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肆幕 甲斐国の猛虎が眠る刻、決別の夜明け来たる

第43話

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「早いものじゃな」

 この時の彼は、僅かばかり気が緩んでいた。此度の戦は大勝利に終わったが、信玄の体調が思わしくなくなってきたことと、柄にもなく姪のことを思い出したせいもある。自分に近付く者の気配に、気付くのが遅すぎた。

「何じゃ三ツ者の頭領となって、気が抜けたか? 隙だらけではないか、拙者でも討てるかと思うたぞ」

 陽気な声が庄助の耳朶を打った。振り返らずとも声で判る。

「武藤どのか」

 足軽大将であり元服前は信玄の奥近習衆だった武藤喜兵衛が、酒の入った竹筒を持って立っていた。武藤喜兵衛は、真田幸隆の三男で、後に真田家当主となる真田昌幸その人である。しかし元亀三年現在、母方の縁戚である武藤家に養子に出され、そのまま武藤家を嗣ぐものと思われている。喜兵衛は七歳から信玄の傍近くに居たため、庄助とも顔見知りであった。加えて信玄が、忍びたちがもたらしてくる情報を大事にし、命がけで探り取ってくる彼らを決して下に見ることがない姿勢を、幼い頃から目に焼き付けてきた。

 喜兵衛の身分は足軽大将。武田家臣内では決して高くない地位であるがゆえに、他の家臣たちが歯牙にも掛けない三ツ者たちとも遠慮なく話し付き合う。

「祝い酒だ。新井どのも少し飲まれよ」

 わざわざ庄助の為に、竹筒に入れて持ってきてくれた。この時代、忍びとはとても卑しい存在として認識されていた為に、一人前の武士として扱ってくれるのは、信玄とこの喜兵衛しかいなかった。

「かたじけない。まだお屋形さまの警護がある為、ひとくちだけ」

 庄助は竹筒を受け取り、血の臭いが充満する地面に腰をおろした。喜兵衛もそれに倣い、二人は向かい合う形になった。僅かに口内を湿らせる程度に酒を含んだ庄助は、もう良いと竹筒を喜兵衛に返した。
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