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陸幕 蔭始末記
第59話
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長政を喪い、ふさぎこんでいたお市だったが一年の喪が明ける頃、ぎこちないながらも笑顔らしきものが戻ってきた。
信長は妹に対する負い目もあるのか、滅多に顔を見せなかった。だが妹と三人の姪たちのことは常に気にかけており、贅沢な暮らしをさせていた。華やかな衣装や調度品に囲まれる日々は、多少なりともお市の心を慰めたようだ。
織田家家中の者たちも、かつての高嶺の花が戻ってきたことを素直に喜んだ。筆頭家老の柴田勝家も、主君信長の名代としてお市に会う機会も増えた。それに伴い小十郎も、於小夜との逢瀬を限られた時間の中でかわす。
「於小夜、浅井どのの喪も明けた。そろそろお市さまに我らの事を打ち明け、我らが夫婦だと公にしないか」
正月の参賀のために、お市と共に岐阜城へ登城した於小夜は、真夜中に小十郎の訪問をうけた。二人がひっそりと夫婦になって早三年の歳月が流れている。相変わらず小十郎は柴田家の足軽頭という身分だが、これ以上出世すると忍びとしての活動に支障がある。於小夜も、すっかり最古参の侍女として責任のある立場になってしまった。
「小十郎どの」
「もう人目を避けて逢うことに疲れた。於小夜は我が嫁と大声で知らしめたい。せっかく頭領さまのお許しも頂けたというのに、これではあんまりだ」
二人とも三十代になった今、そういつまでも独り身でいるわけにはいかない。現に縁談の話がいくつか小十郎には舞い込んできており、角を立てずに断る日々にうんざりしているのだ。だが於小夜には躊躇がある。お市が心に深手を負っているにもかかわらず、己だけが幸せを掴んでも良いのかと。しかし忍びといえども於小夜も一人のおなご。三十歳を迎えた今、子を為すならば最後の機会との思いも強い。
「お市さまのことを案ずる気持ちも判る。しかし、俺は於小夜と所帯を持った以上、人並みの暮らしをしたいのだ」
「それは……わたしとて同じこと。でも」
一年前の、お市の慟哭が於小夜の耳に残っている。今もお市は夜ごと枕を涙で濡らし、癒えぬ哀しみに耐えている。
「俺は頭領さまと約束したのだ。二人の間に子が出来たら、男女を問わず忍びにすると」
新井の家は代々忍びを輩出している。叔父である庄助には、子がなかった。於小夜の姉も既にこの世に居ない今、新井の血を受け継ぐ子を産めるのは於小夜だけだ。忍びとしてもっと働きたいと思う気持ちもあるが、平凡なおなごの幸せを望む気持ちも強い。お市の産んだ三姉妹の世話を続ける内に、そのようなことを思う。残された時間は短い。
「……お市さまに、申し上げます」
言葉に出してしまうと、今まで悩んでいた気持ちが消えた。同時に小十郎への想いが一気にあふれ出て、思わず我から夫の胸元へ頬を埋めた。
「於小夜……」
妻の馥郁たる体臭が小十郎の鼻腔をくすぐり、たまらず男を刺激する。思わず、やや肉置きがついてきた身体を掻き抱く。
信長は妹に対する負い目もあるのか、滅多に顔を見せなかった。だが妹と三人の姪たちのことは常に気にかけており、贅沢な暮らしをさせていた。華やかな衣装や調度品に囲まれる日々は、多少なりともお市の心を慰めたようだ。
織田家家中の者たちも、かつての高嶺の花が戻ってきたことを素直に喜んだ。筆頭家老の柴田勝家も、主君信長の名代としてお市に会う機会も増えた。それに伴い小十郎も、於小夜との逢瀬を限られた時間の中でかわす。
「於小夜、浅井どのの喪も明けた。そろそろお市さまに我らの事を打ち明け、我らが夫婦だと公にしないか」
正月の参賀のために、お市と共に岐阜城へ登城した於小夜は、真夜中に小十郎の訪問をうけた。二人がひっそりと夫婦になって早三年の歳月が流れている。相変わらず小十郎は柴田家の足軽頭という身分だが、これ以上出世すると忍びとしての活動に支障がある。於小夜も、すっかり最古参の侍女として責任のある立場になってしまった。
「小十郎どの」
「もう人目を避けて逢うことに疲れた。於小夜は我が嫁と大声で知らしめたい。せっかく頭領さまのお許しも頂けたというのに、これではあんまりだ」
二人とも三十代になった今、そういつまでも独り身でいるわけにはいかない。現に縁談の話がいくつか小十郎には舞い込んできており、角を立てずに断る日々にうんざりしているのだ。だが於小夜には躊躇がある。お市が心に深手を負っているにもかかわらず、己だけが幸せを掴んでも良いのかと。しかし忍びといえども於小夜も一人のおなご。三十歳を迎えた今、子を為すならば最後の機会との思いも強い。
「お市さまのことを案ずる気持ちも判る。しかし、俺は於小夜と所帯を持った以上、人並みの暮らしをしたいのだ」
「それは……わたしとて同じこと。でも」
一年前の、お市の慟哭が於小夜の耳に残っている。今もお市は夜ごと枕を涙で濡らし、癒えぬ哀しみに耐えている。
「俺は頭領さまと約束したのだ。二人の間に子が出来たら、男女を問わず忍びにすると」
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「……お市さまに、申し上げます」
言葉に出してしまうと、今まで悩んでいた気持ちが消えた。同時に小十郎への想いが一気にあふれ出て、思わず我から夫の胸元へ頬を埋めた。
「於小夜……」
妻の馥郁たる体臭が小十郎の鼻腔をくすぐり、たまらず男を刺激する。思わず、やや肉置きがついてきた身体を掻き抱く。
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