上 下
55 / 67

参考

しおりを挟む

 もったいない精神の奴隷になってしまった俺は、やはり待ち合わせ場所のベンチで胃液の消化活動を待つことになった。
 瀬戸ならまだしも、紗花と三十分も話すのは気が触れてしまいそうだった。
 今の紗花が口を開くと、どうしても彼氏である浜田の話になってしまうようで、気分は相乗効果に悪化し、曖昧に相槌を打つので精一杯だった。
 おまけに相槌が曖昧だと、話がウケていないと思われてしまうようで、さらに別の浜田の話になるのだから最悪だ。
 奢られないで良かった。こんな調子じゃ、もう一度会えば自律神経が破壊されるどころか再起不能になってしまう。

「――あ、着いたよ」

 そしていつもの大型書店。その三階。
 ここまでくると、さすがに勘付いている。
 こりゃ瀬戸の入れ知恵だな。完全に同じプランだ。

「言われないでもわかってるよ」

 俺の一段上に立っている紗花が、一段分だけ先にエスカレーターから降りる。
 前は俺に気をつかって後ろについていてくれたのに、もう俺なんかのことは忘れてしまったらしい。
 時間の流れは残酷だな。
 そんな大きすぎる一般論を噛みしめながら、俺も三階に足を着ける。

「で、何しにきたんだ?」

 動く背中に聞いても、紗花は答えてくれない。
 おまけに歩くのはゆっくりだから、気を抜くとぶつかってしまいそうになる。
 さっきのエスカレーターといい、こんなに間近で紗花がそっぽを向いてしまうので、嫌でもその後ろ髪が目につく。
 今日は、少しだけ編み込みがあった。ストーカーがどうとかで紗花に付き合っていた時を、思い出すな。
 あれに気づいたのも、参考書があるこの三階だったし。

「ええっと……」

 ようやく立ち止まり、紗花が困ったような声を出す。
 ここは国語、英語、社会のコーナーがそろった文系の列。
 まあ、俺も文系科目が全く無関係というわけじゃないけども。

「なに?」
「その……」
「…………」
「…………」
「……早く言えよ」
「……参考書」
「え?」
「参考書、買いにきた……」
「そりゃそうだろ」

 わざわざこの階で、この場所で立ち止まるんだから、参考書を買う以外に用があるはずがない。
 ここまできて、「実は文庫本を買いにきたんです」なんて言って下の階に戻るなんて、意味不明すぎて笑えない冗談だろ。
 まあでも、参考書を買いに来るという嘘の約束が真実になったことだけは評価してる。
 村上はいてくれてないけどな。

「その……選んで欲しくて……」
「……は? なんで?」
「桜井くんに……あの……」
「なんでだよ」
「……アドバイス、してください…………」
「いや、俺、理系なんだけど」

 そりゃ、ぼっちで暇だけはあるから、文理問わずとりあえずで軒並み勉強はしてるけど、それにしたって文系一本の奴には敵わないと思う。
 紗花は交友関係広いんだから、同じ文系で成績の良い奴を呼べばいいのに。
 それこそ理系でもいいんだったら、彼氏の浜田にしろよ。

「それでもいいから……」
「じゃあ浜田に聞けば?」
「…………え、なんで?」
「あっそ。じゃあいいわ」
「え? え?」

 理解が追い付いてくれないどんくさい紗花を放置して、スマホを取り出す。
 なんだ? できすぎた彼氏を持つと相談するのも恥ずかしいってか?
 めんどくせぇなぁ乙女心ってやつはさ。それともあれか? 刷り込みか?
 勉強で困ったらとりあえず俺に聞いておけばいいやってインプリンティングされてんの?
 アホくさ。こんなことになるんだったら受験勉強教えなきゃよかった。
 それなら一緒の学園に通うことだってなか――ああいや、そしたら紗花は浜田と会えなかったのか。
 図らずとも恋のキューピッドになってしまったらしい。感謝して欲しいもんだな。どうぞお幸せに。

「あの……何してるの?」
「調べ物」

 俺一人の意見よりも、インターネットの集合知の方がまだマシだろう。
 だから、スマホでお馴染みの通販サイトを開いて、片っ端からレビューを見ていく。
 んー、まあこの辺りが手始めとしては無難か。今の紗花の成績なんてよくわからないし。

「…………」
「とりあえず、これとかどう?」
「ああ、うん……」

 紗花に向かってスマホを差し出す。
 カップルみたいに横並びで見たくはないので、逆さにして、向かい合わせに。
 紗花が俺のスマホを受け取る時に、指先が触れなくて安心して、気が抜ける。

「……うん、じゃあこれ――――」

 画面に踊る文字の説得力に納得しかけた紗花の顔が上がり、しかし急に目を見開いて、画面に戻る。
 え、なんかあった? 画面バキバキに割れてたか?
 まだ買ったばっかで綺麗だったと思うんだけど。

「なに?」
「これ……」
「…………」
「これ…………変えたの?」
「……え」
「スマホ、変えたよね?」
「――――ちっ」

 あまりしないようにしていたのに、思わず小学生の頃の癖で舌打ちをしてしまった。
 ちょっと気を抜いてしまっていた。紗花に見せるなんて考えてなかったものだから。
 まあでも、冷静に考えれば気づかれたって別に問題ない。紗花も変えてるだろうし。
 浜田とお揃いにでもしてるだろ、どうせ。

「なんで……?」
「…………」
「なんで変えたの……?」
「……いや、別に……」
「なんで? ねぇ」
「壊れたんだよ。壊れたら変えるだろ」
「…………そう、なんだ……」
「そうなんですよ」

 なんでそんな傷ついたような顔するのかなぁ。
 やめてくれよ。勘違いしてしまいそうになる。
 さすがにいつまでも引きずってられないからさぁ。いいだろ? 機種変ぐらい。
 それともあれか? 昔の恋人の持ち物とか取っておくタイプ? それは男の方だってよく聞くんだけどなぁ。
 まあ、恋人同士だった時なんて一瞬たりともないんだけど、さ。

「わかった……じゃあ、いいや……」
「あっそ」
「…………」
「はい、これ」

 先ほど「手始め」と見当をつけた参考書を棚から抜き出して、いつまでも俺のスマホを握ったままの紗花に差し出す。

「ああ、うん……」

 そして、紗花の片手が参考書を受け取ったのを見計らって、もう片方の手からスマホを奪い取る。
 触れないように。でも、素早く。

「あっ――――」

 紗花の手が名残惜しそうに伸びた気がしたけど、まあ、きっと錯覚の所有感だと思う。
 そうでなきゃ、おかしい。さもなければ、錯覚の連帯感かなにかだろ。

「自分に合うかどうか、目を通してみて」
「……うん」

 頷く紗花の表情は、少し落ち込んでいるようにも見えた。
 そこに、自分に都合が良いだけの何かを見出してしまいそうになるので、気を散らすためにゲームをしようにも、今はスマホを目に入れるだけで同じ轍を踏みそうなので、紗花から少し距離を取って俺も棚を眺めるぐらいしかやることはない。


 本当に、こいつと出かけるとろくなことにならないな。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【取り下げ予定】愛されない妃ですので。

ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。 国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。 「僕はきみを愛していない」 はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。 『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。 (ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?) そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。 しかも、別の人間になっている? なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。 *年齢制限を18→15に変更しました。

殿下には既に奥様がいらっしゃる様なので私は消える事にします

Karamimi
恋愛
公爵令嬢のアナスタシアは、毒を盛られて3年間眠り続けていた。そして3年後目を覚ますと、婚約者で王太子のルイスは親友のマルモットと結婚していた。さらに自分を毒殺した犯人は、家族以上に信頼していた、専属メイドのリーナだと聞かされる。 真実を知ったアナスタシアは、深いショックを受ける。追い打ちをかける様に、家族からは役立たずと罵られ、ルイスからは側室として迎える準備をしていると告げられた。 そして輿入れ前日、マルモットから恐ろしい真実を聞かされたアナスタシアは、生きる希望を失い、着の身着のまま屋敷から逃げ出したのだが… 7万文字くらいのお話です。 よろしくお願いいたしますm(__)m

婚約者に消えろと言われたので湖に飛び込んだら、気づけば三年が経っていました。

束原ミヤコ
恋愛
公爵令嬢シャロンは、王太子オリバーの婚約者に選ばれてから、厳しい王妃教育に耐えていた。 だが、十六歳になり貴族学園に入学すると、オリバーはすでに子爵令嬢エミリアと浮気をしていた。 そしてある冬のこと。オリバーに「私の為に消えろ」というような意味のことを告げられる。 全てを諦めたシャロンは、精霊の湖と呼ばれている学園の裏庭にある湖に飛び込んだ。 気づくと、見知らぬ場所に寝かされていた。 そこにはかつて、病弱で体の小さかった辺境伯家の息子アダムがいた。 すっかり立派になったアダムは「あれから三年、君は目覚めなかった」と言った――。

「あなたのことはもう忘れることにします。 探さないでください」〜 お飾りの妻だなんてまっぴらごめんです!

友坂 悠
恋愛
あなたのことはもう忘れることにします。 探さないでください。 そう置き手紙を残して妻セリーヌは姿を消した。 政略結婚で結ばれた公爵令嬢セリーヌと、公爵であるパトリック。 しかし婚姻の初夜で語られたのは「私は君を愛することができない」という夫パトリックの言葉。 それでも、いつかは穏やかな夫婦になれるとそう信じてきたのに。 よりにもよって妹マリアンネとの浮気現場を目撃してしまったセリーヌは。 泣き崩れ寝て転生前の記憶を夢に見た拍子に自分が生前日本人であったという意識が蘇り。 もう何もかも捨てて家出をする決意をするのです。 全てを捨てて家を出て、まったり自由に生きようと頑張るセリーヌ。 そんな彼女が新しい恋を見つけて幸せになるまでの物語。

頑張らない政略結婚

ひろか
恋愛
「これは政略結婚だ。私は君を愛することはないし、触れる気もない」 結婚式の直前、夫となるセルシオ様からの言葉です。 好きにしろと、君も愛人をつくれと。君も、もって言いましたわ。 ええ、好きにしますわ、私も愛する人を想い続けますわ! 五話完結、毎日更新

2番目の1番【完】

綾崎オトイ
恋愛
結婚して3年目。 騎士である彼は王女様の護衛騎士で、王女様のことを何よりも誰よりも大事にしていて支えていてお護りしている。 それこそが彼の誇りで彼の幸せで、だから、私は彼の1番にはなれない。 王女様には私は勝てない。 結婚3年目の夫に祝われない誕生日に起こった事件で限界がきてしまった彼女と、彼女の存在と献身が当たり前になってしまっていたバカ真面目で忠誠心の厚い騎士の不器用な想いの話。 ※ざまぁ要素は皆無です。旦那様最低、と思われる方いるかもですがそのまま結ばれますので苦手な方はお戻りいただけると嬉しいです 自己満全開の作品で個人の趣味を詰め込んで殴り書きしているため、地雷多めです。苦手な方はそっとお戻りください。 批判・中傷等、作者の執筆意欲削られそうなものは遠慮なく削除させていただきます…

【完】あの、……どなたでしょうか?

桐生桜月姫
恋愛
「キャサリン・ルーラー  爵位を傘に取る卑しい女め、今この時を以て貴様との婚約を破棄する。」 見た目だけは、麗しの王太子殿下から出た言葉に、婚約破棄を突きつけられた美しい女性は……… 「あの、……どなたのことでしょうか?」 まさかの意味不明発言!! 今ここに幕開ける、波瀾万丈の間違い婚約破棄ラブコメ!! 結末やいかに!! ******************* 執筆終了済みです。

私も一応、後宮妃なのですが。

秦朱音@アルファポリス文庫より書籍発売中
恋愛
女心の分からないポンコツ皇帝 × 幼馴染の後宮妃による中華後宮ラブコメ? 十二歳で後宮入りした翠蘭(すいらん)は、初恋の相手である皇帝・令賢(れいけん)の妃 兼 幼馴染。毎晩のように色んな妃の元を訪れる皇帝だったが、なぜだか翠蘭のことは愛してくれない。それどころか皇帝は、翠蘭に他の妃との恋愛相談をしてくる始末。 惨めになった翠蘭は、後宮を出て皇帝から離れようと考える。しかしそれを知らない皇帝は……! ※初々しい二人のすれ違い初恋のお話です ※10,000字程度の短編 ※他サイトにも掲載予定です ※HOTランキング入りありがとうございます!(37位 2022.11.3)

処理中です...