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第1章 戦国の大海原 1567年7月~

第五話 一夜の夢現(ゆめうつつ)

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 夕陽が沈んでゆく

 どれほどの距離を走ってきただろうか。山本はただ神社を目指して道なき道を走る。既に制服はボロボロで、足には力が入らず、何度躓いても、その度に立ち上がってはまた走る。

 「ぁ......あぁ......!」
 神社の屋根が遠くに見える。その存在に気づいた山本の表情が自然とほころぶ。

 あそこには、みんながいる

 それだけを考え、彼はお社の敷地に飛び出す勢いで走り出した。


 彼が勢いよく森から出た瞬間のこと。

 ごつっ
 「痛て!」

 山本は誰かと衝突し、尻餅をつく。

 「山本......!」
 目の前から聞き覚えのある声がする。彼はゆっくりと目線を上げ、その正体を確認した。
 「田渕先生......っ!」
 
 目の前に、田渕が頭を抑えながら立っていた。

 彼は日が沈むことで辺りが暗くなり、多くの人がお社の中に入った後でも、一人でずっと山本のことを探していたのだ。田渕は山本の前でしゃがみ、山本(かれ)の肩を掴む。

 「おい!どこ行ってたんだお前!!俺がどれだけ心配したと思ってる!?」

 田渕のその顔は本気だった。
 田渕先生このひとは 山本じぶんのことを本気で探してくれていた
 それが、山本にとって素直に嬉しいことだった。
 道なき山をがむしゃらに走っていた時は、ここまで一生たどり着けないとさえ思っていた。あんなことを言った自分を迎え入れてくれるのだろうかと心配にさえなった。

 斯くして山本は気づく。《心配してくれる人がいることは、とても幸せなことなんだな。》と。

 「すみませんでした。」

 田渕は突然の出来事に固まる。
 彼が素直に謝る姿を見たのは久方ぶりであった。何があったのかと彼を不審に思うが、それは教師としてあるまじき行為だと思い直し、目の前の生徒の素直さを認めることにした。

 (こいつ、きっと根は良い奴なんだ。)
 ただ、不器用なだけで。

 「......そうか。」
 田渕の表情が和らいだ。山本は田渕に一礼をして、彼の横を何事もなかったように通り過ぎる。しかし、田渕には分かっていた。
 ボロボロになりながらも無事神社に到着できたことを心からほっとしているのを、隠そうとしていることを。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 ここから少しばかり時間を遡る。
 太陽が西の山へ沈んだ後のことだ。

 先生と生徒は、山の中を流れる小さな川を見つけ、そこで身体を洗う。その後大広間へ集まり、木を集め、ライターを使って部屋の囲炉裏 囲炉裏いろりに火をつけ、生徒達はそれを灯り代わりにする。辺りにコンビニも自販機もない為、殆どの者は昼の弁当の残りを食べたり、分けてもらったりして腹を満たしていた。

 「山本くん、まだ戻って来てないんですか?」
 唯の親友である田上鈴 田上鈴たのうえりんは、唯と共に今吉に尋ねる。今吉は首を横に振るが、すぐに笑顔を見せる。

 「田渕先生が捜してるから、きっとすぐ見つかるよ。大丈夫、心配する必要はない。」
 田上はゆっくり頷く。その様子を見ていた唯は彼女の肩に手を置く。

 「大丈夫。お腹空いたら戻ってくるよ。あの人基本大食いだから。」
 「う......うん、そう、だよね。」

 唯は笑顔を見せる。彼女は本当に頼もしい。田上は良い親友を持ったと、心からそう思った。

 
 「......遠藤?どうした?」
 遠藤は壁際で呆けた様に座っていた。達志の声に気づいた遠藤は、彼の方を見る。
 「あ......ごめん、少し眠くてな......」

 周りを見渡すと、横になっている者が大半である。達志には全員が疲れ切っているように見えた。訳の分からない事が続いたことに加えて、家に帰ることが出来ない為、体力的にも精神的にも仕方のないことなのだろうと、自らを納得させた。

 その時、部屋の外から足音が聞こえ、ばんと障子が開く。

 そこに現れたのは、山本と田渕だった。

 「山本!」
 達志は立ち上がる。同時に多くの者が気づき、山本の方を向く。
 「どこ言ってたんだ......!てかなんでそんなにボロボロなんだよ!?」

 生徒の言葉を横耳に、山本は全員の前に立つ。
 「皆、心配かけてごめん。」そう言って彼は遠藤の方を見る。遠藤は目を逸らし、山本の顔を見ようとはしなかった。

 「遠藤......あんなことしてしまって、本当にすまなかった。取り乱してたんだ。皆も訳分かんねぇって思ってるはずなのに。」

 遠藤はふんと鼻を鳴らし、「もういいよ。」と一言。それを聞いた達志は安堵の表情を浮かべた。相手の顔を見ずとも、遠藤が放ったその一言は、仲直りの印であることを達志は知っていた。


 「山本くん、すまなかった。私も少々苛立っていたようだ。つい言い過ぎてしまった。教師としてあるまじき行為だ。謝らせてくれ。」

 教頭先生は彼の側へ歩み寄り、深々と礼をする。山本は苦笑いを浮かべ、大丈夫だと応えた。
 本当はいい奴なんだ。達志は山本 山本かれの事を少し知れた気がして嬉しかった。

 「......なあ、皆。疲れてる所申し訳ないんだが、少しだけ俺の話を聞いてくれないか。」

 その言葉に、多くの視線が再び山本に向けられる。彼は先程とは一変、深刻な表情を浮かべていた。

------------------------

 その場にいる全員が山本を囲んで円になる。山本は今までに起こったことを全て、余すことなく語る。

 「武将......?」
 山本はこくりとうなずく。
 「三つ目の山を越えたところだ。時代劇に出てくるような武士が二人、馬に乗ってたんだよ。」
 「やっぱり......」
 全員の目が田渕の方に集まる。何かに気づいたように山本の目を見る田渕。

  「......やっぱり、〈あれ〉と関係があったんだな。」
 「あれ、って......」

 生徒たちは田渕の言葉によって気づく。和尚さんの自殺、気温上昇、景色の変貌、それに加え、不可解な要素がもう一つあった。

 あの《現象》だ。

 「......あ」

 その時、彼らは勘づいた。あの現象とこの状況がリンクしているなら、もしかするかもしれない。

 田畑と森に囲まれた光景。冬なのに夏のような気候。そして、和尚さんのあの言葉。

 〈いざ、あの素晴らしき世へ。〉

 「そ......そんなわけ......」
 馬鹿馬鹿しく、漫画みたいな話だ。しかし、あの現象が関わっていないとは、どうしても思えない。現に、あの現象に関わった者しか、ここにいないのだから。


 田渕は俯いた。



 「俺たちは、タイムスリップしちまったんだ......恐らく、戦国時代に......」



 全員が言葉を失う。
 
 あくまで推測だ。だが、誰も異論を唱えることはなかった。
 あの現象と和尚さんの異変がきっかけかどうかは分からない。しかし、関係があるのは確かだ。少なくとも、何処かの場所へ冬の夕方から夏の昼間にタイムスリップした。とでもすれば辻褄が合う。いや、合いすぎるのだ。

 しかし、一体なぜ自分たちがこんな目に合わなければいけないのか。生徒達にはどうしても分からなかった。

 沈黙が続く。暫くしてそんな空気を壊すかのように、校長が手をぱんぱんと叩く。

 「ま、まあ、とにかく今日はもう休みましょう。皆さんも眠たいでしょう。明日の朝には、元の景色に戻っているかもしれませんしね......」
 「......」

 校長は彼らをなだめるように言う。校長のいう通り、これ以上考えても仕方ないと考えた生徒たちは寝ることに決めた。

 大部屋は部屋の真ん中にある障子で半分に分けられる為、男子と女子で部屋を半々に分ける。誰も一方の部屋に入らないことを約束して、囲炉裏の火を切った。布団がない以上、床が畳であることが、唯一の救いだった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 真夜中、田渕は神社の縁側に座っていた。生徒達は疲れているのか、ぐっすりと眠っている。空には満天の星が光り輝いている。都会では普段見ることのできない様な光景だ。

 彼は携帯電話を取り出し、電源をつける。「1/4 午前9:26」時間表示も日付表示も出鱈目 出鱈目でたらめ。いや、出鱈目というのは違うのかもしれない。この時間は恐らくタイムスリップ前の時間と等しい。だとすれば実質皆の身体は夜の間ずっと起きていたということになる。生徒達だけでなく先生達も疲れているのは当然だ。

 田渕はじっと待ち受け画面を見ている。田渕と女性の間に、小さな子供がいるスリーショット。田渕はそれを見るなり、目を細める。

 「秋穂......」

 その時、背後から足音が聞こえた。田渕は驚いて振り向く。その正体が分かった時、田渕は息を吐いた。

 「先生......」
 そこには達志が立っていた。
 「お前も眠れないのか?」
 田渕は微笑んで訊ねる。そして、隣に座る様に促した。
 
 「俺の奥さんと息子だ。もうじき小学生でな。だんだん生意気になりやがる。ははは、まあ男はそれくらいじゃなきゃな。」

 待ち受け画面を見せながら発するその声は、どこか寂しそうにも聞こえた。奥さんも息子もいるのに、こんなことに巻き込まれてしまったんだと思った達志は、静かに俯いた。

 「僕たち......本当にタイムスリップしちゃったんですかね......本当に帰れるんですかね......」

 田渕は空を見上げる。こんなことを聞くべきじゃなかったと達志は後悔した。最も帰れなくて辛いと感じているのは、田渕に違いないというのに。

 「帰れるさ。いや、帰るんだよ。必ず。」

 達志はそんな田渕の言葉に驚く。どうしたらそんなに前向きに考えられるんだろうか。

 (あぁ、凄いな。)

 大人は皆そうなんだろうか。皆、誰かの為に前向きでいられるんだろうか。だとしたら、俺はそんな大人になれるんだろうか。
 達志は心の中で落ち込む。

 「清重、まだ眠くないか?」
 田渕の言葉に、達志はこくりと頷く。

 「そうか。じゃあせっかく二人きりになれたんだ。少しお前の父さんの話をしようじゃないか。」
 


 達志の父、清重政虎は高校時代剣道でインターハイ3連覇を成し遂げ、『現代の武蔵』と恐れられた男。卒業後は警察官として勤務しながら、母校、北大宮高校剣道部の指導をしていた。その時高校生だった田渕は政虎の指導を受けていたと、母親から聞いたことがあった。

 「清重先生は本当に厳しい人でなあ、そりゃ毎日しごかれたよ。全く。」と田渕は笑う。
 「すみません......」達志は苦笑いを浮かべながら、政虎との日々を思い返していた。男の剣道姿を知っている者は皆、鬼の様な人だったと口にする。しかし、自分に対しては、怒られた記憶がないというほど優しかった。彼は、剣道をする姿をいつも背中で応援してくれていた。
 
 「......あれから五年か。」
 田渕は何処か遠くを眺めるような、そんな目をしていた。

 何処からか、蝉の鳴き声が聞こえる。




 政虎は五年前、達志が中学1年生の時、病に倒れ、この世を去った。

 彼の葬式には、警察官や剣道関連のお偉いさんが沢山来ていたという。しかし、そこには田渕の姿はなかった。

 「きっと、怒っていただろうな。」
 「......先生は、どうしてお葬式に行かなかったんですか?」
 「お前がそれを聞くのか......」
 田渕は内心驚いていた。

 「清重先生が亡くなったって話を聞いた時、丁度研修で海外にいたんだ。すぐ帰国の準備をしたが、結局間に合わなかった。本当に申し訳ないよ。」



 〈俺、学校の先生になります。先生みたいに剣道を教えたいんです。もしその夢が果たせる日が来たら、また会いに行きます。〉

 後悔している。高校の卒業式の日、あの日にした約束を、果たすことは出来なかった。
 田渕は最後まで、会うことは出来なかった。

 〈はは、そりゃ楽しみだ。その時には酒でも飲んで話し合えたら良いな。〉
 記憶の中で、政虎はふっと微笑む。



 〈卒業おめでとう。いつまでも待ってるぞ。〉





 「二年前の四月、新入生の名簿の中から、お前の名前を見つけた。」

 達志は田渕の方を見る。俯きながら話す田渕は、強く拳を握りしめていた。
 「驚いたよ。先生の言う息子の名前と一致しているんだから。まさかと思って慌てて父親の名前欄を見た。これは運命だと思ったよ。嬉しくてたまらなかったんだ。清重、お前を見る度に、先生を思い出す。構え、蹲踞そんきょの姿勢、どこかそっくりだ。流石親子だな。」
 清重はふと微笑む。

 「清重先生はまさに鬼の様な男だと、剣道界では有名な話だ。でも、その分可愛がってもらったよ。試合で負けた日にゃ、飯に行こうと言って奢ってくれた。冗談を言い合った時もあった。あの人は、本当にいい人だ。」
 「そう言ってもらえて、父も喜んでると思います。」
 「そうか......いや、何も罪滅ぼしって訳じゃない。ただ純粋にそう思っただけだ。」

 田渕は笑みを浮かべて立ち上がった。
 「さて、眠くなってきたなぁ。もう寝よう。お前も疲れてるだろう。」


 達志は大広間へ戻る。達志はクラスメイトが熟睡していることを確認し、壁にすがって座る。


 父さん

 我慢していた彼の目から、次々と涙が溢れ出てきて止まらなかった。



 「ううぁ......ひっ......ぁあぁ......」


 達志は部屋の隅で、皆を起こさない様に、静かに、ただ泣き続けた。





 深夜、田渕はふと目を覚ます。何かの気配を感じ、田渕はその気配の先を見る。

 人影が動いている。田渕は驚いて跳ね起きた。男はゆっくりと田渕の方を見る。月光によって照らされた男の顔には、見覚えがあった。

 「おま......えは......」

 そこにいた鎧武者の顔は、何処か笑っていた。田渕の記憶は、そこで途切れたー


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 「......清重!清重!」
 「......えん...どう......?」

 遠藤の声で、達志は目を覚ます。床が冷たい。下を見ると畳が広がっており、幾人かのクラスメイトが眠っていた。

 「っ!!」

 彼は飛び起きる。そのまま縁側へ駆け出し、外の風景を目を凝らして見る。
 「......うそだろ......」
 
 蝉の鳴き声が辺りに響き、日が照りつける。暑さに汗がにじむ。

 戻っていなかった。


 「清重......」
 遠藤は弱弱しい声で尋ねるが、達志には何も聞こえてはいなかった。




 「おぉ清重、お早う。」
 呆然と立ち尽くす達志の横を何人かの生徒が通り過ぎ、縁側で靴を履き始めた。

 「お前ら、どうしたんだ......?」
 「飯が無いから朝食を採ってくるんだよ。今吉先生と一緒にな。」

 そう言うと、後ろから今吉が歩いてくる。
 「他の先生は昨日沢山働いてたのに、俺だけ何もしないってのも悪いしな。そうだ、よかったらお前たちも行くか?」

 どうせなら大勢で行った方が良いに決まっている。少し気が乗らない部分があるが、二人は彼らと共に行くことに決めた。

 「よーしこの辺りだなぁ......痛って!!このへん針付きの草多いぞ!いってぇな!!」

 そんな所から無理に入ろうとしなくてもいいのに。元気づけようと必死なのが、生徒たちには丸わかりだった。

 「この辺りからなら入れるかなぁ、お!針も少ないし入れそうだ。」
 今吉は神社の敷地の端から森に入ろうとする。しかし、彼は手前で立ち止まった。

 ガサ、ガサ、

 誰かが来る

 そう思った時には、男が目の前の草むらから現れていた。
 
 目の前に現れたのは、着物を着た、侍のような恰好をした男。身長は低い。その男は何も言わず、今吉の存在に気づくと、彼の目の前に立った。

 「なんだアンタ......」

 男の頬には、赤い痕が付いている。

 「......あれ......」
 生徒たちはその男の風貌に、目を丸くした。

 「すまない......ちょっと聞きたいことがある。ここはどこなんだ?なんでそんな恰好をしてる?」
 男は目を細め、口を開いた。

 「其方......残党か何かか?」
 「......へ?」


 その瞬間、男は今吉にしがみつき、今吉は押し倒される。


 「んな......っ!!」


 驚いた今吉は馬乗りにされる。今吉は抵抗して男の肩を掴むが、ぴくりとも動かない。

 「御免。」
 そう言い、男は懐から短刀を取り出し、彼の首に突きつける。




 ザクッ




 清重達は目の前の光景に言葉を失った。

 宙に飛び散る大量の血。今吉は掠れるような叫び声を上げる。そのまま抵抗して男を掴んでいた手が地面に落ち、力が抜けた様に動かなくなった。

 男は短刀を抜き、血を飛ばす。その時、生徒達の姿が視界に入った。



 「貴様らも、こやつの仲間か」



 血みどろの男の目は、生徒の姿を捉えたまま、笑っていた。


 続
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