57 / 140
第2章 街に出てみよう
46話挿話 ドラゴニュート
しおりを挟む
ボクの名前はノイン・ベルゼターク。
ちょっと前まで9番って呼ばれてたけど、お館様にノインっていう立派な名前をもらった。
ボクたちベルゼターク族はここからずっと遠くにある、黒き森ってところに住んでいた。
黒き森には僕たちドラゴニュートの部族がたくさんあって、昔は小競り合いを繰り返していたらしい。
でも、ちょっと前に前のお館様……ボクのお父様が他の部族をやっつけたからボクが卵から孵った頃にはもう平和で静かな森だった。
その平和が終わったのは今年の新春の祭りのとき。
いつもの新春のお祝いとして従属氏族のギリネルグ族が持ってきた献上品が入っているはずの箱から大量のヒューマンの兵士が出てきた。
武装したヒューマンは、武具を持ち込んではいけないことになっている宴の場にいた他の部族の偉い人やお父様の家臣たちを切り伏せると、館の門を開けて更に大勢のヒューマンの兵士とギリネルグ族を呼び込んだ。
そこからは2番兄様についていくのに必死でよく覚えていない。
宴の儀礼服のままのお父様が剣ひとつだけを持って、僕たちを逃がすために大量の兵士たちに立ちふさがってくれたのだけはしっかり覚えてる。
黒き森から落ち延びてから1週間くらい経った。
結局2番兄様と落ち延びられたのは、僕と、3番兄様、4番お兄ちゃんと、6番お兄ちゃんだけだった。
はじめは家臣や他の家族もいたんだけど、家臣たちはみんな僕たちを逃がすために犠牲になって、他の家族達は兵士から逃げる間に散り散りになってしまった。
殺されたのを見てしまった子もいるけど、他の散り散りになった家族たちはみんな無事で居ると信じたい。
僕ら5人は岩陰や草陰に身を隠しながらなんとか逃げ続けていた。
こんなところじゃ人目につきやすいのは分かっているけど、森はボクらドラゴニュートのテリトリーなので入ったらすぐに見つかってしまう。
食べ物も得られないので人間の民家から失敬してなんとか食いつないでいた。
対価としてヒューマンの間でも価値があるらしい金の装飾品を置いてきた。
ボクらを襲ってきたヒューマン相手にそんな事することないと思ったんだけど、2番兄様は真面目だからなぁ。
なんとか隠れられていた気でいたボクらが捕まったのもそんな風に食べ物を失敬した日の夜だった。
深夜、物音に眠りから目を覚ましたら松明に囲まれていた。
普段ならこんな事あるはずないのに、しばらくまともに飲み食いも出来てなければ、眠れてもいなくて注意力が鈍っていたみたいだ。
何人か義性になっても突破するしかない、そう思ってボクらが武器を手にしたとき、松明の中からニコニコとした太った人が出てきてなにか言ってきた。
何を言っているのかわからないけれど、手にはパンと干し肉のようなものを持っている。
そのヒューマンはニコニコとしたまま敵意はないと示すように、手に持ったパンと干し肉ごと両手を高く掲げて、ゆっくりと近づいてくる。
そして、武器を構えて警戒するボクの前にパンと干し肉を置くと、またゆっくりと少し下がった。
食べていいということだろうか?
しばらく何も食べていなかったところに、今日、中途半端に一口だけパンを食べてしまったので無性にお腹が空いている。
目の前に置かれたパンと干し肉しか目に入らない。
ニコニコ顔の方を見ると、やっぱりニコニコした顔のままでどうぞどうぞというような仕草をしている。
「……感謝する」
2番兄様が頭を下げてそう言うと、パンをゆっくりと味わうようにひとくち食べて、さらに干し肉も同じようにひとくち食べると、固唾を飲んで見守るボクたちに頷く。
毒とかは入っていないみたいだ。
3番兄様が分けてくれたパンと干し肉に夢中で食いつく。
美味しい……。
干し肉とは言え、久しぶりに食べたお肉の味は涙がでるほど美味しかった。
ボクたちが食べているのを見たヒューマンたちに安堵の空気が流れる。
食べ終わった僕らをニコニコ顔が手招きしている。
ボクたちはちょっと悩んだあと、顔を見合わせてうなずきあう。
ボクは……いや、2番兄様もみんなも絶望の淵で感じた優しさを信じたかったのかもしれない。
ボクたちは武器をしまうと、ニコニコ顔に招かれるまま村の中に入っていった。
こうしてボクらは捕らえられた。
目を覚ましたら目の前にニコニコ顔の顔があった。
招かれた家でご飯を食べていたら急に眠くなってきて、気づいたら手枷足枷をはめられて地面に転がされていた。
毒見はしたのにと思ったけど、体から少し甘い匂いがすることに気づいた。
強い眠りの香を部屋に充満させられたみたいだ。
絶望的な状態から抜け出せた気になって、気が抜けすぎていた。
周りを見回すけど、案内されたのとは別の窓ひとつない部屋で兄様たちの姿もない。
「兄様たちをどうしたっ!?」
ニコニコ顔……いや、ニヤニヤ顔を睨みつけるけど奴はどこ吹く風だ。
服に手をかけてきたので、暴れて手を振り払う。
手枷さえなければお前なんて素手でも殴り殺してやるのに。
そう思って睨みつけていたら、思いっきりお腹を蹴り上げられた。
「げふっ!」
そのまま何度も何度も体中を思いっきり蹴られる。
手枷足枷をはめられたボクには丸くなって身を守ることしかできない。
体中が痛くて涙が止まらない。
ニヤニヤ顔がまた服に手をかけてくる。
思わず暴れそうになるけど、ニヤニヤ顔が手を振り上げただけで体が凍りついてしまう。
大人しくなったボクを見たニヤニヤ顔は、ボクが着ていたお父様からもらった儀礼服を引き破ってボクを裸にする。
それからニヤニヤ顔はボクに色々痛いことをした。
この後のことは思い出したくない。
ただ、ボクが『こんなことをされながら生きてるなら死んだ方がいいや』と思うには十分だった。
――――――
唇に柔らかいものが触れて、口の中に液体が流れ込んできた。
甘い……。
その甘い液体を流されるがままに飲み込んでいく。
目の焦点がはっきりしてくるとボクに口移しで何かを飲ませているヒューマンの子供の顔が見えた。
思わず唇を噛みちぎってやろうかと思うけど、頭を優しく撫でられる感触にそんな考えも溶けて消えていってしまう。
泣きながらボクの顔を心配そうに見ているし、なんなんだろう?このヒューマンは。
なんかよく分かんないけど、このヒューマンに抱っこされているだけですごい落ち着く。
近づいてきただけで気持ち悪くなったニヤニヤ顔とは大違いだ。
泣き顔は何度かそうやって頭を撫でながらボクに液体を飲ますと、離れていってしまう。
もっと抱っこしててほしいと思ってその姿を目で追うと、泣き顔は6番お兄ちゃんを抱っこして液体を口移しし始めていた。
その後ろには4番お兄ちゃんと3番兄様の姿もあって、ちょっと離れたところに2番兄様もいた。
みんなぐったりしてたけど、不思議ともう大丈夫っていう気分になってボクは目を閉じた。
――――――
それからボクらはお館様に名前をもらって臣下になった。
ヒューマンからすると奴隷らしいけど、どうせボクの命はお館様のものなのでどうでもいい。
お館様の臣下になってから、ボクたちはのんびりと暮らさせてもらっている。
本当はボクの一族たちがどうなったか気になるけど、イヴァンというヒューマンが調べてくれると言うので任せている。
薄情な話だけど、今のボクらはお館様のことで頭が一杯で、お館様が一番なのだ。
たまにイヴァンから一族たちの消息を聞かされるけど、死んじゃってたり奴隷になっていたりいい話は聞けない。
一族のことは、なんとかするというイヴァンを信じて任せることにしている。
それくらいボクらはお館様のお世話で手一杯だ。
なんせお館様は、ボクらが寂しそうにしていると飛んできてくれるくせして、自分はいつも寂しそうにしている。
ボク達がいるところではいつも笑顔でいてくれてるけど、ボクたちに気づいてなかったり、ふと意識から外れたりするととたんに寂しそうな顔になる。
お屋敷の中にはこんなにいっぱい人がいるのに、なぜかお館様はすぐにひとりぼっちっていう雰囲気になってる。
説明されてもよく理解できなかったけど、すごく面倒くさい迷子になっちゃっているらしいから、そのせいなのかもしれない。
酷いときには誰も来ない物陰で1人で泣いているんだそうだ。
たまたまそれを見てしまったというドライ兄様が言っていた。
なんで兄様がそんなところにいたのかは聞かないでおいた。
兄様たちは素直に寂しがれないから大変だ。
別の日、別の物陰で逆に泣いているところを見られたドライ兄様がお館様に抱きしめられて頭を撫でられているのを見てしまった。
しばらくドライ兄様の機嫌が良かった。
話しはズレたけど、お館様は思った以上に寂しがりやなのでボクはお館様の手が空いているときを見計らって抱っこしてあげている。
……ごめん、そうやって理由つけて抱っこしてもらってる。
お館様に抱っこしてもらうと、良い匂いがしてドキドキしてフワフワーってして気持ちいい。
定期的に抱っこしてもらわないとボクはもうだめだ。
お館様中毒になっちゃってる。
いや、これが冗談じゃないから怖い。
ボクはたまたま、抱っこされ続けてドキドキがすごくなってなんかよく分かんない気分になってきたら離れてたけど、長い時間抱きついちゃってたゼクスお兄ちゃんはもうだめだ。
ゼクスお兄ちゃんは元々お館様の匂いが好きだって言ってて、徐々に抱きつく時間長くなってるなーと思ってたけど、今ではとうとう誰かが来るまで離れなくなってしまった。
しかも絶妙に人が来づらい所を選んで抱きつきに行くので、今はボクが程々のところでさり気なく通りかかることにしている。
そのせいか最近ゼクスお兄ちゃんのボクを見る目がちょっと怖い。
今度またお館様の洗濯物を取ってきてご機嫌を取っておこうと思う。
自分じゃ恥ずかしくて取りに行けないらしい。
フィーアお兄ちゃんも抱きつくのが好きな方だったけど、1度本当にたまたま屋敷のヒューマンに見られてしまってすごい恥ずかしい思いをしたらしい。
よく分からないけど、尋常じゃない恥ずかしがり方でそれ以来人前で抱きつかなくなっちゃった。
その代わりフィーアお兄ちゃんは夜中にお館様の布団に忍び込むようになってしまった。
そのまま朝まで一緒に寝てることもあって卑怯なので兄弟みんな全力で阻止しようとしてるんだけど止められた試しがない。
忍び込んでくる時は番をしている人のところにお館様1人か聞きに来て、これから忍び込みますって宣言するのに1度として阻止できたことがない。
この間はとうとう4人全員で阻止しようと見張ってたけど、翌朝にはお館様のベッドで一緒に寝てた。
ドアも窓も天井裏も、イヴァンに無理言って部屋の隠し通路まで聞いて見張ってたのに駄目だった。
お館様は別にいいって言ってるし、悔しいけどもうどうしようもないって諦め気味だ。
ツヴァイ兄様はそんなボクらのことを仕方ないなぁという感じで見てるけど、ボクはツヴァイ兄様が兄弟で1番甘えん坊なのを知ってる。
昔は強くて優しくてかっこいい頼れる兄様だったのに。
いや、今もそれはそうなんだけど、今の兄様はそんな昔の兄様の上にお館様のことを四六時中考えている兄様が乗っかってる。
お館様が近くを通りかかるといつも目で追ってるし、どんなに遠くにいてもお館様の声は聞き逃さない。
出てくる話はいつも『この間のお館様』か『今お館様は何をしているだろうか』だ。
そんなに好きならもっと抱っこしてもらえばいいのにって思うけど、ツヴァイ兄様は全然抱っこしてもらわないで腕が触ったとかですごい喜んでる。
『何やってるんだろうね?』ってドライ兄様に言ったら『大人は色々大変なんだよ』って言われた。
大人になったらああなっちゃうんじゃボクはちょっとやだなぁ。
またなんか話がズレてボクの兄弟の恥ずかしいところ暴露大会みたいになっちゃった。
まあとにかくボクは――そして恐らく兄弟たちみんなも――いつも寂しそうなお館様を何とかすることばっかり考えてる。
できるだけ一緒にいてあげるのがいいと思ってたけど、ボクは最近もっといいことを思いついた。
ボクが寂しくなったのはお父様やお母様、他の家族達が居なくなってからだ。
お館様にもお父様もお母様も居ない。
いや、居ないわけではないらしいけど、そうとう会うのが難しいらしい。
ボクはお館様のお父様にもお母様にもなれないけれど、ボクとお館様がお父様とお母様になって、ボクがお館様の卵をいっぱい産めば家族がいっぱいできる。
そうなったらお館様も寂しくなくなるんじゃないだろうか?
これはいいアイデアじゃないかな?
問題はどうすれば卵が産めるかわからないことなので、今度お館様に聞いてみようと思う。
楽しみだ。
ちょっと前まで9番って呼ばれてたけど、お館様にノインっていう立派な名前をもらった。
ボクたちベルゼターク族はここからずっと遠くにある、黒き森ってところに住んでいた。
黒き森には僕たちドラゴニュートの部族がたくさんあって、昔は小競り合いを繰り返していたらしい。
でも、ちょっと前に前のお館様……ボクのお父様が他の部族をやっつけたからボクが卵から孵った頃にはもう平和で静かな森だった。
その平和が終わったのは今年の新春の祭りのとき。
いつもの新春のお祝いとして従属氏族のギリネルグ族が持ってきた献上品が入っているはずの箱から大量のヒューマンの兵士が出てきた。
武装したヒューマンは、武具を持ち込んではいけないことになっている宴の場にいた他の部族の偉い人やお父様の家臣たちを切り伏せると、館の門を開けて更に大勢のヒューマンの兵士とギリネルグ族を呼び込んだ。
そこからは2番兄様についていくのに必死でよく覚えていない。
宴の儀礼服のままのお父様が剣ひとつだけを持って、僕たちを逃がすために大量の兵士たちに立ちふさがってくれたのだけはしっかり覚えてる。
黒き森から落ち延びてから1週間くらい経った。
結局2番兄様と落ち延びられたのは、僕と、3番兄様、4番お兄ちゃんと、6番お兄ちゃんだけだった。
はじめは家臣や他の家族もいたんだけど、家臣たちはみんな僕たちを逃がすために犠牲になって、他の家族達は兵士から逃げる間に散り散りになってしまった。
殺されたのを見てしまった子もいるけど、他の散り散りになった家族たちはみんな無事で居ると信じたい。
僕ら5人は岩陰や草陰に身を隠しながらなんとか逃げ続けていた。
こんなところじゃ人目につきやすいのは分かっているけど、森はボクらドラゴニュートのテリトリーなので入ったらすぐに見つかってしまう。
食べ物も得られないので人間の民家から失敬してなんとか食いつないでいた。
対価としてヒューマンの間でも価値があるらしい金の装飾品を置いてきた。
ボクらを襲ってきたヒューマン相手にそんな事することないと思ったんだけど、2番兄様は真面目だからなぁ。
なんとか隠れられていた気でいたボクらが捕まったのもそんな風に食べ物を失敬した日の夜だった。
深夜、物音に眠りから目を覚ましたら松明に囲まれていた。
普段ならこんな事あるはずないのに、しばらくまともに飲み食いも出来てなければ、眠れてもいなくて注意力が鈍っていたみたいだ。
何人か義性になっても突破するしかない、そう思ってボクらが武器を手にしたとき、松明の中からニコニコとした太った人が出てきてなにか言ってきた。
何を言っているのかわからないけれど、手にはパンと干し肉のようなものを持っている。
そのヒューマンはニコニコとしたまま敵意はないと示すように、手に持ったパンと干し肉ごと両手を高く掲げて、ゆっくりと近づいてくる。
そして、武器を構えて警戒するボクの前にパンと干し肉を置くと、またゆっくりと少し下がった。
食べていいということだろうか?
しばらく何も食べていなかったところに、今日、中途半端に一口だけパンを食べてしまったので無性にお腹が空いている。
目の前に置かれたパンと干し肉しか目に入らない。
ニコニコ顔の方を見ると、やっぱりニコニコした顔のままでどうぞどうぞというような仕草をしている。
「……感謝する」
2番兄様が頭を下げてそう言うと、パンをゆっくりと味わうようにひとくち食べて、さらに干し肉も同じようにひとくち食べると、固唾を飲んで見守るボクたちに頷く。
毒とかは入っていないみたいだ。
3番兄様が分けてくれたパンと干し肉に夢中で食いつく。
美味しい……。
干し肉とは言え、久しぶりに食べたお肉の味は涙がでるほど美味しかった。
ボクたちが食べているのを見たヒューマンたちに安堵の空気が流れる。
食べ終わった僕らをニコニコ顔が手招きしている。
ボクたちはちょっと悩んだあと、顔を見合わせてうなずきあう。
ボクは……いや、2番兄様もみんなも絶望の淵で感じた優しさを信じたかったのかもしれない。
ボクたちは武器をしまうと、ニコニコ顔に招かれるまま村の中に入っていった。
こうしてボクらは捕らえられた。
目を覚ましたら目の前にニコニコ顔の顔があった。
招かれた家でご飯を食べていたら急に眠くなってきて、気づいたら手枷足枷をはめられて地面に転がされていた。
毒見はしたのにと思ったけど、体から少し甘い匂いがすることに気づいた。
強い眠りの香を部屋に充満させられたみたいだ。
絶望的な状態から抜け出せた気になって、気が抜けすぎていた。
周りを見回すけど、案内されたのとは別の窓ひとつない部屋で兄様たちの姿もない。
「兄様たちをどうしたっ!?」
ニコニコ顔……いや、ニヤニヤ顔を睨みつけるけど奴はどこ吹く風だ。
服に手をかけてきたので、暴れて手を振り払う。
手枷さえなければお前なんて素手でも殴り殺してやるのに。
そう思って睨みつけていたら、思いっきりお腹を蹴り上げられた。
「げふっ!」
そのまま何度も何度も体中を思いっきり蹴られる。
手枷足枷をはめられたボクには丸くなって身を守ることしかできない。
体中が痛くて涙が止まらない。
ニヤニヤ顔がまた服に手をかけてくる。
思わず暴れそうになるけど、ニヤニヤ顔が手を振り上げただけで体が凍りついてしまう。
大人しくなったボクを見たニヤニヤ顔は、ボクが着ていたお父様からもらった儀礼服を引き破ってボクを裸にする。
それからニヤニヤ顔はボクに色々痛いことをした。
この後のことは思い出したくない。
ただ、ボクが『こんなことをされながら生きてるなら死んだ方がいいや』と思うには十分だった。
――――――
唇に柔らかいものが触れて、口の中に液体が流れ込んできた。
甘い……。
その甘い液体を流されるがままに飲み込んでいく。
目の焦点がはっきりしてくるとボクに口移しで何かを飲ませているヒューマンの子供の顔が見えた。
思わず唇を噛みちぎってやろうかと思うけど、頭を優しく撫でられる感触にそんな考えも溶けて消えていってしまう。
泣きながらボクの顔を心配そうに見ているし、なんなんだろう?このヒューマンは。
なんかよく分かんないけど、このヒューマンに抱っこされているだけですごい落ち着く。
近づいてきただけで気持ち悪くなったニヤニヤ顔とは大違いだ。
泣き顔は何度かそうやって頭を撫でながらボクに液体を飲ますと、離れていってしまう。
もっと抱っこしててほしいと思ってその姿を目で追うと、泣き顔は6番お兄ちゃんを抱っこして液体を口移しし始めていた。
その後ろには4番お兄ちゃんと3番兄様の姿もあって、ちょっと離れたところに2番兄様もいた。
みんなぐったりしてたけど、不思議ともう大丈夫っていう気分になってボクは目を閉じた。
――――――
それからボクらはお館様に名前をもらって臣下になった。
ヒューマンからすると奴隷らしいけど、どうせボクの命はお館様のものなのでどうでもいい。
お館様の臣下になってから、ボクたちはのんびりと暮らさせてもらっている。
本当はボクの一族たちがどうなったか気になるけど、イヴァンというヒューマンが調べてくれると言うので任せている。
薄情な話だけど、今のボクらはお館様のことで頭が一杯で、お館様が一番なのだ。
たまにイヴァンから一族たちの消息を聞かされるけど、死んじゃってたり奴隷になっていたりいい話は聞けない。
一族のことは、なんとかするというイヴァンを信じて任せることにしている。
それくらいボクらはお館様のお世話で手一杯だ。
なんせお館様は、ボクらが寂しそうにしていると飛んできてくれるくせして、自分はいつも寂しそうにしている。
ボク達がいるところではいつも笑顔でいてくれてるけど、ボクたちに気づいてなかったり、ふと意識から外れたりするととたんに寂しそうな顔になる。
お屋敷の中にはこんなにいっぱい人がいるのに、なぜかお館様はすぐにひとりぼっちっていう雰囲気になってる。
説明されてもよく理解できなかったけど、すごく面倒くさい迷子になっちゃっているらしいから、そのせいなのかもしれない。
酷いときには誰も来ない物陰で1人で泣いているんだそうだ。
たまたまそれを見てしまったというドライ兄様が言っていた。
なんで兄様がそんなところにいたのかは聞かないでおいた。
兄様たちは素直に寂しがれないから大変だ。
別の日、別の物陰で逆に泣いているところを見られたドライ兄様がお館様に抱きしめられて頭を撫でられているのを見てしまった。
しばらくドライ兄様の機嫌が良かった。
話しはズレたけど、お館様は思った以上に寂しがりやなのでボクはお館様の手が空いているときを見計らって抱っこしてあげている。
……ごめん、そうやって理由つけて抱っこしてもらってる。
お館様に抱っこしてもらうと、良い匂いがしてドキドキしてフワフワーってして気持ちいい。
定期的に抱っこしてもらわないとボクはもうだめだ。
お館様中毒になっちゃってる。
いや、これが冗談じゃないから怖い。
ボクはたまたま、抱っこされ続けてドキドキがすごくなってなんかよく分かんない気分になってきたら離れてたけど、長い時間抱きついちゃってたゼクスお兄ちゃんはもうだめだ。
ゼクスお兄ちゃんは元々お館様の匂いが好きだって言ってて、徐々に抱きつく時間長くなってるなーと思ってたけど、今ではとうとう誰かが来るまで離れなくなってしまった。
しかも絶妙に人が来づらい所を選んで抱きつきに行くので、今はボクが程々のところでさり気なく通りかかることにしている。
そのせいか最近ゼクスお兄ちゃんのボクを見る目がちょっと怖い。
今度またお館様の洗濯物を取ってきてご機嫌を取っておこうと思う。
自分じゃ恥ずかしくて取りに行けないらしい。
フィーアお兄ちゃんも抱きつくのが好きな方だったけど、1度本当にたまたま屋敷のヒューマンに見られてしまってすごい恥ずかしい思いをしたらしい。
よく分からないけど、尋常じゃない恥ずかしがり方でそれ以来人前で抱きつかなくなっちゃった。
その代わりフィーアお兄ちゃんは夜中にお館様の布団に忍び込むようになってしまった。
そのまま朝まで一緒に寝てることもあって卑怯なので兄弟みんな全力で阻止しようとしてるんだけど止められた試しがない。
忍び込んでくる時は番をしている人のところにお館様1人か聞きに来て、これから忍び込みますって宣言するのに1度として阻止できたことがない。
この間はとうとう4人全員で阻止しようと見張ってたけど、翌朝にはお館様のベッドで一緒に寝てた。
ドアも窓も天井裏も、イヴァンに無理言って部屋の隠し通路まで聞いて見張ってたのに駄目だった。
お館様は別にいいって言ってるし、悔しいけどもうどうしようもないって諦め気味だ。
ツヴァイ兄様はそんなボクらのことを仕方ないなぁという感じで見てるけど、ボクはツヴァイ兄様が兄弟で1番甘えん坊なのを知ってる。
昔は強くて優しくてかっこいい頼れる兄様だったのに。
いや、今もそれはそうなんだけど、今の兄様はそんな昔の兄様の上にお館様のことを四六時中考えている兄様が乗っかってる。
お館様が近くを通りかかるといつも目で追ってるし、どんなに遠くにいてもお館様の声は聞き逃さない。
出てくる話はいつも『この間のお館様』か『今お館様は何をしているだろうか』だ。
そんなに好きならもっと抱っこしてもらえばいいのにって思うけど、ツヴァイ兄様は全然抱っこしてもらわないで腕が触ったとかですごい喜んでる。
『何やってるんだろうね?』ってドライ兄様に言ったら『大人は色々大変なんだよ』って言われた。
大人になったらああなっちゃうんじゃボクはちょっとやだなぁ。
またなんか話がズレてボクの兄弟の恥ずかしいところ暴露大会みたいになっちゃった。
まあとにかくボクは――そして恐らく兄弟たちみんなも――いつも寂しそうなお館様を何とかすることばっかり考えてる。
できるだけ一緒にいてあげるのがいいと思ってたけど、ボクは最近もっといいことを思いついた。
ボクが寂しくなったのはお父様やお母様、他の家族達が居なくなってからだ。
お館様にもお父様もお母様も居ない。
いや、居ないわけではないらしいけど、そうとう会うのが難しいらしい。
ボクはお館様のお父様にもお母様にもなれないけれど、ボクとお館様がお父様とお母様になって、ボクがお館様の卵をいっぱい産めば家族がいっぱいできる。
そうなったらお館様も寂しくなくなるんじゃないだろうか?
これはいいアイデアじゃないかな?
問題はどうすれば卵が産めるかわからないことなので、今度お館様に聞いてみようと思う。
楽しみだ。
2
お気に入りに追加
1,085
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!
勇者一行から追放された二刀流使い~仲間から捜索願いを出されるが、もう遅い!~新たな仲間と共に魔王を討伐ス
R666
ファンタジー
アマチュアニートの【二龍隆史】こと36歳のおっさんは、ある日を境に実の両親達の手によって包丁で腹部を何度も刺されて地獄のような痛みを味わい死亡。
そして彼の魂はそのまま天界へ向かう筈であったが女神を自称する危ない女に呼び止められると、ギフトと呼ばれる最強の特典を一つだけ選んで、異世界で勇者達が魔王を討伐できるように手助けをして欲しいと頼み込まれた。
最初こそ余り乗り気ではない隆史ではあったが第二の人生を始めるのも悪くないとして、ギフトを一つ選び女神に言われた通りに勇者一行の手助けをするべく異世界へと乗り込む。
そして異世界にて真面目に勇者達の手助けをしていたらチキン野郎の役立たずという烙印を押されてしまい隆史は勇者一行から追放されてしまう。
※これは勇者一行から追放された最凶の二刀流使いの隆史が新たな仲間を自ら探して、自分達が新たな勇者一行となり魔王を討伐するまでの物語である※

元おっさんの俺、公爵家嫡男に転生~普通にしてるだけなのに、次々と問題が降りかかってくる~
おとら@ 書籍発売中
ファンタジー
アルカディア王国の公爵家嫡男であるアレク(十六歳)はある日突然、前触れもなく前世の記憶を蘇らせる。
どうやら、それまでの自分はグータラ生活を送っていて、ろくでもない評判のようだ。
そんな中、アラフォー社畜だった前世の記憶が蘇り混乱しつつも、今の生活に慣れようとするが……。
その行動は以前とは違く見え、色々と勘違いをされる羽目に。
その結果、様々な女性に迫られることになる。
元婚約者にしてツンデレ王女、専属メイドのお調子者エルフ、決闘を仕掛けてくるクーデレ竜人姫、世話をすることなったドジっ子犬耳娘など……。
「ハーレムは嫌だァァァァ! どうしてこうなった!?」
今日も、そんな彼の悲鳴が響き渡る。
男女比がおかしい世界の貴族に転生してしまった件
美鈴
ファンタジー
転生したのは男性が少ない世界!?貴族に生まれたのはいいけど、どういう風に生きていこう…?
最新章の第五章も夕方18時に更新予定です!
☆の話は苦手な人は飛ばしても問題無い様に物語を紡いでおります。
※ホットランキング1位、ファンタジーランキング3位ありがとうございます!
※カクヨム様にも投稿しております。内容が大幅に異なり改稿しております。
※各種ランキング1位を頂いた事がある作品です!


【完結】ぎゅって抱っこして
かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。
でも、頼れる者は誰もいない。
自分で頑張らなきゃ。
本気なら何でもできるはず。
でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる