上 下
21 / 90
壱幕 織田家の佳人

第21話

しおりを挟む
「於小夜さま」
「九郎か」

 於小夜がまだ甲斐国にいた頃には修行中だった九郎が、七年の時を経て立派な忍びとなり甲斐国と尾張国の連絡役を務めている。少年の姿しか知らぬ於小夜にとって、自分はこれほど長く甲斐国を離れているのだと改めて思い知らされる。同時に、信玄の太く威厳に満ちた声が懐かしく思い出された。だが、ほんの一瞬だけ浮かんだ郷愁の念を心の奥深くに沈めると、彼女は冷静な声で尋ねる。

「織田の忍びに気取られなんだか?」
「はい。侵入口を拵えてありますゆえ」

 於小夜がこの織田家に潜入してから少しずつ、三ツ者たちが織田の忍びたちの目をかすめて出入り口を作ったらしい。城内にいる於小夜には何処にそれがあるのか判らぬが、巧妙に作られているのだろう。

「お屋形さまより言伝ことづてを承って参りました。そのまま浅井家へ赴き、織田と浅井の様子を探れと。連絡役は、わたしが務めますので」
「さようか」

 手早く会話を終えると、九郎は闇の中へと溶け込んでいった。於小夜は一刻ほど外の気配に耳をすませていたが、気取られた気配は感じられなかった。どうやら、上手く脱出できたのだろう。若いながらも九郎は小十郎の師、長作ちょうさくにみっちりと仕込まれている。その辺は抜かりないだろう。

 九郎が於小夜の枕頭に現れるより、三日前。

(北近江の浅井家か。信長め、尾張から京まで危なげなく進む道を拵えおったか。まぁ所詮、これも我が武田家のための、露払いにすぎぬわい)

 報せを聞いた信玄は、内心でほくそ笑んだ。桶狭間で今川義元を撃破したと言っても、武田家から見れば取るに足りない大名。何も恐れることはなしと思っている。

 今のところ武田家に対し信長は、あくまでもへりくだった態度を取っている。切腹せしめた嫡男・義信の妻には信長の養女を迎え彼女が病没すると、今度は信長の嫡男・信忠と信玄の五女である松姫との婚約が整った。とはいえ松姫は七歳の童女である。婚約が整ったために新舘の御寮人と呼ばれ、嫁ぐ日を待っていた。

 だが美濃攻略を終えた辺りから、信長は堂々と『天下布武』を使い始めた。武力によって世を治めることを宣言されたのだ。諸大名が面白くないのは当然である。信玄とて面白くなかったが婚約も整っているので表向き、信長は自分に敵意を見せていない。とりあえず静観しているところへ、織田家と浅井家の同盟ときた。

(浅井家は以前から越前の朝倉家と、よしみを結んでおる。当主の長政はともかく、先代の久政は朝倉家との結びつきを重視していると聞く。くくく。これは面白き事になりそうじゃ)

 信玄にしてみれば、織田と浅井がこのまま仲良く手を取り合い、京近辺を治めるならばそれも良し。万が一にも手切れとなったとしても、潰し合って国力を落とすことは都合の良いことだ。

 信玄は領国を充分に治め、地固めをしてからでないと新たな戦に討って出ない。力を温存し、その間に織田や松平元康改め徳川家康が戦をして疲弊するならば、武田家にとって有利となる。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

野球部の女の子

S.H.L
青春
中学に入り野球部に入ることを決意した美咲、それと同時に坊主になった。

6年生になっても

ryo
大衆娯楽
おもらしが治らない女の子が集団生活に苦戦するお話です。

RUBBER LADY 屈辱の性奴隷調教

RUBBER LADY
ファンタジー
RUBBER LADYが活躍するストーリーの続編です

同僚くすぐりマッサージ

セナ
大衆娯楽
これは自分の実体験です

♡ちょっとエッチなアンソロジー〜アソコ編〜♡

x頭金x
大衆娯楽
♡ちょっとエッチなショートショートつめあわせ♡

通り道のお仕置き

おしり丸
青春
お尻真っ赤

処理中です...