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第1章 策士、俺 (1543年 4月〜)
第二十三話 終戦、其の後
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その日、諏訪頼重は武田に対し、降伏の意を見せる。晴信は彼の命を奪うことなく、弟の諏訪頼高と共に、甲府へと連行する手筈とした。
〈御射山・武田家陣中〉
「原虎胤。其の方、天晴な働きよ。
良く我が城を守ってくれた、後に甲斐にて褒美を渡そう」
血塗れの姿で家臣に支えられているのは、原虎胤。
虎胤は主君を前に薄ら笑みを浮かべ、力尽きた様に目を閉じる。
「原殿!?」
「いや、案ずるな。息はしておる。
血が足りず、気を失っておるだけじゃ」
高遠は虎胤を抱え、甲斐へ戻ると口にする。
「此れより甲斐へ戻る、各々支度は済んだか!」
威勢の良い返事を聞き、晴信は手綱を引いた。
彼を取り囲む様に、各々は歩き始める。
数千の兵が同方向へ揃い歩む姿は、いつ見ても圧巻の一言に尽きる。
「……晴幸殿」
歩き出した俺に語りかけるのは、板垣信方。
俺は彼の顔を見なかった。理由は言わずもがなである。
「先程は済まなかった、ついかっとなってしまった。
其方には其方なりの考えがあったのだろう」
「……いや、謝る事など無い。
其方は儂を止めてくれた。
寧ろ謝るのは儂の方じゃ」
板垣は頬を掻く。
初めは気不味さだけが漂っていたが、そんな感情も直ぐに綻んでしまった。
陽は既に、真南に昇っている。
「晴幸殿、一つ言っておく」
途端に、板垣の声色が変わる。
「此度のことで良く分かった。
其方は、人が変わったかの如く牙を向ける時がある。
其方を放って置くのは危険じゃ」
やはり、そうなるのだな。
俺は己の行為を認め、頷く。
「済まぬな、板垣殿」
謝ったところで意味など無い。
俺自身でどうにかなる問題ではない事は、板垣にも自明であろう。
〈《異物》の事を、他人に話すことは出来ない〉
それでも、理解してくれるだろうか。
俺が俺でなくなった時、
板垣、御前はあの時の様に、俺を止めてくれるか?
そんな事すら問うことが出来ないまま、
俺達は再び一日かけ、甲斐に戻る。
数日後、諏訪頼重の身柄は、武田家の領地である甲府の東光寺へと送られる。
俺は幾度か、甲府で頼重と対面する機会があった。
「此度は、誠に無礼を致しました」
「良い良い、其方の御陰で気付かされた。
本より儂は、死ぬ覚悟すら無かったのだ」
頼重が俺に会いたいと口にしていたと、晴信は言った。
頼重が浮かべる笑みは、祈りの届いた彼の心情を表象しているように思える。
しかし、俺の中に浮かに続ける唯一つの疑問。
俺が、怖くないのだろうか。
恐る恐る訊ねると、「少しだけは」と返答した。
「其方、晴信の軍師だそうだな」
「……は」
「儂に聞かせよ、此度の其方の策を。
何故儂が桑原城へ向かった事を知っておった」
俺はあの時の記憶を思い起こす。
それは鮮明に、俺の脳裏に焼き付いている。
俺は何もしていない。全ては〈異物〉のしたこと。
しかし、知りたいと申すならば言わない理由は無い。
俺は記憶を辿り、一から話し始めることにした。
「我らは先ず、貴方様の家臣である金刺昌春様に文を渡しました。
〈上原城にある我らの旗印を見つけさせよ〉と」
金刺昌春。頼重を桑原城へと案内し、
高遠と共に諏訪家の裏切りを図った男。
「そうじゃ、旗印を上原城に立てたのは何奴じゃ。
武田の者では無いであろう」
「はい、高遠頼継様にございます」
その名を聞くや否や、頼重はやはりかと息を吐く。
「知っておったわ、高遠が諏訪上社の惣領の地位を狙っておった事を。
まさか金刺と手を組んでいたとは思わなかったが」
残酷かもしれない。しかし、言わねばならない。
頼重の包囲が可能だった理由。
そうだ、〈異物〉は策通りに動いていた。
「頼重様、一つお伝えせねばならぬことがございます。
桑原城にて貴方様を案内したのは、我ら武田の者にございます」
頼重は驚き、直ぐに頬を緩ませる。
「ははは、それは誠か。
成程、暗闇を利用した訳じゃな」
恐らく、想定外の事態が続いたことで焦りを生んでいたというのも、彼の想定を出し抜いた要因の一つだろう。
いや、〈異物〉にとってはそれすらも想定内であったか。
「そうかそうか、敵ながら見事な策だ。
こりゃ一杯喰わされた。
流石、あやつが軍師として認めた男じゃ」
頼重は笑う。
喜び辛かった。その理由は明白。
此度の出来事は俺でなく、全て〈異物〉が起こした事なのだから。
「頼重様はこれから、如何するおつもりで」
俺の問いに、頼重は俯く。
「先の事は考えておらぬ。
しかし、当分は武田の世話になるだろうな」
諏訪頼重
セントウ 八四七
セイジ 一七五九
ザイリョク 一四三六
チノウ 一七八一
「晴幸様、城へ御戻り下され」
気づけば、日暮れが迫っている。
随分と長く話し込んでしまったらしい。
城からの迎えが来た俺は、頼重に礼をして立ち上がる。
「儂は其方が気に入った。
また来てくれ。
次は女子の話でもしようではないか」
俺は苦笑しながらも頷き、彼に背を向けた。
この男の未来を、俺は知らない。
しかし、この人には幸せになって貰いたい。
こんなにも感情が豊かで、思いやりがある。
晴信も認める程の才を、持っているのだから。
その二か月後、頼重は自身の短刀で自刃した。
それが見つかった頃には、死体は既に、腐敗して居たという。
〈御射山・武田家陣中〉
「原虎胤。其の方、天晴な働きよ。
良く我が城を守ってくれた、後に甲斐にて褒美を渡そう」
血塗れの姿で家臣に支えられているのは、原虎胤。
虎胤は主君を前に薄ら笑みを浮かべ、力尽きた様に目を閉じる。
「原殿!?」
「いや、案ずるな。息はしておる。
血が足りず、気を失っておるだけじゃ」
高遠は虎胤を抱え、甲斐へ戻ると口にする。
「此れより甲斐へ戻る、各々支度は済んだか!」
威勢の良い返事を聞き、晴信は手綱を引いた。
彼を取り囲む様に、各々は歩き始める。
数千の兵が同方向へ揃い歩む姿は、いつ見ても圧巻の一言に尽きる。
「……晴幸殿」
歩き出した俺に語りかけるのは、板垣信方。
俺は彼の顔を見なかった。理由は言わずもがなである。
「先程は済まなかった、ついかっとなってしまった。
其方には其方なりの考えがあったのだろう」
「……いや、謝る事など無い。
其方は儂を止めてくれた。
寧ろ謝るのは儂の方じゃ」
板垣は頬を掻く。
初めは気不味さだけが漂っていたが、そんな感情も直ぐに綻んでしまった。
陽は既に、真南に昇っている。
「晴幸殿、一つ言っておく」
途端に、板垣の声色が変わる。
「此度のことで良く分かった。
其方は、人が変わったかの如く牙を向ける時がある。
其方を放って置くのは危険じゃ」
やはり、そうなるのだな。
俺は己の行為を認め、頷く。
「済まぬな、板垣殿」
謝ったところで意味など無い。
俺自身でどうにかなる問題ではない事は、板垣にも自明であろう。
〈《異物》の事を、他人に話すことは出来ない〉
それでも、理解してくれるだろうか。
俺が俺でなくなった時、
板垣、御前はあの時の様に、俺を止めてくれるか?
そんな事すら問うことが出来ないまま、
俺達は再び一日かけ、甲斐に戻る。
数日後、諏訪頼重の身柄は、武田家の領地である甲府の東光寺へと送られる。
俺は幾度か、甲府で頼重と対面する機会があった。
「此度は、誠に無礼を致しました」
「良い良い、其方の御陰で気付かされた。
本より儂は、死ぬ覚悟すら無かったのだ」
頼重が俺に会いたいと口にしていたと、晴信は言った。
頼重が浮かべる笑みは、祈りの届いた彼の心情を表象しているように思える。
しかし、俺の中に浮かに続ける唯一つの疑問。
俺が、怖くないのだろうか。
恐る恐る訊ねると、「少しだけは」と返答した。
「其方、晴信の軍師だそうだな」
「……は」
「儂に聞かせよ、此度の其方の策を。
何故儂が桑原城へ向かった事を知っておった」
俺はあの時の記憶を思い起こす。
それは鮮明に、俺の脳裏に焼き付いている。
俺は何もしていない。全ては〈異物〉のしたこと。
しかし、知りたいと申すならば言わない理由は無い。
俺は記憶を辿り、一から話し始めることにした。
「我らは先ず、貴方様の家臣である金刺昌春様に文を渡しました。
〈上原城にある我らの旗印を見つけさせよ〉と」
金刺昌春。頼重を桑原城へと案内し、
高遠と共に諏訪家の裏切りを図った男。
「そうじゃ、旗印を上原城に立てたのは何奴じゃ。
武田の者では無いであろう」
「はい、高遠頼継様にございます」
その名を聞くや否や、頼重はやはりかと息を吐く。
「知っておったわ、高遠が諏訪上社の惣領の地位を狙っておった事を。
まさか金刺と手を組んでいたとは思わなかったが」
残酷かもしれない。しかし、言わねばならない。
頼重の包囲が可能だった理由。
そうだ、〈異物〉は策通りに動いていた。
「頼重様、一つお伝えせねばならぬことがございます。
桑原城にて貴方様を案内したのは、我ら武田の者にございます」
頼重は驚き、直ぐに頬を緩ませる。
「ははは、それは誠か。
成程、暗闇を利用した訳じゃな」
恐らく、想定外の事態が続いたことで焦りを生んでいたというのも、彼の想定を出し抜いた要因の一つだろう。
いや、〈異物〉にとってはそれすらも想定内であったか。
「そうかそうか、敵ながら見事な策だ。
こりゃ一杯喰わされた。
流石、あやつが軍師として認めた男じゃ」
頼重は笑う。
喜び辛かった。その理由は明白。
此度の出来事は俺でなく、全て〈異物〉が起こした事なのだから。
「頼重様はこれから、如何するおつもりで」
俺の問いに、頼重は俯く。
「先の事は考えておらぬ。
しかし、当分は武田の世話になるだろうな」
諏訪頼重
セントウ 八四七
セイジ 一七五九
ザイリョク 一四三六
チノウ 一七八一
「晴幸様、城へ御戻り下され」
気づけば、日暮れが迫っている。
随分と長く話し込んでしまったらしい。
城からの迎えが来た俺は、頼重に礼をして立ち上がる。
「儂は其方が気に入った。
また来てくれ。
次は女子の話でもしようではないか」
俺は苦笑しながらも頷き、彼に背を向けた。
この男の未来を、俺は知らない。
しかし、この人には幸せになって貰いたい。
こんなにも感情が豊かで、思いやりがある。
晴信も認める程の才を、持っているのだから。
その二か月後、頼重は自身の短刀で自刃した。
それが見つかった頃には、死体は既に、腐敗して居たという。
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