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壱幕 織田家の佳人

第15話

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「於小夜は嫁いだことがあるのでしたね。顔も知らぬ者同士が夫婦めおとになったとしても、上手く暮らしてゆけるものですか? 兄上さまと義姉あね上さまを見ていれば、上手くいくこともあるとは判るのですが、しかし」

 下々の者でも親の決めた相手と夫婦になることがある。ましてや大名はそれに、政治的な思惑が絡んでくる。信長と帰蝶がそうであったように、婚姻という形で敵対していた家同士が同盟を結ぶ意味が強かった。ましてや信長は、これから上洛しようと考えている。妹を少しでも京に近い、有力大名に嫁がせようと考えているであろうことは、容易に察せられた。

 於小夜は嫁いだことはないが、生娘ではない。男女を問わず忍びは、己の肉体を武器に情報を聞き出す。ゆえに男女ともに基礎的な修行を終えると、性の手練手管の手解きを受ける。お市が口にした不安は、この夫婦生活のことを指しているのだろう。夫と死別したというのが、於小夜の現在の身の上。嘘がばれぬよう寡婦になりきって、訥々と偽りの経験談を語り出す。

「お市さま。おのことおなごは所詮、なるようにしかならぬものでございます。馬には乗ってみよ人には添うてみよ、でございます。最初の内は戸惑いや不安がございましょうが、月日が経つ内にそれは消えていきますよ」

 やわらかく微笑みながら嘘八百を並べ立てるが、お市には於小夜の言葉が偽りに満ちたものとは判らない。忍びの術でも重要なものは、演技力である。全くの他人を完璧に演じきり、微塵も疑わせないようにせねばならぬのだから、この術の習得には時間がかかる。明らかに演じていると見抜かれてはいけない。いかに自然体でいられるか。彼女は寡婦を見事に演じきり、未婚でありながら、夫婦の心得を説いてみせた。

「さようか。まだ嫁ぎ先も判らぬ内から、あれこれ先のことを案じても仕方ありませぬな。於小夜、礼を言います」
「お市さま」

 永禄八年の今、十八歳になったお市は、相変わらず白百合のような美しさだ。清純で可憐で、男女を問わず心を惹きつけて止まない。それは於小夜も同様であるが、彼女は武田の忍びなのだ。

(問題はお市が嫁ぐ際、私も従うか否か。その時が来た時、お屋形さまのご判断は如何に)

 於小夜が織田家に潜り込んだ当初は、信長は強大な武田家に何かと気を遣い様々な贈り物をしたり、自分の養女を武田家に嫁がせたりと、へりくだった態度を見せていた。現在、信玄は信長に対して何ら脅威を感じていない。於小夜に対しても戻ってこいといわず、お市付きのまま織田家の様子を探らせている。

 お市が何処に嫁ぐにせよ、嫁ぎ先の様子を探り取らせる腹積もりなのだが、於小夜は早く甲斐国に戻りたい気持ち半分、このままお市と共に他国に着いていきたい気持ち半分と、揺れ動き始めていた。

 この情に脆い部分が於小夜の忍びとしての欠点であり、いつまでも半人前扱いされる原因だ。その他の技術は高いのに、肝心の部分が弱い。信玄もそこが気になってはいるが、侍女として潜り込ませるだけならば危険は少なかろうと判断したのだ。
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