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第三章 皇帝と公子の教示と矜持
第24話
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「その皇帝陛下が、何用で隣国に押し掛けてきたのですか? 身分を偽り自らが密偵役を買って出るとは、いささか異常な行動ですね」
声は震えない。不思議と皮肉を言う時だけは、全身の震えも止まった。
「生憎と、卿のような軟弱者に用はない。用があるのは、そなたの姉君だ」
「姉に何の用があるのですか。まさか一国の皇帝陛下ともあろうお方が婦女子と剣を交えるために、わざわざ国境を越えたなどとおっしゃいませんよね? それは酔狂なことだと、笑い話にして国内に広めて差し上げましょうか?」
虚勢は無駄なあがきと判っている。これは時間稼ぎだ。フィオリーノが――卑怯な手口だと判っているが――背後から襲撃してくれたら、少しは隙ができる。そんなロベルトの浅はかな考えを見透かしたかのように、嘲笑が皇帝の口から洩れた。
「手助けを待っても無意味だぞ。私の護衛は百戦錬磨揃いだ。ほれ、卿の希望は打ち砕かれたようだぞ?」
帝国の二人は、対峙してから一度も背後を振り返っていない。なのに、後ろで繰り広げられた一方的な勝負の結果を、正確に告げる。ロベルトは、拘束されこちらに歩いてくるフィオリーノの姿を視界の隅に入れた。敗北だ。だが背後の娘たちだけは守らねばならない。それに皇帝の目的も。姉に用があるとは、どういう意味なのか。
「我が国民を、どうするつもりですか。それに姉に用があるとは?」
フィオリーノたちがやってきた。後ろ手に縛られた彼は突き飛ばされ、ミーナの傍に転がされた。すかさず彼女がその細鞭をほどこうと試みるが、固く縛られほどけない。ナイフを取り出せば、いつの間にか彼女の背後に現れた暗殺者に取り上げられた。
「全員、揃ったな。ロベルト公子、卿の質問に答えてやろう。まず後ろの娘たちのことだが、カヴィーリャの町長が身を案じていたのでな。ついでに言うならば、この娘たちを誘拐した山賊どもはすべて片づけた」
その台詞に、娘たちが声にならない歓喜の声を上げた。自由になれること、もうあの蛮族どもはこの世のどこにもいないことに、心底安堵する。
「先ほどの質問に答えようか。予がこの国に来たのは、そなたの姉であるイザベラ公女を我が后に迎えること。ついでに言うならば、予の戴冠の騒ぎに乗じて我が領土を掠め取ろうと画策する大公を誅殺し、逆にこの国を支配下に置くこと。そのための視察だ」
「あの馬鹿が帝国に戦を仕掛けようと……? 神聖不可侵の三帝室に喧嘩を吹っ掛けるなんて」
「形ばかりの跡継ぎも生かしておくなど、禍根も甚だしい。ここでそなたの首を刎ねる機会を得られたことは僥倖だ」
クレメンスの台詞を聞いた刹那、ロベルトは十六年の半生を顧みた。父に疎まれ家臣たちには嘲られ。母と姉は愛情を注いでくれたが、生きている価値などあるのだろうか。そんな疑念が首をもたげ。彼は気付くとバスタードソードを投げ捨てた。
「こ、公子殿下?」
フィオリーノとミーナの慌てた声が重なるが、それすらも遠くに聞こえた。もうどうでもいい。姉との約束すらも煩わしかった。姉が謀叛を起こそうと、この皇帝が望めば彼女は立后されるだろう。その方がもう剣を握らずともいい。幸せになれる。今まで姉にとって枷でしかなかった己の存在がなくなれば、姉は――彼女の意思を無視したものであっても、幸せになれる。
「僕は生きていても価値がない人間です。だからどうか――首を落として下さい」
「……良かろう、望み通りにしてやる」
「そ、そんな。いやですロベルト様! ロベルト様を殺すならわたしも殺して! わたしが先でもいいから!」
「亡き大公妃殿下から公子殿下のために生きよと命ぜられた身。殿下亡き後、どうしてこの世にひとり生きていられようか。さあ、こちらから先に首を落としなさい」
侍従と侍女が騒ぎ立てるが、肝心の公子は無気力な目を皇帝に向けたままだ。
「望み通り、楽にしてやる」
クレメンスの手が振りかざされた。
「ロベルト様!」
声は震えない。不思議と皮肉を言う時だけは、全身の震えも止まった。
「生憎と、卿のような軟弱者に用はない。用があるのは、そなたの姉君だ」
「姉に何の用があるのですか。まさか一国の皇帝陛下ともあろうお方が婦女子と剣を交えるために、わざわざ国境を越えたなどとおっしゃいませんよね? それは酔狂なことだと、笑い話にして国内に広めて差し上げましょうか?」
虚勢は無駄なあがきと判っている。これは時間稼ぎだ。フィオリーノが――卑怯な手口だと判っているが――背後から襲撃してくれたら、少しは隙ができる。そんなロベルトの浅はかな考えを見透かしたかのように、嘲笑が皇帝の口から洩れた。
「手助けを待っても無意味だぞ。私の護衛は百戦錬磨揃いだ。ほれ、卿の希望は打ち砕かれたようだぞ?」
帝国の二人は、対峙してから一度も背後を振り返っていない。なのに、後ろで繰り広げられた一方的な勝負の結果を、正確に告げる。ロベルトは、拘束されこちらに歩いてくるフィオリーノの姿を視界の隅に入れた。敗北だ。だが背後の娘たちだけは守らねばならない。それに皇帝の目的も。姉に用があるとは、どういう意味なのか。
「我が国民を、どうするつもりですか。それに姉に用があるとは?」
フィオリーノたちがやってきた。後ろ手に縛られた彼は突き飛ばされ、ミーナの傍に転がされた。すかさず彼女がその細鞭をほどこうと試みるが、固く縛られほどけない。ナイフを取り出せば、いつの間にか彼女の背後に現れた暗殺者に取り上げられた。
「全員、揃ったな。ロベルト公子、卿の質問に答えてやろう。まず後ろの娘たちのことだが、カヴィーリャの町長が身を案じていたのでな。ついでに言うならば、この娘たちを誘拐した山賊どもはすべて片づけた」
その台詞に、娘たちが声にならない歓喜の声を上げた。自由になれること、もうあの蛮族どもはこの世のどこにもいないことに、心底安堵する。
「先ほどの質問に答えようか。予がこの国に来たのは、そなたの姉であるイザベラ公女を我が后に迎えること。ついでに言うならば、予の戴冠の騒ぎに乗じて我が領土を掠め取ろうと画策する大公を誅殺し、逆にこの国を支配下に置くこと。そのための視察だ」
「あの馬鹿が帝国に戦を仕掛けようと……? 神聖不可侵の三帝室に喧嘩を吹っ掛けるなんて」
「形ばかりの跡継ぎも生かしておくなど、禍根も甚だしい。ここでそなたの首を刎ねる機会を得られたことは僥倖だ」
クレメンスの台詞を聞いた刹那、ロベルトは十六年の半生を顧みた。父に疎まれ家臣たちには嘲られ。母と姉は愛情を注いでくれたが、生きている価値などあるのだろうか。そんな疑念が首をもたげ。彼は気付くとバスタードソードを投げ捨てた。
「こ、公子殿下?」
フィオリーノとミーナの慌てた声が重なるが、それすらも遠くに聞こえた。もうどうでもいい。姉との約束すらも煩わしかった。姉が謀叛を起こそうと、この皇帝が望めば彼女は立后されるだろう。その方がもう剣を握らずともいい。幸せになれる。今まで姉にとって枷でしかなかった己の存在がなくなれば、姉は――彼女の意思を無視したものであっても、幸せになれる。
「僕は生きていても価値がない人間です。だからどうか――首を落として下さい」
「……良かろう、望み通りにしてやる」
「そ、そんな。いやですロベルト様! ロベルト様を殺すならわたしも殺して! わたしが先でもいいから!」
「亡き大公妃殿下から公子殿下のために生きよと命ぜられた身。殿下亡き後、どうしてこの世にひとり生きていられようか。さあ、こちらから先に首を落としなさい」
侍従と侍女が騒ぎ立てるが、肝心の公子は無気力な目を皇帝に向けたままだ。
「望み通り、楽にしてやる」
クレメンスの手が振りかざされた。
「ロベルト様!」
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