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第1章 策士、俺 (1543年 4月〜)
第七話 晴幸、熟考す
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甲斐は、駿河上隣にある。
現在の山梨県に位置し、人は其れ程多い訳ではない。
ただ、其処を治める男には、絶大な人望が有る。
武田晴信。俗に言う、武田信玄。
《甲斐の虎》と呼ばれ、近隣諸国より恐れられる名将。
その名を知らぬ現代人は、まずいないだろう。
では、ここで問題だ。
我らはこれより駿河から甲斐へ向かう訳だが、信玄の元へ一日の内に辿り着けるか否か。
答は否である。
その理由は様々有るが、主な要因は、板垣が馬を出さないことにある。
もしや、歩くことに何か意義でも感じているのか。
何にせよ、俺は苛立っているのだ。
さて、話を戻そう。
俺はこれより、武田晴信の元へ参る。
この時代に憧れる者は、俺の様な境遇をさぞ羨ましがることだろう。
俺にはそんな気持ち、全く分からないのだが。
日が傾く。
板垣は突然立ち止まり、辺りを見回す。
「じきに日が暮れる、此度は此処で夜を明かそう」
彼の言葉に応えるかの様に、御付きの者はぞろぞろと動き始める。薪を割る者、火打ち石を打ち、その薪を焼べる者等様々であるが、当の本人は何もしない。
「其方は客じゃ、任せておけば良い」
板垣の発言に頷きを見せつつも、男達の働き様を見ていると、やはりじっとはしていられないものだ。
俺は「手伝うぞ」と語り掛けるが、相手は笑みを浮かべ、「忝うござる」と返すのみである。
仕方なく、俺は川魚に木串を刺し、火にかける。
そして頬杖を突き、火の揺らめきを眺めてみる。
ぱちぱちという弾ける様な音が、何処か心を落ち着かせるのだ。
(確か、薪の中の水分が蒸発し、
外に出る際に木を突き破る音だと、
何かの本で読んだことがあったな)
乾き切った薪では、此の様な音は鳴らない。
だから知識のある人は、しばしば湿った薪を使うのである。
食事を摂り、皆が寝静まる頃。
俺は只一人、木を背に座り、満天の空を眺める。
(あの夢での俺は、やはり武田の家臣だったか)
板垣やその御付きの者の召物に描かれていたのは、四つ割菱の家紋。
やはり、あれは唯の夢では無かった。
俺は無意識に、俺の最期を見たのだ。
きっと俺は、来るべくして此処に来たのだろう。
がさり
俺は乾いた音に反応する。
誰かが来る。そう思う間に、叢から顔を出す一匹の狸。
「御前も眠れぬのか」
俺は笑みを浮かべ、手を差し出す。
狸は、俺のことは気にも留めぬと言うかの様に、叢へと戻ってゆく。
俺は微笑みながら、その背中を目で追った。
どうやら、俺に気を向けてくれる者は、此処にはいない様だな。
狸の姿が見えなくなると、俺は目を閉じる。
そう言えば、一つだけ分からないことがある。
夢の中で、俺の側にいた女性の顔。
あれだけは、何故か思い出せない。
理由はともあれ、あの女性が若殿であれば良いものだが。
それにしても、運命というものは残酷だ。
残酷な運命を受け入れねば、前に進めないのだから。
俺がこの時代の、この男に転生したのも、
きっと何かの運命なんだろう。
その様なことを考える内に、俺は眠りにつく。
こうして、今日という日が何事もなく更けてゆく。
何ら変わりない朝を、俺はまた、待ちわびる。
現在の山梨県に位置し、人は其れ程多い訳ではない。
ただ、其処を治める男には、絶大な人望が有る。
武田晴信。俗に言う、武田信玄。
《甲斐の虎》と呼ばれ、近隣諸国より恐れられる名将。
その名を知らぬ現代人は、まずいないだろう。
では、ここで問題だ。
我らはこれより駿河から甲斐へ向かう訳だが、信玄の元へ一日の内に辿り着けるか否か。
答は否である。
その理由は様々有るが、主な要因は、板垣が馬を出さないことにある。
もしや、歩くことに何か意義でも感じているのか。
何にせよ、俺は苛立っているのだ。
さて、話を戻そう。
俺はこれより、武田晴信の元へ参る。
この時代に憧れる者は、俺の様な境遇をさぞ羨ましがることだろう。
俺にはそんな気持ち、全く分からないのだが。
日が傾く。
板垣は突然立ち止まり、辺りを見回す。
「じきに日が暮れる、此度は此処で夜を明かそう」
彼の言葉に応えるかの様に、御付きの者はぞろぞろと動き始める。薪を割る者、火打ち石を打ち、その薪を焼べる者等様々であるが、当の本人は何もしない。
「其方は客じゃ、任せておけば良い」
板垣の発言に頷きを見せつつも、男達の働き様を見ていると、やはりじっとはしていられないものだ。
俺は「手伝うぞ」と語り掛けるが、相手は笑みを浮かべ、「忝うござる」と返すのみである。
仕方なく、俺は川魚に木串を刺し、火にかける。
そして頬杖を突き、火の揺らめきを眺めてみる。
ぱちぱちという弾ける様な音が、何処か心を落ち着かせるのだ。
(確か、薪の中の水分が蒸発し、
外に出る際に木を突き破る音だと、
何かの本で読んだことがあったな)
乾き切った薪では、此の様な音は鳴らない。
だから知識のある人は、しばしば湿った薪を使うのである。
食事を摂り、皆が寝静まる頃。
俺は只一人、木を背に座り、満天の空を眺める。
(あの夢での俺は、やはり武田の家臣だったか)
板垣やその御付きの者の召物に描かれていたのは、四つ割菱の家紋。
やはり、あれは唯の夢では無かった。
俺は無意識に、俺の最期を見たのだ。
きっと俺は、来るべくして此処に来たのだろう。
がさり
俺は乾いた音に反応する。
誰かが来る。そう思う間に、叢から顔を出す一匹の狸。
「御前も眠れぬのか」
俺は笑みを浮かべ、手を差し出す。
狸は、俺のことは気にも留めぬと言うかの様に、叢へと戻ってゆく。
俺は微笑みながら、その背中を目で追った。
どうやら、俺に気を向けてくれる者は、此処にはいない様だな。
狸の姿が見えなくなると、俺は目を閉じる。
そう言えば、一つだけ分からないことがある。
夢の中で、俺の側にいた女性の顔。
あれだけは、何故か思い出せない。
理由はともあれ、あの女性が若殿であれば良いものだが。
それにしても、運命というものは残酷だ。
残酷な運命を受け入れねば、前に進めないのだから。
俺がこの時代の、この男に転生したのも、
きっと何かの運命なんだろう。
その様なことを考える内に、俺は眠りにつく。
こうして、今日という日が何事もなく更けてゆく。
何ら変わりない朝を、俺はまた、待ちわびる。
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