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壱幕 織田家の佳人
第13話
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翌日。お市は辰の刻になると、襷掛けに汗止めの鉢巻き姿も凛々しく庭に立っている。相対するは、これも襷掛けに鉢巻き姿の於小夜。主従は稽古用の刃引きした薙刀を手に、一合二合と斬り結ぶ。
「やあっ!」
裂帛の気合いと共にお市が踏み込んでくるが、於小夜は幼い頃から男忍びと共に武芸の稽古に励んでいたため、生温くて仕方がない。しかし気振りともそんな態度は感じさせず、ついつい本気で稽古をつけてしまう。
「お市さま、そろそろ」
於小夜がこう切り出してもまだと言い張り、もう一本、もう一本と打ち込みが続く。これにはさすがの於小夜も持て余し気味になった。結局、お市は於小夜から八本の内一本しか取れなかった。それも、いい加減鬱陶しくなってわざと手を弛めた結果である。
口惜しさに美しい顔を歪めながらも、
「明日こそは、於小夜を打ち負かせます」
と、意外にも負けず嫌いな一面も覗かせた。
そんなお市に於小夜はついつい顔を綻ばせ、日を重ねるごとに武術稽古が楽しくなってきた。同時に可憐な風貌の蔭に隠れがちだが、やはり乱世に生きる姫君としての凛々しさに、いつしか於小夜は惹きつけられていった。
自身には同じ三ツ者の姉がいるが、弟妹はいない。身分違いであるが、妹という者がいたらこんなにも可愛らしく思うのかと、務めを忘れかけることもある。その点が、於小夜は半人前だと言われる所以である。
それはさておき、於小夜にとっても身体を鈍らせないための稽古である。於小夜にはその他にも侍女としてお市の身辺の世話もあり、なかなかの重労働だ。しかし忍びの修行を積んできた彼女には、何てことのない事だった。それよりも骨が折れるのは、信長の寝所が掴めないかと夜な夜な探りを入れることだ。
夜になると、どこからともなく忍びの気配が濃厚となってくる。相手に悟られぬよう気配を消しながら探索するのは、昼間の層倍疲れる。だがこれも敬愛する信玄の役に立ちたい一心で、命じられていないことを探っていた。もしかしたら、密約などが判るかもしれない――そんな微かな期待に胸を膨らませながら。しかし来る日も来る日も探索は空振りに終わり、闇に紛れている忍びの気配は濃厚になる一方だった。
(諦めねばなるまい。口惜しいことじゃが、私一人では、どうにもならぬ)
せめてあと二、三人ほどこの清洲城に仲間が潜り込んでいれば、いくらでも手が打てたが、一人きりでは行動に制限ができてしまう。
永禄五年に入ると、信長の周辺にも動きが表れた。
二年前の桶狭間の合戦で今川家から独立した松平元康(徳川家康)と信長が、同盟関係を結ぶという話が舞い込んできた。
於小夜は元康のことを、小耳には挟んでいた。幼少の頃から織田家と今川家の人質に交互になり、最終的には今川家の人質となった挙げ句、亡き義元の姪を正室に貰ったと。大変な苦労人であることくらいは、於小夜のような半人前の忍びでも常識として脳裏に叩き込んである。
城内が慌ただしい。
互いの使者が頻繁に行き来し、二心なき同盟だと念入りに確認し合い同盟は結ばれた。これを清洲同盟という。この話を掴んだ於小夜は、さっそく刀鍛冶師の清四郎宅へ夜中に訪問し、このことを甲斐国のお屋形さまへ報せてくれるよう頼んだ。店の若い職人がその夜の内に甲斐国へ走ったが、報せを受けた信玄は最初、この同盟を聞いても特に心を動かされなかった。
「やあっ!」
裂帛の気合いと共にお市が踏み込んでくるが、於小夜は幼い頃から男忍びと共に武芸の稽古に励んでいたため、生温くて仕方がない。しかし気振りともそんな態度は感じさせず、ついつい本気で稽古をつけてしまう。
「お市さま、そろそろ」
於小夜がこう切り出してもまだと言い張り、もう一本、もう一本と打ち込みが続く。これにはさすがの於小夜も持て余し気味になった。結局、お市は於小夜から八本の内一本しか取れなかった。それも、いい加減鬱陶しくなってわざと手を弛めた結果である。
口惜しさに美しい顔を歪めながらも、
「明日こそは、於小夜を打ち負かせます」
と、意外にも負けず嫌いな一面も覗かせた。
そんなお市に於小夜はついつい顔を綻ばせ、日を重ねるごとに武術稽古が楽しくなってきた。同時に可憐な風貌の蔭に隠れがちだが、やはり乱世に生きる姫君としての凛々しさに、いつしか於小夜は惹きつけられていった。
自身には同じ三ツ者の姉がいるが、弟妹はいない。身分違いであるが、妹という者がいたらこんなにも可愛らしく思うのかと、務めを忘れかけることもある。その点が、於小夜は半人前だと言われる所以である。
それはさておき、於小夜にとっても身体を鈍らせないための稽古である。於小夜にはその他にも侍女としてお市の身辺の世話もあり、なかなかの重労働だ。しかし忍びの修行を積んできた彼女には、何てことのない事だった。それよりも骨が折れるのは、信長の寝所が掴めないかと夜な夜な探りを入れることだ。
夜になると、どこからともなく忍びの気配が濃厚となってくる。相手に悟られぬよう気配を消しながら探索するのは、昼間の層倍疲れる。だがこれも敬愛する信玄の役に立ちたい一心で、命じられていないことを探っていた。もしかしたら、密約などが判るかもしれない――そんな微かな期待に胸を膨らませながら。しかし来る日も来る日も探索は空振りに終わり、闇に紛れている忍びの気配は濃厚になる一方だった。
(諦めねばなるまい。口惜しいことじゃが、私一人では、どうにもならぬ)
せめてあと二、三人ほどこの清洲城に仲間が潜り込んでいれば、いくらでも手が打てたが、一人きりでは行動に制限ができてしまう。
永禄五年に入ると、信長の周辺にも動きが表れた。
二年前の桶狭間の合戦で今川家から独立した松平元康(徳川家康)と信長が、同盟関係を結ぶという話が舞い込んできた。
於小夜は元康のことを、小耳には挟んでいた。幼少の頃から織田家と今川家の人質に交互になり、最終的には今川家の人質となった挙げ句、亡き義元の姪を正室に貰ったと。大変な苦労人であることくらいは、於小夜のような半人前の忍びでも常識として脳裏に叩き込んである。
城内が慌ただしい。
互いの使者が頻繁に行き来し、二心なき同盟だと念入りに確認し合い同盟は結ばれた。これを清洲同盟という。この話を掴んだ於小夜は、さっそく刀鍛冶師の清四郎宅へ夜中に訪問し、このことを甲斐国のお屋形さまへ報せてくれるよう頼んだ。店の若い職人がその夜の内に甲斐国へ走ったが、報せを受けた信玄は最初、この同盟を聞いても特に心を動かされなかった。
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