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序章

転生者は嗤う

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 神無月の秋空に浮かぶ、たった一匹の|蜻蛉(とんぼ)。
 それは、鎧を着ける俺の肩に静かに留まる。
 その姿、まるで俺の様だと苦笑した。

 「あら」
 具足を持つ彼女もまた笑う。鎧の冷たさが我が身に染みる。
 寒い。不意に溢れた言葉が、また俺の身を震わせた。
 

 「勘助かんすけ殿」

 鎧を着け終え陣へ向かわんとする俺を、その声が引き留める。
 振り返り様に目に映る彼女のことを、俺は何処の誰よりも知っていた。

 「其方には、心苦しい思いをさせてしまったな」
 「いえ。勘助殿とならば、例え何があろうと怖くはありませぬ」

 手が震えている。嘘だと言えない。
 彼女は無理をしてしまう女だと、俺は知っている。
 裏を返せば、強い女なのだ。
 そんな彼女が何処か可笑しくなり、微笑する。

 「蜻蛉を見た時、其方は笑ったな。そして儂も笑った」
 「ええ」
 「若しかすると、同じ事を思っていたのかもしれぬな。儂と其方、きっと同じ思いを」

 彼女は何も言わず、ただ微笑む。
 その顔を見て、俺は気づいた。
 俺はきっと、本よりそれを望んでいたのだろう。
 
 蜻蛉はいつの間にか、俺の許から発ち去ってしまった。



 陣へ赴く俺の姿を捉え、男が急ぐ様に俺のもとへ駆け寄る。
 「伝令にござる!高坂・馬場隊、昨夜妻女山へ布陣した模様!」

 既に布石は打った。あとは敵の総大将が気づく時を待つ。途端に伝えられた報告は、俺の頬を緩ませた。
 ここまでくれば、もはや時間の問題である。

 俺は男の姿を横目に、語りかける。
 「虎胤とらたね殿は無事か」
 「はっ、此度の戦には、おのが身を案じ向かわぬと申しておりました」
 「それで良い。安静にと伝えよ」

 原虎胤はらとらたねは、俺の友の名である。
 先の戦で傷を負い、現在は戦線を離脱している。

 俺は陣から、白濁の景観を眺める。
 これらすべてが狙っての行動だということは、もはや言うまでもない。


 「霧が深いな、勘助」
 背後から俺に語りかける声。振り向いた先で、鎧を纏った白髪の男が笑みを浮かべる。
 男の名は小畠おばた虎盛とらもり
 ああ、そういえば、この男にも長く世話になったものだ。

 「幾分と険しい顔をしていやがる」
 「何処がだ」
 「いや、何も」

 言わずとも分かる、ツーカーの仲というべきか。
 俺は振り返り、自陣を眺める。
 四つ割菱の描かれた旗印が天に掲げられ、風になびく。
 俺の陣羽織には俺の家紋、左三つ巴が描かれている。

 戦前いくさまえの静けさを肌で感じる。こんな時、俺はいつも訊ねたくなる。

 〈もし俺が、此処で死んだらどうする〉
 そんな愚問を、俺は腹の中に仕舞い込んだ。

 「なあ、虎盛。儂がこれまで、読み合い・・・・で負けたことがあったか?」
 俺の言葉に、虎盛は笑みを浮かべた。

 「稀代の名軍師、山本勘助が此処に居る限り、我らは負けぬ!小畠隊、陣を敷け!!」
 指揮を執る虎盛。其の横で様子を伺う俺は、目を細める。総勢八千の兵が陣を敷くその光景は、壮観以外の何物でもない。

 (そろそろか)
 戦が始まる。
 五つ半を告げるように、霧が徐々に晴れ行く。






 「……な、あ?」
 陣を敷く雑兵の動きが止まる。
 俺は目先の光景に目を見開いた。





 目の前に広がるのは、
 渦を描く様に配置された軍勢。

 俺さえもその有名な旗印を
 見間違える筈がなかった。

 その渦の中心に居るのは、
 かの上杉政虎うえすぎまさとら



 「何故じゃ!?何故上杉が八幡原に居る!?」

 策が、全て読まれていた。
 俺は直ぐさま陣へ戻り、咆哮する。

 「落ち着け!敵は車懸りの陣形じゃ!
  鶴翼の陣形を敷く!!直ぐに陣を立て直せ!!」


 碁詰は失敗に終わった。別隊の向かった妻女山は、恐らくもぬけの殻。
 其れでも別隊が戻ってこないのは恐らく、雑兵と一揆勢に足止めを食らっているから。
 それも全て含め、上杉政虎の敷いた策。

 上杉勢は息つく間もなく、
 武田陣に猛攻をかける。

 
 (逆行転生からスキルまで手に入れた奴の末路が、これか)
 歯を食いしばる。流石は戦国を代表する武将だと、俺は感服した。

 「かんすけ……」
 虎盛は、俺の顔を見て硬直する。
 明らかに形勢不利の状況。
 しかし、それでも俺は笑っていた。

 「く、くくく......」
 心の底から笑いがこみあげてくる。
 抑えられなかった。この胸の高鳴りを。



 「ははははははははははは!!!!」



 俺は笑う。
 これこそが、武士の本懐だ。
 歴史に名を遺す一人の男と刃を交えることに、誇りを感じている自分が、そこにいたのだ。
 
 面白い。挑ませてもらおう。
 歴史の一端に刻まれる、かつてなき大戦おおいくさに。



 今こそ死ぬ筈だった運命を覆す、
 究極の大博打を。
 





 あの時の蜻蛉が飛ぶ。それは悠々と宙を舞う。
 一人の転生者の笑い声は、そんな秋空に、高らかに響き渡っていた。


 
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