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第1章 異世界で暮らそう

27話 惨事

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 全ては一瞬の出来事だった。

 ミゲルくんが魔力使用量の上限を定めずに水壁球を僕に使うと同時に、全身から一気に力が抜ける気持ち悪い感覚が走った。

 ひどい吐き気に思わず口元を抑えてうずくまった瞬間、全身が、いや、実験棟がミゲルくんの周りから湧き出した水で満たされ、それでも収まりきれずに壁を屋根を破壊して広がり続ける。

 激しい水の流れにもみくちゃにされて左右どころか上下の感覚すらない。

 目の前に意識を失ってぐったりとしたミゲルくんが流れてきたので、慌てて手を伸ばし服を掴むと引き寄せて全力で抱きしめる。

 ユニさんはっ!?

 もみくちゃにされながら周りを見回すけれどユニさんたちの姿を見つけることは出来ない。

 代わりに実験棟の残骸が大量に漂う辺りに大きな泡の柱が立っているのが目に入ったところで……僕は息苦しさに意識を失った。



 ――――――



 僕は浮き輪に掴まって一生懸命足をバタつかせている。

 足をバタつかせてはいるけど、バタ足なんて言う立派なものには程遠く浮き輪の推進力は前で引っ張ってくれているお父さんとお母さんだ。

 それでも僕は楽しくてしかたない。

 うおりゃああああぁぁぁーっ!ぱわーぜんかいっ!!

 もっと早くっ!と足を更に激しく動かすけど水しぶきが大きくなるだけで全然早くならない。

 お父さんたちも必死な僕を見て楽しそうに笑うだけで、引っ張る速度を早くしてはくれない。

 うおおおおぉぉぉぉっ!ならてもだっ!!!

 テレビで見た水泳選手のマネをして、手で水を掻こうとして浮き輪から手を離してしまい……。

 はぇ……?

 水の中に放り出された。

 びっくりしてもがくけれど全然浮き上がらない。

 そんな僕の様子に気づくことなくお父さんとお母さんは笑いながら浮き輪だけを引っ張ってどんどん離れていく。

 おとうさんっ!おかあさんっ!まってっ!ぼくはここだよっ!

 必死で呼びかけるけど、ガボガボという水音にしかならなくて、お父さんたちは気づいてくれない。

 まってっ!ぼくはここにいるんだよっ!!いかないでよっ!

 お父さんたちはどんどん遠くはなれていき、とうとう見えなくなる。

 お父さんっ!お母さんっ!僕を助けてよっ!!



 伸ばした手の先に見慣れてきたベッドの天蓋が見える。

 ……夢?

 この夢かぁ……久しぶりに見たなぁ。

 たまに見るこの夢は弟が生まれる前に実際にあったことで、でも、実際はすぐお父さんが抱き上げてくれて苦しい思いもしなかったのか自分ではよく覚えていない。

 夢とは違って暴れもせずにキョトンとした顔で沈んでいく僕が面白くて、危ないところだったのに笑いが止まらなかったと、よく笑い話にされてた。
 
 でも、そんなでも僕の潜在的にはかなり怖いことだったらしくて、昔から調子の悪い時にはたまにこの夢を見た。

 ここ何年かは見ていなかったのに、さすがに溺れたからなぁ……。

 と思ったところで意識を失う前になにがあったのかを思い出した。

 ユニさんはっ!?
 
 慌ててあたりを見回すけれど、当然と言うかユニさんの姿はない。

 その代わりに見知らぬ女性の使用人さんがいた。

「ユニさんはっ!?」

 見覚えのない人だったけど、見慣れた揃いの使用人服から屋敷の人だと思ってユニさんの居場所を問いただす。

 ミゲルくんをはじめ、僕の使用人の姿が見えないのが気になるけど今はユニさんだ。

「ぼ、坊ちゃまは今はご寝室で……」

 驚いた顔をしている使用人さんの言葉が終わる前にベッドから降りて駆け出す。

「お待ち下さいっ!今ぼっちゃまはっ……」

 使用人さんがなにか言っているけど、今は聞いている場合じゃないので勘弁してもらおう。

 寝室を抜け、談話室を飛び出して廊下に出る。

 なぜか僕の部屋のドアの横に全身鎧に身を包んで剣を腰に帯びた兵士?さんがいて、僕を引き止めるように手を伸ばすけれど今は無視して廊下を駆ける。

 廊下のユニさんの寝室があるエリアの前にも完全武装の兵士?さんが二人立っている。

 兵士?さんたちは全力疾走してくる僕を見て腰に帯びている剣を抜いて、一瞬迷った顔をしたあと剣を鞘に収めて多分敬礼だと思うポーズをする。

「ありがとうございますっ!」

 通してくれたことに一応お礼を言って、二人の間を全力疾走のまま通り抜ける。

 息が苦しくなってきたけど、止まる訳にはいかない。

 ユニさんのプライベートエリアである2階で、いや、屋敷内で完全武装の人なんて見たことなかった。

 間違いなくユニさんに緊急事態が起きている。

 ミゲルくんのことも心配だけど、ミゲルくんは僕と一緒にいたはずだ。

 僕が助かっている以上、助かっている可能性が高い。

 と言うかそう信じる。

 問題は姿を見ることの出来なかったユニさんたちだ。

 廊下を駆け抜けてユニさんの部屋の前にたどり着く。

 ドアの前にはやっぱり二人の完全武装の兵士?さんたちが立っているけど、無視してドアを開けようとして流石に止められた。

「離してくださいっ!」

 兵士?さんに掴まれた両手を振りほどこうと暴れる。

 全力で暴れてみるけど、兵士?さんたちはびくともしない。

「なりませんっ!今坊ちゃまは面会謝絶なのですっ!」

 ……面会謝絶?

 その言葉を聞いて全身から力が抜ける。

「そうです、ひとまず落ち着いてくださいませ。
 今、中のイヴァン様を……」

 ガンっ!

 なにか言っている兵士?さんの股間を全力で蹴り上げる。

 なにか仕込んであるのか金属音がして蹴った膝の骨が折れたのかと思うほどの痛みが走った。

 それでも、防具があっても流石に衝撃は殺しきれなかったのか、掴んでた手から力が抜けたので、振りほどいて驚いた顔をしているもう一人に飛び上がるように下から頭突きをかます。

「ぐうっ!?」

 もう一人の手も緩んだので振りほどいてドアノブに手をかけた。

「お待ちくださいませっ!」

 最初の兵士?さんが制止の声を上げるけど、気にせずにドアを開けて……。

 ヒョイッと抱え上げられた。

 なにが起こったのか分からなかったけど、誰かに掴まったことだけはわかったので暴れようとするけど身動きひとつできない。

 腰と首のあたりを押さえて抱えられているだけなのになんでか手も足も、頭すら動かない。

「離せっ!離してくださいっ!」

「落ち着いてくださいませ、サクラハラ様」

 その抑揚を感じさせない平坦な声を聞いた瞬間、頭に登っていた血が一気に冷める。

 いつもと全く変わらないイヴァンさんの声を聞いただけでユニさんは大丈夫だと思えた。

 なんか魔法でも使われたのかと疑うレベルだけど、魔法が苦手らしいイヴァンさんだからそれはない。

「二人共、警備ご苦労です。
 今後サクラハラ様については出入り自由としてかまいませんので、他の者達にもそう通達しておいてください」

「はっ!承知いたしました」

 イヴァンさんの言葉に緊張した顔で敬礼を返す二人。

 片方の人はちょっと腰が引けていた。

「あ、あの、さっきはすみませんでした……」

 その様子を見て思わず謝る。

 相変わらず1ミリも体は動かないので、言葉でだけだけど。

 いくら頭に血が上ってたとは言え、男としてそこはダメだろう、僕。

「「いいえっ!こちらこそご無礼をいたしましたっ!」」

 二人揃って敬礼してくれるけど、いや、本当に申し訳ない。

 頭突きしちゃった人もごめんなさい。

 ドアを閉じて、僕を抱えたまま部屋の中に入っていくイヴァンさん。

「あ、あの……僕もう落ち着いたので、下ろしてくれませんか?」

「もう少々お待ちくださいませ」

 そう言って、イヴァンさんは僕を抱えたままユニさんのベッドの天蓋を開き……。

「ユニさんっ!!」
 
 ベッドに横たわるたくさんの管に繋がれたユニさんを見た瞬間、ユニさんに飛びついた。
 
 ……つもりだったけど、指一本動いていない。

 イヴァンさん僕を捕まえてて大正解。

「まずはじめに断言いたしますが、この状態でいる限り坊ちゃまの状態が悪化しこれ以上危険な状態になることはあり得ません。
 よろしいですか?」

「はい」

 『これ以上』というのが気になったけど、悪化する……ユニさんが死んじゃうことはないと聞いて、ひとまず安堵する。

 良かった……本当に良かった。

 顔色なんて真っ青を通り越して土気色だし、死んじゃうのかと思った。

「ご注意いただきたいのは、『この状態』、生命維持のための魔具に鎧われた今の状態を少しでも崩したら危険な状態に陥るという事を常に忘れずにいていただきますようお願い致します」

 言われて気づいたけど、ユニさんの体から伸びているのはその殆どが管ではなくて、金属や布製の長い紐だった。

 何本もの薄っすらと光った紐がユニさんの体にまとわりついて、垂れている。

 その他にも紐と同じように薄っすらと光を放つ見慣れない装飾品を体中につけている。

 あれらが全部生命維持のための魔具なんだと思う。

 更に、今まで気づかなかったけど、部屋の中には僕の主治医さんを始めとしたお医者さんと思われる人が何人もいる。

 万全の体勢というやつなんだろう。

「分かりました。
 誤ってでも触れたりしないように注意します」

 返事を聞いたイヴァンさんがようやく僕を下ろしてくれるけど、魔道具に影響を与えるのが怖くてこれ以上ユニさんに近づくことすら出来ない。
 
「……ユニさんはどうしたんですか?」

 実験に失敗して大量の水が溢れたのは覚えているけど、それだとユニさんのこの容態は説明できない気がする。

 どう見ても、ただ溺れたとかいう感じではない有様だ。

「ことの始まりは先程の本日最後の実験の際に、坊ちゃまの思惑が外れ、一瞬にして途方もない量の水が出現したことでございました」

「はい、それは覚えています」

 僕の返事を聞いたイヴァンさんは一瞬なにかを考えるかのような間をおいてから話を続ける。

 なにか気になることがあったけど、とりあえず後回しにした感じかな。

「我々は、ハース様がとっさに風魔法で壁を作ってくださったおかげでひとまず難を逃れることが出来ました」

 ハースと言うとメファートくんだ。

 そんな事になってたんだ。

 僕が気を失う前に見たあの泡の柱かな?

 メファートくん偉いっ!

 後で嫌って言うまで褒めよう。

「しかし、我々は難を逃れたものの、サクラハラ様とノイラート様の姿を見つけることは出来ず、短時間では水深が浅くなる気配がないことから焦った坊ちゃまは限界以上の魔力を使い、全ての水を消し去るのと引き換えにお倒れになられたのです」

 なるほど、気を失ったあとはそんな事になっていたのか。

「ミゲルくんは無事なんでしょうか?」

 メファートくんはユニさんたちと一緒にいたみたいだし、あと安否がわからないのはミゲルくんだけだ。

 僕と一緒か近くにいたはずだから、僕がこうしてピンピンしている以上、大丈夫だとは思うけど……。

「ノイラート様とハース様は別室にてお休みになられています。
 ノイラート様は水を飲んでしまっていましたが、幸い大事には至らずにあと数時間もすれば目を覚ますかと思います。
 ハース様は魔力枯渇により意識を失っているため目を覚まされるのは夜明け頃となりますが、お二方とも命に別状はございません」

 ひとまずは良かった。

 二人共まだ意識が戻ってないのは気になるけど、イヴァンさんが命に別状がないと言うなら安心して良いのだろう。

 というか、メファートくんも魔力が枯渇するまで頑張ってくれたのか……。

 これは褒めるだけでなく全力で甘やかさないとな。

「みんな無事でひとまずは安心しました。
 そういえばあれからどれくらい経ったんですか?」

「あれから一時間ほどでございます」

 あれ?まだそれしか経ってないの?

 思った以上に僕は早く目を覚ましたみたいだ。

 これも命がけで水を消してくれたユニさんのおかげかな?

「それじゃ、ユニさんが目を覚ますのはまだまだ先になりそうですね。
 メファートくんと同じ夜明けくらいですか?
 あ、確かユニさんはメファートくんより魔力が多いって言ってたから、もうちょっとかかるのかな?」

 イヴァンさんは僕の質問に答えてくれずに黙ったままだ。

「イヴァンさん?」

 黙ったままのイヴァンさんの様子に、消えていた不安がまた湧き上がってくる。

「ユニさんもメファートくんと同じ魔力枯渇だから明日くらいには目を覚ますんですよね?」

「サクラハラ様、坊ちゃまはただの魔力枯渇ではございません」

 ただの魔力枯渇じゃない?

 え?それってどういう事?

「膨大な量の水を消すには、それもただ蒸発させるのではなく、水に飲まれているであろうサクラハラ様に害を与えぬように『消す』には、残りの魔力では足りないと考えた坊ちゃまは、魔力に生命力を上乗せし魔法をお使いになられました」

 生命力の魔力への変換。

 フィクションではよく聞く話だ。

 ……そして大抵の場合、それをやった人は……。

「え?ユニさんは命に別状ないんですよね?
 ユニさんは目を覚ますんですよね?」

 すがる気持ちでイヴァンさんに問いかけるけど、イヴァンさんはいつもの無表情でこう言い切った。

「たしかに命に別状はございません。
 しかし、いつ目を覚まされるかは分かりません」

「わ、分からないっていうのは明日か明後日かわからないとか……」

「……今、坊ちゃまは一言で言ってしまえば極度に衰弱した状態です。
 生命力という水を全て失った脱水症状と考えていただければ分かりやすいかと思います」

 たしかに、脱水症状で死にかけた身としては分かりやすい。

「生命力をすべて失った以上、もはや死は確定されております。
 しかし、魔力を持つものは魔力を生命力に変換することが出来るので、今坊ちゃまはそれでかろうじて命をつないでおります」

「生命力を直接補充することは……」

「不可能です。
 傷を負われたり病に罹られたりしているのでなく、生命力を失ってしまわれたからには直接回復させる魔法はございません。
 繰り返しになりますが、本来であれば坊ちゃまはすでに亡くなられております。
 健康体であれば十分な栄養の摂取や休養で回復できる生命力も、体が死に瀕している現状では一切回復できず、魔力を変換した生命力でのみ命をつないでいる状態なのです」

「……でも、今の状態なら命に別条はないし、いつかは目をさますんですよね……?」

「はい、それは必ず」

 それを聞いて、少し安心する。

 いつか目を覚ますのならそれを待とう。

 何日、何ヶ月、何年かかってもそれを待とう。

「しかし」

 そんな淡い希望と決意すらイヴァンさんの言葉は打ち砕く。

「しかし、生命力を魔力に変えることで膨大な魔力を得られるのと逆に、魔力を生命力に変えるには膨大な魔力が必要となります。
 今は魔力補充の魔具……人が元来持つ、世界に満ちるマナを取り込む能力を補助する魔具を使うことでなんとか均衡を保ってはおりますが、均衡を保つのが精一杯で生命力が回復するまで何年、何十年かかるか……。
 いえ、率直に申しまして現状では坊ちゃまが老衰で亡くなられるまで目をさますことはないかと存じます」

「そんな……」

「もちろん、現在、早急に魔力補充の魔具を集めるように指示を出しております。
 しかし、何分貴重な魔具ですので必要量集まる見通しは立っておりません」

「…………」

 もう言葉もない。

 ここが異世界だと実感したときと……前途を塞ぐような城壁を見たときと同じ気分だ。

 現実を認識したくない。

「もし坊ちゃまが目を覚まさずとも、サクラハラ様の生活は終生保証するようにと事前に言いつかっております。
 その点につきましては何卒ご安心くださいますよう……」

「そんなのっ!」

 イヴァンさんの言葉に一瞬怒りが湧き上がってきて……でも、すぐに抜けていってしまった。

「……そんなのどうでもいいですから、ユニさんを助けてください……。
 ……お願い……ですから……っ……ユニさんを……ぅっ……ユニさんを……」

 あとはもう言葉にならなかった。

 イヴァンさんは泣き崩れる僕に恭しく一礼してくれたけど……。

 ユニさんを助けてくれるとは言ってくれなかった。
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