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終幕 散華
第86話
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勝家とて、共にお市が死んでくれると聞いて嬉しく思った。同時に、三人の姫たちは十一年前に父を、今度は母を喪うのかと思うと不憫でならない。
「姫たちと、別れを惜しんで参ります」
お市はそう言うと、別室に姫たちを呼びつけた。これから母は、勝家と共に死ぬと。そなたたちは何としても生き延び、亡き父上(長政)の血を次代に残せと遺言する。
上の二人は、落城は二度目だった。だが十歳の江は、これが初の落城であり父母との別れ。
血は繋がらずとも勝家を父さまと慕ったお江は、涙を流しながら自分もここに残るとわがままを言う。それをたしなめたのは、母ではなく茶々だった。
「お江、母上がおっしゃったように私たちは、浅井家の血を残さねばならぬ。我ら三人しか、浅井の血を残せぬのだから」
「大姉上さまは、冷たいお人じゃ!」
「お江、姉上の気持ちが判らぬか?」
今まで黙っていた次女のお初が、たまりかねて大声を上げる。父母との別れを受け入れられないお江は、激しく泣き崩れる。三女の様子を眺めながら、お市は十一年前の自分を重ねていた。
あの時の自分も、長政の膝に縋り付き泣きに泣いた。正直言って姫たちを他人の手に委ねるなどしたくはない。だが、もう若くない自分に三度目の再嫁など有り得ぬと思っている。老いている自分などより、未来ある娘たちが生き残ることこそ筋というものと、彼女は弁えている。
秀吉に対し、姫たちの保護を頼む使者を既に出してある。最後まで抵抗していたお江だが、姉たちに引き摺られるようにして北ノ庄城を去った。
「お方さま」
姫たちが去った後の部屋に、於小夜の声が響く。ぼんやりと中空に視線を漂わせていたお市は振り返り、息を呑んだ。
「於小夜、何ですかその格好は」
於小夜は忍び装束を身に纏っていた。頭巾は被っていないが、髪は解き高くひとつに結い上げている。
「お方さま。私はこの二十三年間、ずっとお方さまを謀《たばか》っておりました」
「於小夜? 謀っていたとは、どういうことですか?」
「私は亡き武田信玄公の命令を受け、織田家に潜入した、武田忍びのひとりでございます」
お市の顔に驚愕の色が走るが、於小夜は構わずに続ける。
侍女として付き従い、ずっと武田家のために働いていたこと。だが信玄が三方ヶ原合戦の後に病死してからは、自分の意思でお市の傍に付き従っていること。今は忍びを辞め、お市付きの侍女として共に死ぬ覚悟だと淡々と述べた。
お市は茫然とした目で、眼前の侍女を眺めている。於小夜はお市の前で両手をつき、深く頭を垂れる。
「お許し願えるならば、私が黄泉路の鬼どもを払うて御覧にいれます」
それはお市よりも先に自害するということ。武田の忍びであった於小夜が、黄泉路の露払い役を買って出る。彼女は本当に自分の侍女になっていたのだと、この時お市は理解した。同時に、於小夜が共に死んでくれることが嬉しかった。
浅井家から出戻り再び柴田家へ嫁いだ際、古くから付き従っている侍女はもう於小夜のみ。この二十三年間、謀られていたとはいえ、お市は於小夜を信用し重用していた。大切な、たった一人の信頼できる侍女なのだ。
「ありがとう於小夜。しかと鬼どもを退治してください」
「お任せ下さい。ではお方さま、ごめんくださいませ」
静かに襖が開き、於小夜は出て行った。
「姫たちと、別れを惜しんで参ります」
お市はそう言うと、別室に姫たちを呼びつけた。これから母は、勝家と共に死ぬと。そなたたちは何としても生き延び、亡き父上(長政)の血を次代に残せと遺言する。
上の二人は、落城は二度目だった。だが十歳の江は、これが初の落城であり父母との別れ。
血は繋がらずとも勝家を父さまと慕ったお江は、涙を流しながら自分もここに残るとわがままを言う。それをたしなめたのは、母ではなく茶々だった。
「お江、母上がおっしゃったように私たちは、浅井家の血を残さねばならぬ。我ら三人しか、浅井の血を残せぬのだから」
「大姉上さまは、冷たいお人じゃ!」
「お江、姉上の気持ちが判らぬか?」
今まで黙っていた次女のお初が、たまりかねて大声を上げる。父母との別れを受け入れられないお江は、激しく泣き崩れる。三女の様子を眺めながら、お市は十一年前の自分を重ねていた。
あの時の自分も、長政の膝に縋り付き泣きに泣いた。正直言って姫たちを他人の手に委ねるなどしたくはない。だが、もう若くない自分に三度目の再嫁など有り得ぬと思っている。老いている自分などより、未来ある娘たちが生き残ることこそ筋というものと、彼女は弁えている。
秀吉に対し、姫たちの保護を頼む使者を既に出してある。最後まで抵抗していたお江だが、姉たちに引き摺られるようにして北ノ庄城を去った。
「お方さま」
姫たちが去った後の部屋に、於小夜の声が響く。ぼんやりと中空に視線を漂わせていたお市は振り返り、息を呑んだ。
「於小夜、何ですかその格好は」
於小夜は忍び装束を身に纏っていた。頭巾は被っていないが、髪は解き高くひとつに結い上げている。
「お方さま。私はこの二十三年間、ずっとお方さまを謀《たばか》っておりました」
「於小夜? 謀っていたとは、どういうことですか?」
「私は亡き武田信玄公の命令を受け、織田家に潜入した、武田忍びのひとりでございます」
お市の顔に驚愕の色が走るが、於小夜は構わずに続ける。
侍女として付き従い、ずっと武田家のために働いていたこと。だが信玄が三方ヶ原合戦の後に病死してからは、自分の意思でお市の傍に付き従っていること。今は忍びを辞め、お市付きの侍女として共に死ぬ覚悟だと淡々と述べた。
お市は茫然とした目で、眼前の侍女を眺めている。於小夜はお市の前で両手をつき、深く頭を垂れる。
「お許し願えるならば、私が黄泉路の鬼どもを払うて御覧にいれます」
それはお市よりも先に自害するということ。武田の忍びであった於小夜が、黄泉路の露払い役を買って出る。彼女は本当に自分の侍女になっていたのだと、この時お市は理解した。同時に、於小夜が共に死んでくれることが嬉しかった。
浅井家から出戻り再び柴田家へ嫁いだ際、古くから付き従っている侍女はもう於小夜のみ。この二十三年間、謀られていたとはいえ、お市は於小夜を信用し重用していた。大切な、たった一人の信頼できる侍女なのだ。
「ありがとう於小夜。しかと鬼どもを退治してください」
「お任せ下さい。ではお方さま、ごめんくださいませ」
静かに襖が開き、於小夜は出て行った。
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