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【人間界2】
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そうこうしているうちに、男は立ち上がる。大通りの方向へ歩き出そうとするから、そのジャケットの裾に急いで爪を引っかけた。なんて活発な新刊だ。
「待ってください。どこへ行かれるつもりですか」
「放してくれ。死んでいる場合じゃないんだっつうの」
「たった今、お認めになったばかりではありませんか」
「あんたが思い出させたんだ」
「わたくしが? 何をです」
男は振り返って言った。
「心残りだ。頭をぶつけたショックで忘れていたけどよ。この花を届けるまでは、俺は死ねないんだ」
男がこちらに示した花束は、赤い花びらの一つ一つが瑞々しく輝いている。事故の前から持っていたにしては、少しも散り乱れていない。
それを届ける? 生きている人間に? 亡くなった人間が?
そんなこと、承諾できるわけがない。早くケリがつくかもなんて浅はかすぎた。
「死ねないも何も、あなたはもう亡くなっているんです」
「届けたら、おとなしく死んでやるよ。人生百年の時代に、三十そこそこで死ぬんだぜ。そのくらいの融通はきいたっていいだろ」
「そんな無茶な」
しかし、それではこの新刊は納得しなさそうだ。
肉体が今の状態で長く持つとは思えないが、何時間もここで粘られたら困る。生きている人間に目撃されたら厄介だし、放ったらかしのもう一人の新刊のことだって心配だ。
「わかりました」
「行かせてくれるのか?」
「わたくしも付き添います」
「あぁ?」
「何度も言いますが、あなたはすでに亡くなっています。動けて喋れていることは、奇跡のようなもの。いつまでそれが続くか、わたくしにもわかりません」
男は無理やり爪を振り払うことも、途中で言葉をさえぎることもしなかった。正直に話していることが伝わるのか、神妙にこちらの言い分を聞いている。
「道中で力尽き、魂が身体から離れることも考えられます。その際にわたくしがいないと、魂は迷子になり、へたしたら生まれ変わることができなくなります」
「だから、ついてくるのか」
「そうです」
男は小首をかしげた。
「あんたみたいな、なんて言うか、化け猫のなり損ないみたいなの、他の人間が見たらびっくりしないか?」
「ゾンビのなり損ないのようなあなたに言われたくありません。大丈夫です。生きている人間にわたくしの姿は見えませんし、あなたの姿も、極力誰の目にも触れさせないように神経をとがらせます」
かなり無謀な提案をしている自覚はある。でも、そうでも言わないと、この場はおさまりがつかない。
「ただし、あなたのワガママを聞く代わりに、こちらにも条件があります」
「条件?」
「あなたの他にもう一件、わたくしは仕事を保留にしております。その場所まで一旦、一緒に戻っていただけませんか」
「どこへ戻るだって?」
「ここからすぐの場所です」
目を離している隙に魂が身体から離れて、見失ってしまう可能性があるのは、彼だけのことではない。女子中学生の新刊だって同じことだ。
まさかもう一方の新刊まで、すんなり回収できないとは思わず、予定が狂ってしまった。こうしている間にも、彼女の魂は身体から出かかっているかもしれない。急ぐ必要がある。
「一方の仕事をきちんと完了させてからなら、あなたの要望を聞き入れます」
その間に、彼の魂も身体から離れてくれたなら、万々歳だ。
嫌だと言われたら、本部に緊急事態の連絡を入れることも致し方ないだろう。
「わかった」
男はやはり、聞き分けがよかった。
「サラリーマンなら、任された仕事は最善を尽くすべきだからな。俺も会社に雇われてる……いや、今となっては雇われてた、か。その立場は理解できるぜ」
ほっと胸を撫で下ろす。よかった。
仕事を一人で完璧に遂行できたかどうかは、そのままダイレクトにお給金に関わってくる。貰ったお給金でちょっぴり高価なお酒を買って楽しむ晩酌が、唯一の生きがいなのだ。
「ありがとうございます。これで本部の手をわずらわせずに済みます」
「おうよ」
「あなたが社畜で、わたくしはラッキーでした」
「さっきから言いたかったんだけどよ」
「なんです?」
「かわいい顔してるくせに、ちょいちょい気にさわるやつだな」
「待ってください。どこへ行かれるつもりですか」
「放してくれ。死んでいる場合じゃないんだっつうの」
「たった今、お認めになったばかりではありませんか」
「あんたが思い出させたんだ」
「わたくしが? 何をです」
男は振り返って言った。
「心残りだ。頭をぶつけたショックで忘れていたけどよ。この花を届けるまでは、俺は死ねないんだ」
男がこちらに示した花束は、赤い花びらの一つ一つが瑞々しく輝いている。事故の前から持っていたにしては、少しも散り乱れていない。
それを届ける? 生きている人間に? 亡くなった人間が?
そんなこと、承諾できるわけがない。早くケリがつくかもなんて浅はかすぎた。
「死ねないも何も、あなたはもう亡くなっているんです」
「届けたら、おとなしく死んでやるよ。人生百年の時代に、三十そこそこで死ぬんだぜ。そのくらいの融通はきいたっていいだろ」
「そんな無茶な」
しかし、それではこの新刊は納得しなさそうだ。
肉体が今の状態で長く持つとは思えないが、何時間もここで粘られたら困る。生きている人間に目撃されたら厄介だし、放ったらかしのもう一人の新刊のことだって心配だ。
「わかりました」
「行かせてくれるのか?」
「わたくしも付き添います」
「あぁ?」
「何度も言いますが、あなたはすでに亡くなっています。動けて喋れていることは、奇跡のようなもの。いつまでそれが続くか、わたくしにもわかりません」
男は無理やり爪を振り払うことも、途中で言葉をさえぎることもしなかった。正直に話していることが伝わるのか、神妙にこちらの言い分を聞いている。
「道中で力尽き、魂が身体から離れることも考えられます。その際にわたくしがいないと、魂は迷子になり、へたしたら生まれ変わることができなくなります」
「だから、ついてくるのか」
「そうです」
男は小首をかしげた。
「あんたみたいな、なんて言うか、化け猫のなり損ないみたいなの、他の人間が見たらびっくりしないか?」
「ゾンビのなり損ないのようなあなたに言われたくありません。大丈夫です。生きている人間にわたくしの姿は見えませんし、あなたの姿も、極力誰の目にも触れさせないように神経をとがらせます」
かなり無謀な提案をしている自覚はある。でも、そうでも言わないと、この場はおさまりがつかない。
「ただし、あなたのワガママを聞く代わりに、こちらにも条件があります」
「条件?」
「あなたの他にもう一件、わたくしは仕事を保留にしております。その場所まで一旦、一緒に戻っていただけませんか」
「どこへ戻るだって?」
「ここからすぐの場所です」
目を離している隙に魂が身体から離れて、見失ってしまう可能性があるのは、彼だけのことではない。女子中学生の新刊だって同じことだ。
まさかもう一方の新刊まで、すんなり回収できないとは思わず、予定が狂ってしまった。こうしている間にも、彼女の魂は身体から出かかっているかもしれない。急ぐ必要がある。
「一方の仕事をきちんと完了させてからなら、あなたの要望を聞き入れます」
その間に、彼の魂も身体から離れてくれたなら、万々歳だ。
嫌だと言われたら、本部に緊急事態の連絡を入れることも致し方ないだろう。
「わかった」
男はやはり、聞き分けがよかった。
「サラリーマンなら、任された仕事は最善を尽くすべきだからな。俺も会社に雇われてる……いや、今となっては雇われてた、か。その立場は理解できるぜ」
ほっと胸を撫で下ろす。よかった。
仕事を一人で完璧に遂行できたかどうかは、そのままダイレクトにお給金に関わってくる。貰ったお給金でちょっぴり高価なお酒を買って楽しむ晩酌が、唯一の生きがいなのだ。
「ありがとうございます。これで本部の手をわずらわせずに済みます」
「おうよ」
「あなたが社畜で、わたくしはラッキーでした」
「さっきから言いたかったんだけどよ」
「なんです?」
「かわいい顔してるくせに、ちょいちょい気にさわるやつだな」
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