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不信

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「――あ、瀬戸だ」
「え……」
「あそこ」
「あ……ほんとだ」

 遠くからでもわかる瀬戸と滝川の姿が目に入ったので、少しでも早く安心して欲しいと思って、指をさして紗花に教えてあげた。
 そして、ようやく手に絡んだ紗花の指の力が緩んでくれたので、ちょっと頑張って振りほどいてみる。

「あっ――」
「…………」

 手に宿った紗花の温もりはとても心地よくて、なんだか洗いたくないような気さえしてしまうけれど、本当はこんなのは不健全だってわかってるんだ。
 でもさ、でも……正直に言えば、今日は嬉しかったよ。幸せだった。
 紗花のこと好きだって自覚できてから、はじめてのことだったから。

 はじめて待ち合わせをして、はじめて一緒に出かけて。
 はじめて手を握って、はじめて一緒に買い物に行って。
 はじめて一緒に食事をして、はじめて食事代を奢って。

 他愛もないことは話せなかったし、やっぱりすぐ喧嘩になっちゃったけどさ。
 お互いの将来についてなんて一度も話せなかったし、目もろくに合わなかったけどさ。
 もう紗花の家に行くことはないだろうし、紗花が俺の家に来ることもないだろうけどさ。
 紗花と一緒だとろくなことにならないけど、やっぱり、紗花と一緒にいると、幸せだったよ。
 なにもかもが……昔、ベッドの中で少しだけ考えた夢の世界が現実にあらわれたみたいだった。
 ははは、もしかしたら俺って、あの時からお前のこと好きだったのかもしれないな。
 きっと、あの頃にきちんと手を伸ばしておけばよかったんだ。そうしたら、こんな気持ちを抱えずに済んでた。
 今となってはもう、何もかもわからないし、何もかも巻き戻せないけどさ。
 ああ、でも、できれば――


 キスも、してみたかったな。


「じゃあ、もう俺行くから」
「……なんで…………?」
「なんでって言われてもな」

 この関係は、あと一時間の時限式だって、紗花もわかってたんじゃないのか。

「一緒に帰ろうよ!」
「いやだよ」
「なんで!?」

 家が近づけば近づくほど、俺は惨めで独りぼっちなんだって、思い知るだけだからさ。

「送ってくれなくてもいいから!」
「…………」
「一緒に帰ろうよ! ね? お願い」
「…………」
「お願い……します……」

 お前は本当にタイミングが悪いなぁ。
 もう、その手は通用しないんだって。
 ついさっき、全ては俺の中で終わったんだから。

「別に俺がいなくてもいいだろ」
「…………なんで?」
「いや、俺なんか必要ないしさ」
「なんで……そうやって……いじめるの……?」
「え――――」

 俺がいなくなりたいから瀬戸を呼んだって、さすがにわかってたよな?
 きっちり一時間あったんだから、安心毛布が消える心の準備ぐらいしておいてくれよ。

「待ってよ……待って……」
「いやだよ」

 そうやってまたシャツを掴めば俺が止まると思ってんの?
 お前が温もりをくれたおかげで今なら余裕で触れるんだって。

「あっ――――」
「じゃあな。ハンカチは捨てといて」

 これ以上近くにいると恋愛回路がフル稼働して頭がおかしくなってしまいそうなので、立ち上がって紗花に背を向けてしまう。
 目の端に見えた紗花の表情が、なんだか追いすがってきそうな雰囲気があったものだから、つい足早に逃げてしまった。

「…………」

 だけど、瞼の裏と頭の中には紗花の表情がこびりついてしまっていて、それは、なんだか自分に初めて好意を伝えてくれた時と同じみたいに感じられてしまって、どうにも足がおぼつかない。
 頑張って真っすぐに歩いてるのに、どうしても千鳥足みたいになってしまう。

「…………」

 本当に、恋愛感情を持つとろくなことにならなかった。
 あれだけ毎朝見せつけられてるのに、もしかしたら紗花は今でも自分だけのことを好きなんじゃないかって、思ってしまうんだから。

「はぁ…………」

 そんな都合の良いことなんて、誰かの人生にはあり得ても、俺の人生にだけはあり得ないのに。


 その日、何もかもを投げ捨てて、俺は独りぼっちで惨めに帰宅した。
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