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【人間界5】
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体格の差はもちろんだが、カロンにぶつかっていった時、男は火を身にまとった状態だったのではなかろうか。魔術によって起こされた火は、普通の火であるはずもなく、カロンは自身の魔術にあてられたのかもしれない。
こんな事態はもちろん初めてのことで、推測でしかないが、男の炎症のひどさから見ても、その仮説はありえそうだと思った。
「……ちくしょう。なんだよこれ。すげえ辛いぞ」
「当たり前です。火災現場に、身体一つで突っこんでいったようなものですよ」
それも、有害な薬品を保管した、化学工場の火災だ。
「俺、死んでるんだろ? そのわりに、めちゃくちゃ身体がしんどいじゃないかよ」
「神経が機能していないとは、確かに言いました。ただ痛みは感じなくとも、身体には重度の火傷を負っているのです。動けることが不思議なくらいですよ」
「俺のほうが、あいつよりよっぽど化け物みたいじゃねぇか」
「しかし、助かりました。あなたのおかげで、同じ過ちを繰り返さずに済みました」
「じゃあ、連れていかれずに済んだんだな」
男はそこでようやく、少女の魂がまだそこにあることを認識したようだ。
おや? と首をかしげたい思いだった。
男の物言いに引っかかりを覚えた。矛盾している気がする。
「……なんで?」
少女が、戸惑いと怒りがないまぜになった声で問いかけてきた。
「なんでわたしを止めたの? こんな世界から早く解放されたいのに」
状況をやっと飲み込めたと同時に、顔をゆがめて悔しさを滲ませる。
「わたくしもそれが不思議です。なぜ彼女を助けたのです?」
「別に……助けたつもりじゃ」
二人から詰め寄られて、夜遊びの現場を親に見つかってとがめられた、思春期真っ盛りの少年よろしく、男は不満げに顔をそむけた。
「あなたは、彼女の魂を早くなんとかしろ、とわたくしにけしかけていたではありませんか」
「まあな」
「反吐が出るくらい、彼女のことがお嫌いであったはずです」
「ぐは! わかっていたつもりでも、言葉でちゃんと聞くと傷つく!」
無駄に少女に打撃を与えてしまったが、もちろん、好き嫌いだけが理由ではない。
男は花を届けに行きたいという、自分の願いを叶えたくていた。
カロンに連れていかれることは、イコール魂が消滅するということ。その話を聞いた時の男は、確かにショックを受けていたように見えたが、それは、自分にもその危険が迫っているのでは、と怯えていたに過ぎないのだろうと、そう思っていた。
その後、カロンが担当するのは、自死した魂だけだということを、我々の会話から知った。ほっとしたことだろうが、同時に余計なことまで知ってしまった。
「あなたは、自分の時間も残り少ないと悟ったはずです」
「え?」
少女が驚いてこちらを見て、それからまた男を見た。
亡くなったはずの魂が身体に留まり続ける。そのリミットがいつなのかわからないと、男に言ったことは嘘ではない。
しかしながら、心臓をはじめ様々な臓器が運動をやめた肉体は、当然腐敗していく。身体が朽ちてしまえば、器を失くした魂は出てこざるをえない。
男は少女よりも元気に見えるが、やはり死体だ。腐敗の兆候が身体に現れていてもおかしくなく、そのことに男が気がついていたとしても、不思議なことではなかった。
「花を届けにいくことを、諦めたわけでもないようですし」
男が飛び出す寸前まで立っていた場所に、視線をやる。花束がそっと置いてある。とっさに放り出した感じではなく、傷つけないように避けておいたことは明らかだ。
「カロンがさっさと彼女の魂を持ち去ってくれるなら、あなたにとって、願ってもないことだったのではないのですか?」
男は答えない。
もう一度問いかける。
「あなたが、彼女の魂をここに留まらせたのは、いったいなぜなのですか?」
まさか、同じ社畜として、異界の書店スタッフに同情したわけでもあるまい。
すると、どうして男は身をていしてまで、毛嫌いしているはずの少女を、カロンの魔の手から救ったのか。
男を目の上のたんこぶかのように思い、あれほど睨みつけていたはずの少女も、いつしか細かく瞬きを繰り返すだけになっていた。
男の行動のちぐはぐさに気がついたのだろう。
そうだ。あれは、決して邪魔をしたのではない。危険から救ったのだ。
こんな事態はもちろん初めてのことで、推測でしかないが、男の炎症のひどさから見ても、その仮説はありえそうだと思った。
「……ちくしょう。なんだよこれ。すげえ辛いぞ」
「当たり前です。火災現場に、身体一つで突っこんでいったようなものですよ」
それも、有害な薬品を保管した、化学工場の火災だ。
「俺、死んでるんだろ? そのわりに、めちゃくちゃ身体がしんどいじゃないかよ」
「神経が機能していないとは、確かに言いました。ただ痛みは感じなくとも、身体には重度の火傷を負っているのです。動けることが不思議なくらいですよ」
「俺のほうが、あいつよりよっぽど化け物みたいじゃねぇか」
「しかし、助かりました。あなたのおかげで、同じ過ちを繰り返さずに済みました」
「じゃあ、連れていかれずに済んだんだな」
男はそこでようやく、少女の魂がまだそこにあることを認識したようだ。
おや? と首をかしげたい思いだった。
男の物言いに引っかかりを覚えた。矛盾している気がする。
「……なんで?」
少女が、戸惑いと怒りがないまぜになった声で問いかけてきた。
「なんでわたしを止めたの? こんな世界から早く解放されたいのに」
状況をやっと飲み込めたと同時に、顔をゆがめて悔しさを滲ませる。
「わたくしもそれが不思議です。なぜ彼女を助けたのです?」
「別に……助けたつもりじゃ」
二人から詰め寄られて、夜遊びの現場を親に見つかってとがめられた、思春期真っ盛りの少年よろしく、男は不満げに顔をそむけた。
「あなたは、彼女の魂を早くなんとかしろ、とわたくしにけしかけていたではありませんか」
「まあな」
「反吐が出るくらい、彼女のことがお嫌いであったはずです」
「ぐは! わかっていたつもりでも、言葉でちゃんと聞くと傷つく!」
無駄に少女に打撃を与えてしまったが、もちろん、好き嫌いだけが理由ではない。
男は花を届けに行きたいという、自分の願いを叶えたくていた。
カロンに連れていかれることは、イコール魂が消滅するということ。その話を聞いた時の男は、確かにショックを受けていたように見えたが、それは、自分にもその危険が迫っているのでは、と怯えていたに過ぎないのだろうと、そう思っていた。
その後、カロンが担当するのは、自死した魂だけだということを、我々の会話から知った。ほっとしたことだろうが、同時に余計なことまで知ってしまった。
「あなたは、自分の時間も残り少ないと悟ったはずです」
「え?」
少女が驚いてこちらを見て、それからまた男を見た。
亡くなったはずの魂が身体に留まり続ける。そのリミットがいつなのかわからないと、男に言ったことは嘘ではない。
しかしながら、心臓をはじめ様々な臓器が運動をやめた肉体は、当然腐敗していく。身体が朽ちてしまえば、器を失くした魂は出てこざるをえない。
男は少女よりも元気に見えるが、やはり死体だ。腐敗の兆候が身体に現れていてもおかしくなく、そのことに男が気がついていたとしても、不思議なことではなかった。
「花を届けにいくことを、諦めたわけでもないようですし」
男が飛び出す寸前まで立っていた場所に、視線をやる。花束がそっと置いてある。とっさに放り出した感じではなく、傷つけないように避けておいたことは明らかだ。
「カロンがさっさと彼女の魂を持ち去ってくれるなら、あなたにとって、願ってもないことだったのではないのですか?」
男は答えない。
もう一度問いかける。
「あなたが、彼女の魂をここに留まらせたのは、いったいなぜなのですか?」
まさか、同じ社畜として、異界の書店スタッフに同情したわけでもあるまい。
すると、どうして男は身をていしてまで、毛嫌いしているはずの少女を、カロンの魔の手から救ったのか。
男を目の上のたんこぶかのように思い、あれほど睨みつけていたはずの少女も、いつしか細かく瞬きを繰り返すだけになっていた。
男の行動のちぐはぐさに気がついたのだろう。
そうだ。あれは、決して邪魔をしたのではない。危険から救ったのだ。
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