境伯邸で働けるものはまだましだ。質はともかく食事は用意される。軍部とかかわらなければそうそうひどい目にあうこともないし、安いとはいえ毎月決まった賃金も支給される。それらはすべてわたしの采配で行っている。せめて使用人くらいは守りたい。わたしの手が届く範囲は限られている。

 この辺境領を出れば野獣の出る大森林。隣国がどこに潜んでいるかもわからず、いつ戦火に巻き込まれるかわからない。

 こんな状態がいつまで持つか。
 劣勢の今、成果をあげられない軍部への、領民の不満も増してきている。

「傷が沁みたりしませんか?」

 サヤが心配そうに聞くので、わたしは笑顔で返す。

「あなたの治療魔法は完璧よ。見た目が痛々しいだけだもの」

「でも、女性の顔を打つなんて」

「獣以下よね。名目だけとはいえ、あれが夫だと思うと怖気がするわ」

 聞くものもいないので、思い切り毒を吐く。スレインは無言で頷いている。

 僥倖なのは、クライブはわたしを妻と認めていないことだ。
 わたしの薄い金色の髪、日焼けとは程遠い肌、華奢な身体、新緑の瞳はすべて母譲りで、尊敬する辺境伯から離縁して逃げ帰るような女の娘と、後継をつくるつもりなどないと婚姻式の前に吐き捨てられた。いずれ好みの女性を邸に住まわせて子を成し、わたしの実子として育てるつもりらしい。

 それだと継嗣に敬愛する辺境伯の血も入らない事に、クライブは気づいているのだろうか。気づいていればもっとタチが悪いのだけど。
「食事も終えたし、久しぶりにデザートでもいただきましょうか」

 わたしが言うと、二人はぱあっと顔を輝かせた。

「すぐに用意します!」
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