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【天界2】
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「ここだと思ったよ」
春の風のような穏やかで優しげな声に振り返れば、ベンチの後ろに、ウリエルが立っていた。
「あ。申し訳ございません」
持っていた湯飲みを板の上にじかに置き、立ち上がる。深々と頭を下げた。
「バタバタして、お礼を申し上げることを、すっかり後回しにしてしまいました。その節は、大変お世話になりました」
あれから、丸一日が経っていた。
「いいんだよ。お礼など。あれも仕事の一貫だ」
白紙の書の配達などをさせられたというのに、ウリエルは寛容だ。あんなもの、この天界で二番目の位を持つ彼の仕事のわけがない。
「いいえ。こういうことは、きちんとしなければいけません。本来でしたら、左遷されてもおかしくないのですから」
それをまぬがれた裏に、当人の口利きがあっただろうことは、想像にたやすい。
「本来、耳を地べたにこすりつけてお礼を申し上げなければならないのは、32番のやつです。何を考えているのやら。頭がいかれているとしか思えません」
ウリエルに対して馴れ馴れしすぎる、と怒っていたのは、彼のほうではないか。それなのに、まるでメール便のような役割を頼むだなんて。
「助かったことは確かですが、第一あれは、保管庫側の不手際です」
その尻拭いをウリエルにさせるとは、なんたる無礼。
あのあと記録保管庫に戻り、諸々の作業に一旦ケリがついたところで、しっかり礼儀を通したのかと問い詰めた。本人は心配するなと答えたが、怪しいものである。
「はははは。76番はあいかわらず厳しい」
「礼節を重んじる、とおっしゃってください」
「もう休憩は終わりかい?」
「あ、いえ」
湯飲みに視線を落とす。新芽色の煎茶が、まだ半分ほどを満たしている。できるだけゆっくり、のんびりと飲み干したあとに、職場に戻ればいいかと考えていた。
「では、僕もここで少し休んでいこう。隣、いいかい?」
「え」
噴き出してしまう。
「おうかがいを立てられたことなど、初めてです」
小さな花壇には、ガーベラが咲いていた。天に向かってバンザイをしているかのような、花びらの鮮やかな黄色と、きっぱりと緑色の葉とのコントラストが美しい。
「32番を責めないでやっておくれ。書を届けさせてほしいと言い出したのは、僕のほうなんだ」
「そうなのですか?」
そんなこと、同僚は匂わせもしなかった。
「かなり困っていたようだからね」
「しかし」
「他に方法がないとはいえ、二つ返事で了承したわけではないよ。彼だってわきまえているさ。だけども、僕の申し出を断れる立場でもない」
それはそうか、と思う。
事態は急を要していたこともあるし、ウリエルの話が本当で、苦しまぎれに申し出を受け入れたのなら、同僚に悪いことをしてしまった。
ウリエルは微笑む。
「いつも頑張ってくれている君たちのために、僕だって役に立ちたい」
「ウリエル様」
「僕が出向いたことは、結果から見てもよかったんじゃないかな」
その言葉に、ウリエルが舞い降りたあの瞬間の、清花の表情を思い出す。
白紙の書を運んできたのが、記録保管庫の別のスタッフだったとしても、おそらく彼女はもう転生をためらわなかっただろう。とはいえ、ウリエルとの思いがけない出会いが、あともう一つの後押しとなったことは間違いない。
「ウリエル様は」
「うん?」
「何もかも、わかっていらっしゃったのですか?」
彼女が転生を拒んでいた理由。本当に怖がっていたもの。自分が出向くことによるメリットと、そのための最適なタイミングまでも、前もって。
曖昧な言葉での問いかけに、ウリエルはただ凪のような笑みを浮かべるだけだ。
春の風のような穏やかで優しげな声に振り返れば、ベンチの後ろに、ウリエルが立っていた。
「あ。申し訳ございません」
持っていた湯飲みを板の上にじかに置き、立ち上がる。深々と頭を下げた。
「バタバタして、お礼を申し上げることを、すっかり後回しにしてしまいました。その節は、大変お世話になりました」
あれから、丸一日が経っていた。
「いいんだよ。お礼など。あれも仕事の一貫だ」
白紙の書の配達などをさせられたというのに、ウリエルは寛容だ。あんなもの、この天界で二番目の位を持つ彼の仕事のわけがない。
「いいえ。こういうことは、きちんとしなければいけません。本来でしたら、左遷されてもおかしくないのですから」
それをまぬがれた裏に、当人の口利きがあっただろうことは、想像にたやすい。
「本来、耳を地べたにこすりつけてお礼を申し上げなければならないのは、32番のやつです。何を考えているのやら。頭がいかれているとしか思えません」
ウリエルに対して馴れ馴れしすぎる、と怒っていたのは、彼のほうではないか。それなのに、まるでメール便のような役割を頼むだなんて。
「助かったことは確かですが、第一あれは、保管庫側の不手際です」
その尻拭いをウリエルにさせるとは、なんたる無礼。
あのあと記録保管庫に戻り、諸々の作業に一旦ケリがついたところで、しっかり礼儀を通したのかと問い詰めた。本人は心配するなと答えたが、怪しいものである。
「はははは。76番はあいかわらず厳しい」
「礼節を重んじる、とおっしゃってください」
「もう休憩は終わりかい?」
「あ、いえ」
湯飲みに視線を落とす。新芽色の煎茶が、まだ半分ほどを満たしている。できるだけゆっくり、のんびりと飲み干したあとに、職場に戻ればいいかと考えていた。
「では、僕もここで少し休んでいこう。隣、いいかい?」
「え」
噴き出してしまう。
「おうかがいを立てられたことなど、初めてです」
小さな花壇には、ガーベラが咲いていた。天に向かってバンザイをしているかのような、花びらの鮮やかな黄色と、きっぱりと緑色の葉とのコントラストが美しい。
「32番を責めないでやっておくれ。書を届けさせてほしいと言い出したのは、僕のほうなんだ」
「そうなのですか?」
そんなこと、同僚は匂わせもしなかった。
「かなり困っていたようだからね」
「しかし」
「他に方法がないとはいえ、二つ返事で了承したわけではないよ。彼だってわきまえているさ。だけども、僕の申し出を断れる立場でもない」
それはそうか、と思う。
事態は急を要していたこともあるし、ウリエルの話が本当で、苦しまぎれに申し出を受け入れたのなら、同僚に悪いことをしてしまった。
ウリエルは微笑む。
「いつも頑張ってくれている君たちのために、僕だって役に立ちたい」
「ウリエル様」
「僕が出向いたことは、結果から見てもよかったんじゃないかな」
その言葉に、ウリエルが舞い降りたあの瞬間の、清花の表情を思い出す。
白紙の書を運んできたのが、記録保管庫の別のスタッフだったとしても、おそらく彼女はもう転生をためらわなかっただろう。とはいえ、ウリエルとの思いがけない出会いが、あともう一つの後押しとなったことは間違いない。
「ウリエル様は」
「うん?」
「何もかも、わかっていらっしゃったのですか?」
彼女が転生を拒んでいた理由。本当に怖がっていたもの。自分が出向くことによるメリットと、そのための最適なタイミングまでも、前もって。
曖昧な言葉での問いかけに、ウリエルはただ凪のような笑みを浮かべるだけだ。
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