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第1章 戦国の大海原 1567年7月~

第二十五話 妹 (第1章最終話)

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 一五六八年(永禄十一年)一月

 俺達にとっても、織田家にとっても大きな変化を遂げた年が明け、遂にその日がやって来る。
 
 「お市様、支度が出来ました。」
 「はい。」
 その日、婚礼衣装を着たお市の姿を一目見ようと、城下は多くの人だかりで溢れ返っていた。


 「おいぃ!どうにかしてくれぇ!」
 俺と遠藤は民の混乱を抑えようと、他の男達と共に城門を押さえる。城門は天守と城下町の間にあり、普段は民は入ることが出来ないという決まりが存在しているが、今回ばかりはそうもいかず、そんな決まりはよそに許しを請おうと、協力して門を開けようとする者達がいたのである。
 そんな民の結束した力は、想像以上のもの。一瞬でも気を抜けば、突破されてしまいそうだ。


 「越間!あいつどこ行ってんだ!?」
 「『俺は店番だからぁ』とか抜かして逃げやがった!」
 「コシマァァァァ!!!」



 「ん?今なんか呼ばれた気が……」
 それは、俺の叫びが空に響き渡る、そんな冬の日のことである。
 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 用意された車までの道を、家臣たちは総出で迎える。
 「なんと美しい……」
 彼女を一目見ると、人々は皆揃って感嘆の吐息を漏らしたという。
 
 「来られたぞ。」
 勝家はその言葉に反応する。
 「信じられぬ美しさだ……」
 「あぁ、左様じゃな。」
 周りの男たちは皆、揃ってそう口にする。
 夢かうつつか。其れすらも分からなくなってしまう程に、彼女の姿は勝家かれの目を奪ってしまった。

 
 勝家は葛藤する。
 このまま何も伝えなくて良いのか。


 勝家は心の中で、迷いを捨てきれずにいる。
 お市は、そんな彼の前を、平然と通り過ぎた。

 行ってしまう
 もう、行ってしまう

 まってくれ



 「おいちさま……っ!」


 抑えきれなくなった彼は、彼女を呼び止めてしまう。
 
 
 この気持ちだけでも伝えなければ、きっと後悔してしまうと思った。



 お市はその声に振り返る。
 勝家の姿を捉えるや否や、彼に向けて一度、会釈した。

 「……っ……」
 
 何も言えなかった。
 冷たい風が、彼の袖を揺らす。
 あと一歩のところで、思い留まってしまった。

 どうして、あんな顔をするんだ。
 彼女の中に見え隠れしていた、どこか悲しげな笑顔を。


 行ってしまう
 じわりと、彼の視界が霞む。



 馬鹿だな。叶わぬものと、知っていた筈なのに。


 「勝家殿、いかがした?」
 「……目に砂が入っただけじゃ……っ!」
 佐久間の問い掛けに、勝家は背を向ける。

 勝家の心情を悟った佐久間は笑みを浮かべる。
 彼の一図な心を称えるかの様に、彼の背中をさするのであった。

 
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 お市は城門に辿り着く。
 最後に彼女を迎えるのは、兄の信長である。

 「では、行ってまいります。兄上様。」
 信長はそんなお市の頭を撫でる。

 「くれぐれも、身体には気を付けるのだぞ。
 若し何かあれば、御付きの者に直ぐ伝えるのだぞ。」
 「ふふ、兄上様は心配し過ぎですよ。」
 そう言いながらもお市は頷く。
 その様子を見て安心したように、彼は門を開ける。そこには立派な車が一台。


 今は、言うべきではない。
 今するべきことは、いもうとを最後まで見送ることだ。


 「市、達者でな。」
 お市は再び笑みを浮かべ、言った。

 「はい、兄上様もお元気で。」


 彼女の乗った車が動き出す。ゆっくりと、彼女を待つ男のに向かって。
 涙を流す者、旗差を天に掲げて振る者、その車の後を、涙ながらに追おうとする者。
 俺はその光景を静かに見ていた。



 彼女は美しく、花の様な人だったという。
 暇さえあれば、しばしば城下に顔を出し、多くの民と言葉を交わしていたという。
 また、戦がある度に民の先頭に立ち、民を引っ張る存在であったという。
 民に近い存在であった彼女は、きっと全ての民に慕われていたのだろう。

 近江は、寒いのだろうか。


 お市は、近江の浅井長政に嫁ぐ。
 だが、俺は知っている。
 このまま史実通りに事が進んでしまえば、きっと



 「お隣、いいですか?」
 女性の声によって、現実に引き戻される。
 俺は平然とした態度で、場所を譲る。

 (女中の人か?)
 長い髪。透き通るような肌。彼女は遠ざかるお市の車を眺めている。
 俺はこの人を知らない。見たこともない。
 しかし、美しい御人だ。




 「貴方が、清重殿ですね。」
 



 突然の女性の発言に、俺は驚く。
 「……どうして俺の名を……」
 「殿から噂は聞いております。よほど信頼されているようですね。」

 
 「奥方様!こんな所にいらしたのですか!」
 その時、俺達の許に女中らしき人がやって来る。
 「奥方……?」

 そして俺は気づく。この人は信長の正妻、帰蝶様だと。

 「少しくらい良いではありませんか。松殿、今晩このお方を〈かの処〉まで案内して差し上げて。」
 「なっ!奥方様!」
 「では、お待ちしております。」
 こうして帰蝶はその場を去る。

 
 気付いた頃には、そこには家臣の一人もおらず、お市の車は既に見えなくなっていた。
 

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 「あれ?清重、こんな時間にどうした?」
 「いや、ちょっとな。」

 俺は帰蝶に呼ばれていることを遠藤や越間には言わなかった。その夜、屋敷の外に出ると、昼間の女中が雪のちらつく中で俺を待っていた。

 約束通り案内されたのは、城の階段を何段か上がったところにある一室。


 「ここ……って……まさか……」

 松が障子を開けると、其処に花を生ける女性が一人。
 「清重殿、此方ですよ。」
 清重の来訪に気づいた彼女は微笑む。

 「姫様、じきに夜も更けます。早く終わらせてくださいませ。」
 「分かっておりますよ、松殿。」
 
 俺は恐る恐る、その場に座る。
 「もっとお近づきになって。」
 帰蝶の言葉に返事をし、二歩近づいた。

 まさか、帰蝶の部屋に案内されるとは。

 「あの……一体何の用で……?」
 そう訊ねると、帰蝶は花をその場に置く。そして一歩近づいて、俺の顎を持った。
 「!?」



 「……やはり。殿がどうして貴方様をそこまで気にかけておられるのか、分かりました。
 その目の奥にある〈恐ろしいもの〉を、私は見逃したりは致しませんよ。」



 何を、言ってる?


 「清重殿。貴方様はまだ気づいてはおらぬのです。己がいかほどの優れた目と才をお持ちか。
 殿は申しておりました。貴方様はいつか、殿と共にこの日本ひのもとを動かす、そんな存在と成り得ると。」
 「ひのもとを……うごかす……?」
 あの信長が、そう言ったのか?

 「ただ、貴方様はまだ己について何も知ってはおらぬ様ですね。
 だからこそ、私は此処で、貴方様にお伝えせねばならぬと考えたのです。」
 そう言って、帰蝶は再び息を吸い込む。


 「私が言えることはただひとつ。その目を忘れてはなりませぬ。一歩間違えれば、貴方様は日の本の全ての者を、天下を、敵に回しかねません。」


 「……それは、どういう?」
 「それほど、貴方様は恐ろしい存在なのです。」
 おそろしい?俺が?
 
 
 
 その瞬間
 全身に寒気を感じる。
 同時に、ある映像が脳裏を支配する。


 そこは、軍議が開かれる大広間。
 その中心に座る、一人の男。
 男は碁盤に一つずつ、石を並べている。
 すると、彼の手が止まり、此方を向いた。




 「あの男は、危険だ。だが、巧く扱えば、良い脅威となるであろう。」




 俺の中で、《信長》は不敵な笑みを浮かべ、そう呟くのだった。




 第1章 完
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